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夏前に自宅にコンピューターが

▼2000年12月29日 (Fri) -- No.[211]

12月27日〜31日,夏前に自宅にコンピューターが導入された。しかもISDN付きで。でも僕の予想通り日本に帰ってみるとそのコンピューターを触る人間が家族の中にはいなかった。これじゃメール書いても帰ってこないはず。年が明ける前はそのパソコンを使って、年賀状を作成するのを手伝ったりした。

渡辺家にとって最初のコンピューターは15年前にあったPC98。今考えるとそれは高価なワープロに過ぎなかったように思う。父親に教わってキーボードをたたいて日本語入力をした。それだけで楽しくてしょうがなかった。当時小学生だった僕はコンピューターの雑誌を買って、そこに掲載されていたゲームのプログラムを実際に打ち込んだりして遊んだりもしていた。しかし文字通りコードをタイプしていっただけで僕の思うように画面には出てこなかった。今覚えばそれじゃプログラムは動かないのは当たり前だな。

話がずれたけど、とにかくそのコンピューターを使って31日までに家族(父、母、弟)が年賀状を作成するのを手伝った。機材の導入に伴い、父親は年賀状作成用ソフトも買い揃えていた。とりあえずカタチからということなのだろう。適当にイラスト、タイトル、文面を組み合わせて、合計3パターンを用意。家族にはそこから選んでもらった。

マニュアルをほとんど読まずに、すごく適当に作ったけどそれなりの形にはなった。家族には感謝されたけど本当にあんなんでよかったのか疑問にも思う。もうちょっとやればきっとすごいのが出来上がったんだろうに。

山梨の自宅

▼2000年12月26日 (Tue) -- No.[208]

12月26日(火),Kと昼食を食べてから山梨の自宅へ戻る。僕は以前その街に住んでいたことがあった。街並みが懐かしい。当時良く行った喫茶店で食べる。店内の雰囲気、味もそのまま。

午後3時くらいに自宅へ。長い帰路だった。叔母と祖母に再会。二人とも元気そうだった。暗くなってから帰ってきた父と母を含めた5人で食事。アメリカから持ってきた写真を見せる。その後弟が帰宅。前日まで北海道に行っていたらしい彼も元気そうだった。

自宅は特に異常無し。

成田に

▼2000年12月25日 (Mon) -- No.[207]

12月25日,成田に着いた後、そのまま山梨の実家まで帰るのは面倒なのでこの日はどこかに泊まれないかと何人かの友人に連絡する。時間はかかったが何とかその内の1人、友人Kと連絡が取れ彼のアパートに。結局そこまで辿り着いたのは午後10時を超えていた。そのまま実家に帰った方が早かったかもしれない・・・。

彼に会うのは前に日本に帰ってきて以来。しかしその時はほんの少しあっただけでろくに話も出来なかった。彼が学生時代と変わったという印象をその時受けたが、今回会ったらまた学生時代の彼に戻っていた。僕は心なしか安心した。

ビールと日本酒とつまみを買って乾杯する。日本に帰ってきたと実感した。フライトではそれなりに寝られたが長旅で疲れてすぐに就寝。

いよいよ帰国

▼2000年12月24日 (Sun) -- No.[206]

12月24日,いよいよ帰国の日。Spokaneの空港からは同じ学校に通うRちゃんと偶然に一緒だった。彼女とはSalt Lake Cityを経由して Portlandまで同じフライト。日本に帰るフライトは別。何事も無くPortlandまで到着。僕はアルコールが抜けきらず、寝ていなかったので Portlandまでずっと寝ていた。機内食が運ばれてくるのにも気がつかなかった。

次に午後1時過ぎにPortlandを飛び立ち成田まで。飛行機は客が少なく、全部で50人くらいしかいない。座席を一列全部使って横になった。全てのフライトがこうなら良いのにな。東京まではフライトが遅れて11時間以上かかった。成田には日本時間25日午後5時に到着。

お土産を

▼2000年12月23日 (Sat) -- No.[205]

12月23日,午後日本へのお土産を買いにモールへ。僕とタスミさんはハックルベリーの味がするコーヒーを買った。アメリカのお土産を考えるといつも頭を悩ませてしまう。

暗くなり7時半頃に出発。Spokane近くの友人Nの家へ。9時過ぎに到着。途中は雪混じりの雨で視界が悪かった。3人でバーへ行きビールとチキン。店内は限りなく空いていた。

予定では車をそこに留め、24日の早朝彼に送ってもらうはずだったが、車が停車できなくなり結局空港近くの駐車場まで持っていくことになった。バーから戻り、ビールを飲みながら朝まで起きていようと思ったけど最後の1時間くらいウトウトした。フライトは6時50分。早朝5時半に再び出発。

昼前に

▼2000年12月22日 (Fri) -- No.[204]

12月22日,昼前にタスミさんがBoiseからやって来た。僕は24日、彼は25日にSpokaneからのフライトで日本に帰る。彼と僕はSpokaneまで一緒に行くことになっていた。タスミさんは24日のクリスマスイブは一人で時間を潰す予定。

午後になってKを含む3人で食事を採り、その後それぞれMoscowに残った用事を済ませる。夕方、タスミさんが買ってきてくれたビールを飲む。彼は相当疲れていたようですぐに横になってしまった。テストが終わってからすぐに荷物をまとめ引越し、この数日間ほとんど寝ずにいたそうで、疲れが蓄積してるのも当たり前だ。

彼は日付が変わる頃目を覚まし、お腹が空いたので再びKと3人で食事。その後少しだけパッキング。

Steveが

▼2000年12月21日 (Thu) -- No.[203]

12月21日(木),20日にルームメイトの1人Steveがアパートを出た。Seattleで仕事が見つかった為で、クリスマスブレイクを利用して引越し作業をしたのだ。彼はこのアパートに3年間住んでいた。

Steve は大柄でおしゃべり。日本人が描く典型的なアメリカ人だったかもしれない。インドア人間でコンピューターばかり使っていた。部屋にはコンピューターが2台もあった。専門書も沢山。それからとても繊細な人だったように思う。社会学、心理学を学び、人の心をよく理解していた。

彼はこの場所の名義上の住人。アパートにあったものも彼の所持品が多く、リビングにあったカウチ、テレビ、ビデオ、DVD、それと洗濯機、ドライヤー、キッチンのお皿とかナイフとかも全て彼のものだった。それらのほとんどはBryceが引き継いだ。僕はSteveからテーブルを買おうと思ったけど、新品で高かったのでやめた。

僕が彼にとって良いルームメイトかどうかはわからない。なぜなら僕は同じアパートに住みながらもあまり顔を合わせることが少なかったから。僕は大抵学校で勉強をしている。毎日のように出される宿題をこなすだけで時間が取られ、家に戻るのは12時を過ぎる事が少なくない。その時間に帰ってもSteveは寝ている場合が多いのだ。

彼の成功を祈る。いつか遊びに行こう。

前の晩から

▼2000年12月20日 (Wed) -- No.[202]

12月20日(水),前の晩からベッドには入らず7時前には学校に。7時半からテスト。出来は悪くないと思う。9時過ぎに終了と同時にセメスターが終了。

辺りをウロウロしてから帰ってきてベッドへ。12時から3時くらいまで寝た。その後ルームメイトの引越しを手伝う。彼の荷物をトラックに詰めこんだ。下が凍っていて荷物を持つのが大変だった。その後計4人でパスタを作って夕食。僕がカナダから持ってきたワインを開け、日本酒も彼らに飲ませた。

その後再び荷物運び。何でこんなに沢山あるんだよSteve。荷物運びの作業中にアクシデント。彼の車(新車)が駐車場から出ようとした他の車にぶつけられた。大した凹みではなかったが警察を呼んでいた。Steveは特に気にしてないようだった。それより彼にとっては引越し作業を完了させてファイナルの準備をしたいようだった。

少し酔っ払ってきて僕はまた眠たくなった。9時頃には寝てしまい今度は12時に起きた。今は午前3時、それでこの日記を書いている。最近は何時寝てるのか起きてるのかよくわからない生活をしているな。思えば24時間前は学校のコンピューターラボから出てきたくらいだったのに。一日が24時間単位で動いていない。

3時半からCSのファイナル

▼2000年12月19日 (Tue) -- No.[200]

12月19日(火),3時半からCSのファイナル。出来はこれまた悪かった。出された問題が全てエッセーで5問。それぞれ1ページ。2時間かけたにも関わらず全然スペースを埋められなかったので悔しい。もう終わったので考えないことにする。

その後コンピューターラボで20日に提出予定のエクセルを使ったプロジェクトをやるがあまりに眠たくてはかどらない。7時前に一度戻って10時過ぎまで休む。その後再びラボでプロジェクトに取り掛かる。結局終わったのはラボが閉まるギリギリ前、午前3時くらいだった。ちょっと難しかったぞ。

20日のテストは早朝7時半から。やることが多くてほとんどその教科を勉強する時間が取れず、このままではヤバイ。そういう訳で当然徹夜となった。朝の6時まで勉強。その後シャワーを浴びてから学校へ。

あの後の

▼2000年12月18日 (Mon) -- No.[199]

12月18日(月),あの後の2つ目のテストは難しかった。勉強もあまりしてなかったので出来は悪かった。そのクラスでファイナル前までの成績が悪くなかっただけに残念でしかたがない。Aが消えただろう。でも問題も難しかった。クラスメートも問題が渡されても中々先に進めない人が多かった。

それに加えて眠かった。暖房の程よく効いた室内、ペンを走らせる音だけが響く。眠気が最高潮に達し、テスト中にも関わらず寝てしまった。これでは頭が動く気がしないと思った。睡眠は大事です。

結局3時に終わってから戻って寝た。10時くらいまで寝た。その後朝の6時まで起きててまた寝た。疲れが段々と積み重なっていく。

ヤバイことに

▼2000年12月17日 (Sun) -- No.[197]

12月17日(日),ヤバイことになってきた。昨日からやってるペーパーの目処が全くつかない。今はお昼の12時半、昨日から寝てないけどまだ半分も終わってない気がする。明日はテストが2つもあるのにどうしよう・・・。段々と頭がぼけーとしてきた。

どうしてこんなギリギリになるまで手を付けなかったのか悔やまれる。いつもの事だけどね。とにかくペーパーが終わらないと先に進めないのでやるしかない。場所を変えて気分転換しよう。はぁーーーー(ため息)。

加筆:
上の文章は昼に書いた。今は夜の10時過ぎ。やっとのことでペーパーが形になった。無理矢理終わらせた、と表現した方が正確だとは思うがとりあえず終わってほっとした。上の日記を書いてから、3時くらいまでラボにいたけど眠気に勝てず、その後2時間ほど横になってから再びラボへ行った。9時には終わらせるぞ、と意気込んでいたが結局10時になってしまった。

ずっと同じ事に取り組んでいたので頭がカチカチになった気がする。今からはもうペーパーの事を忘れてファイナルに向けて準備。今日は寝られないか。(PM10:21)

コンピューターラボで

▼2000年12月16日 (Sat) -- No.[196]

12月16日(土),コンピューターラボで最後のペーパー。月曜に提出だが、まだ元となる文章を読んですらいない。今、やる気が十分なのでこの勢いで一気に書き上げるぞ。絶対今日中に。

やる事はサド侯爵の「Dialogue Between a Priest and a Dying Man」を読み、Dying ManにEthicsのクラスで取り上げた哲学者の方法論を当てはめ、それをまとめること。ページで6〜8枚。

Dying Manは無神論者なのでそのあたりを書く事になるだろう。まだちゃんと読んでないけど。がんばるぞ。

サーチエンジンについて

▼2000年12月15日 (Fri) -- No.[201]

サーチエンジンについて

今後の予定

▼2000年12月14日 (Thu) -- No.[195]

12月14日(木),今後の予定:

18日(月):PHIL(Final、Paper提出)、Geog(Final)
19日(火):CS(Final)
20日(水):ACCT(Final、Project提出)
24日(日):一時帰国?

CS のファイナルは20日(水)だと思っていたら、本当は19日だった。日程的にバランスが取れて良かったように思う。ファイナルも大変だがペーパーも大変。水曜に提出したCSのに時間を取られ、月曜に出す別のペーパーには一切手をつけていない。それに加えてファイナルの勉強、今週末の事を考えると恐ろしくなる。

今週は良く雪が降った。何日間かずっと降り続けた。特に水曜の夜はひどく、車が埋まりそうになった。積もった雪が踏み固められて道路もつるつる。外に出るのに気が引けてしまう。

日本行きのチケットを予約してある。予約の段階でまだ購入してはいない。最終的に今週中に決めなければ。ちょっと帰ってみたい気もする。

外はすごい雪

▼2000年12月13日 (Wed) -- No.[194]

12月13日(水),CSのTerm Project提出。週が明けてからずっと取り組んでいて、当日になってようやく完成。クラスが始まるPM2:30には終わらせる事が出来ず、5時くらいに先生のオフィスまで持っていく。取り敢えず終わってよかった。

外はすごい雪。

昨日から今日にかけて

▼2000年12月11日 (Mon) -- No.[193]

12月11日(月),昨日から今日にかけてかなり冷え込んだ。このウェブサイトのホームに Mosocwの天気情報が貼られている。データは隣街Pullmanで観測されているので、必ずしも正確とは言えないかもしれないがPullmanまでは車で10分の距離、同じと見なしても差し支えはないはず。

昨日の夜はラボでペーパー。さて帰ろうとして午前2時過ぎにその天気情報をチェック。気温はマイナス17度だった。どこまで下がるのかと不思議とワクワクした。華氏では1度。あれだけ寒かったなら、いっそうのこと華氏でもマイナスになって欲しかった。でもあまりに寒すぎる。

今朝目を覚ますと晴天。久しぶりに青空が見えたのでれて気分が良かった。でもやっぱり寒い。あまり睡眠時間が取れず、寝ぼけた頭を無理矢理起こそうと熱いシャワーを浴びる。乾かさずに外に出たら教室に辿り着くまでに髪の毛が凍ってしまった。僕の人生で初めて髪の毛が凍った。ここでも不思議とちょっと嬉しい。最近は日中でも摂氏でマイナスの域を出っしていないじゃないかな。

クラスが3時半に終わり、日が暮れてから(4時を回るともう暗い)ペーパーの続きをやる。多分5分の1くらいは終わった。でもまだそれだけ。今晩、それから明日は比較的時間に余裕があるので何とかなりそうな気配が漂ってきた。一度ペースを掴んでその勢いで書き終えるぞ。残すところ後10日を切った。

昨日は

▼2000年12月10日 (Sun) -- No.[192]

12月10日(日),昨日はJSAのミーティングがあった。僕とS君は前もって準備することがあったので早めに会い、そこで配る資料を作成した。午後5時にスタート。予想通りほとんど人が来てくれなかった。僕は初めからそんなものだろう、と思っていたけどS君は結構ショックだったみたい。半分切れていたようにも思う。しょうがないのでそこに集まった6人だけで話し合いをする。決ったことは別にメーリングリストに流す事になるだろう。今はファイナル前でみんな忙しいはずだから来れなくてもしょうがない。僕も役員ではなかったら行かなかったかもしれないし・・・。

今日は日曜日。来週提出のペーパーが全然進まない。シングルスペースで5枚以上書かなければならないが、今まで書いたのがたった半ページ・・・。5枚というのは決して多くはないと思うが、普段はダブルスペースで書いてるので実質10枚以上ということになる。S君の20枚というのに比べれば楽だけど、まだまだ終わりが見えてこない。提出は水曜日。

今は11日午前1時前で学校のラボにいる。家でも出来るけど、家に帰ったら絶対にやりそうにないのでもうしばらくここで頑張るつもり。今晩中に終わるとは思わないけど出来るところまでやろう。

それにしてもこのラボ、どうしてこんなに寒いんだ?外は今、何とマイナス12度!にも関わらず暖房が入っていないようにさえ思う。基本的にラボはコンピューターの発熱を押さえるため、室内温度が低めに設定されている。それでも今日は外が寒すぎる。誰か考えてくれ。寒い方が頭が動いて良い気もするけど。

そう言えば12月10日だった。

朝目を覚ましたら

▼2000年12月 9日 (Sat) -- No.[191]

12月9日(土),朝目を覚ましたらリビングルームに突然ラップトップコンピューターが置いてあった。ブライスが両親のために注文したDELLの新品が届いたようだ。話を聞いたら彼がお金を出してプレゼントと言う訳ではなく、あくまで両親のために彼が選んでセットアップしてあげた、ということ。クリスマスブレークに会いに行くとき持っていくんだって。

スイッチを入れて触らせてもらった。新しいコンピューターって良いな〜って心から思う。一月ほど前、友人がデスクトップを買うのに付き合った時も同様に思った。僕のラップトップは早くも3年経とうとしている。日本で大学に通っていた頃、アルバイトのお金を貯めて購入したものだ。

たった3年前だけど、当時ラップトップは本当に高価だった。今でも比較的高いが、それよりも遥かに高かった。スペックは当時としては良かったはず。しかし今同じ値段で買えるのに比べたら、性能面にとんでもない開きがある。最近のコンピューターの急激な進歩に伴い、僕のパソコンは機能的に完全に物足りなくなったのだ。ソフトがスムーズに動かなくない。致命的なのはワープロさえろくに動かなくなる時さえあるの。

幸い学校のコンピューターラボで事が足りてるので不満はない。現実に僕のラップトップはただのメーラーと化そうとしている。僕のアパートはDSLを引いているので回線速度に不満はないだけに、少し残念な気もするけど。当然新しいのが欲しい。でも僕がアメリカにいる間にはもう新しいのは買えないでしょう。日本に帰ったらめっちゃすごいの買ってやる。でもそれもすぐに古くなるんでしょうが・・・。

今週も

▼2000年12月 8日 (Fri) -- No.[190]

12月8日(金),今週もあっという間に終わってしまった。本来ペーパーを書こうと計画していたが、結局終わらず。考えていたトピックを練り直す必要が出てきて、本文には全く手をつけていない。ぎりぎりまで追い込まれないとやらないこの性格なので、今からやらなければならない。どうして余裕を持って出来ないのか。

残すところ後2週間。来週はデッドウィークで、その次がファイナル。僕の予定は20日(水)に全てのテストが終了、冬休みに入る。実質残り10日あまり。ペーパーが2本とファイナル4つ。この10日間は多分すごく辛くなりそうな予感。それだけに終わった瞬間のことを思い浮かべるとウキウキする、その前にやらなければいけない事など忘れて。

今週の予定

▼2000年12月 4日 (Mon) -- No.[189]

12月4日(月),今週の予定:

8日(金):Geog宿題

それだけ。楽そうに見えるがある意味恐い・・・。嵐の前の静けさでしょう。ちなみに来週もデッドウィークなのでテストはなし。まぁ要するにテストは残すところ再来週のファイナルだけ。

そうは言っても来週に1本、再来週にもう1本タームペーパー提出期限。今週はそれを仕上げるのに時間を費やす予定。僕はペーパーを書くのに時間がかなりかかるので。もちろんファイナルの準備もしなければ。

午後7時からキャンパス内で

▼2000年12月 2日 (Sat) -- No.[1]

12月2日(土),午後7時からキャンパス内で催された"African Night"に行ってきた。アフリカ文化を楽しむ夕べ。

アフリカの食事が出され、ファッションショー、歌やダンスなどが演じられ、とても有意義な時間が過ごせた。当日はお客さんが多く、会場に入れない人達も少なくなかったようだ。前もってチケットを購入して正解。個人的にはアフリカの楽器の演奏、特にドラムが面白かった。前々からエスニック系打楽器が好きで、そのリズムを感じているとドキドキするのだ。この夜もアフリカ独特のドラミングは躍動感があってとてもよかった。ファッションショーではサンコンやゾマホンみたいな衣装を見ることができた。僕も着てみたい。食事も美味しく、滅多に食べられない物にありつけたようで満足できるものだった。歌のパフォーマンスでは僕が知ってる歌も歌ってくれた。JAMBO!

そう言えば前から何かおかしいんじゃないか?と感じていたことがある。「JAMBO」はスワヒリ語で一般的な挨拶の言葉。意味的には「こんにちは」とか「こんばんは」とかのはず。そこで僕の頭に浮かぶのは、昨年残念ながら亡くなったジャンボ鶴田と日本ゴルフ界の第一人者ジャンボ尾崎。

プロレスとゴルフ、ジャンルは違えどそれぞれ頂点を極めた彼らはつまり「こんにちは鶴田」と「こんばんは尾崎」なのだ。これって冷静に考えると恥ずかしい。

日本人が「JAMBO」で連想するのは「大きな」という意味なのでは。ではどうして「こんにちは」が「大きな」になったのか?答えがあるとすれば戦後、アフリカから友情の印として上野動物園に連れてこられた最初のアフリカ象が「ジャンボ」と名付けられたからだろう。これは部分的に間違ってるかもしれないが、大筋では事実に近いはず。当時の日本人がその名前と体格をごちゃ混ぜに覚えてしまった結果、鶴田友美はその可愛らしい名前を捨て「ジャンボ」になってしまったのだ。

生前、鶴田はリングから客席に向かって「オー!」と雄たけび、ファンはその勇士に向かって「ジャンボ〜!!」と声を上げていた。要するに客は「こんにちは〜!」とか「こんばんは〜!」とか大声で叫んでいた訳である。スワヒリ語しか判らないアフリカ人が、もしも偶然その光景に出くわしたら「一体何なんだ!?」と思ったことだろう。その結果彼は日本人に好感を抱くのであろうか。

ついでだから尾崎将司(ジャンボ)に関しての疑問も。ただし、ここでは「ジャンボ」のニックネームを誰が考えたかは全くの別問題とする。僕が疑問に思うのは彼の兄弟、尾崎健夫と尾崎直道。どうして彼らも「ジェット」と「ジョー」なんだ?尾崎3兄弟の名前はどうしても「J」ではじめる必要があったのか?それにしても何というネーミングのセンス!思わず続けて読みたくなった。「ジャンボジェットジョー」!「ジャンボジェット」までは飛んでいきそうで中々格好良い、意味も通じてる。しかし最後のジョーって何だか当てつけみたいでかわいそうだ。

土曜日のAfrican Nightではこんな事を考えながら豆料理を食べていました。

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