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Rapid City(SD)→Dubuque(IA)

▼2001年 7月31日 (Tue) -- No.[354]

7月31日(火),Rapid City(SD)→Dubuque(IA)

車の中でハエと格闘しながら目を覚ます。前日車の中で食べたモモのごみに誘われて寄って来たらしい。Mt.Rushmoreのビジターセンターは8時半から。開館と同時に見学。朝食はそこのカフェテリアで。メニューには彫られている大統領の名前が付けられていた。でも美味いのか不味いのか想像に苦しむような・・・。

10時には出発。今日の目的地はアイオワ州のDubuque。ここは以前に友達が住んでいた場所。僕はアメリカに来る前、その友人からこちらの生活の様子をよく聞いていた。その話に影響を受け、実際にアメリカ行きを考えた部分もあるのかもしれない。映画"Field of Dreams"が撮影されたのもこの辺りで、割とChicagoに近い。Chicagoには初めから行くつもりだったので、通り道をちょこっと外れ、せっかくだからDubuqueに寄ってみることにした。

日が出ている間はひたすらドライブ。この辺りから気候が蒸し暑くなった。僕はアメリカはドライな場所しか知らなかったので、その空気の匂いに日本の夏を思い出した。セミもアメリカに来てから初めて泣き声を聞いた。乾燥した地域を抜けて緑も次第に多くなる。

道を間違え少しだけNebraskaに入ってしまった辺りで食事。カジノにあった中華バフェだったが味の方はイマイチ。夕方頃Iowaの西端に。Dubuqueは州の東端なのでここからがまた長かった。見渡す限りのトウモロコシ畑で、映画で見た風景は本物だった。

日付が変わりAM1時くらいにDubuque到着。モーテルでシャワーを浴びようとスーツケースを開けると、持ってきたボディソープがこぼれていた。おかげで全然着ていない服がベタベタに。洗濯をしようとしたが、モーテルにはランドリーがない。辛うじて平気な服に着替え、しょうがないので翌日コインランドリーを探すことに。普段経験しない蒸し暑さ、それから前日ちゃんと寝てなかった疲れで一瞬で眠りに落ちる。

Moscow (ID)→ Rapid City(SD)

▼2001年 7月30日 (Mon) -- No.[353]

7月30日(月),Moscow (ID)→ Rapid City(SD)

いよいよ出発!朝の8時に起きてからシャワーを浴び直ぐに出る。まずは8月分のレントを払いにアパートのオフィスへ。それからもうすぐMoscowからコロラドへ移るS君に挨拶。寝ていたが無理矢理起こした。彼からコロラドの住所をもらい、旅の最後に立ち寄る事を約束。また後でね。

最初の数日は何も考えずに進むしかないのだ。この日の予定はひたすら東へ。とにかくモンタナを抜け、サウスダコタ州のMt. Rushmoreまで行く事。僕は去年の夏に行き、どうしても立ち寄る必要は無かったが、せっかくなのでストップする事に。10時くらいになって本格的に出発。まずは1時間半ほど北上しCoeur d'Aleneまで。そこでランチを取った後、この先が長い長いInterstate90に乗る。このハイウェイはBostonまで続いている。僕らはそれを乗って実際にBostonの手前NYまで行くのだ。走り続けた場合最低で4日。普通だと5日はかかる。僕らは途中で数箇所寄る予定なのでもうちょっとはかかると思う。

ひる頃Coeur d'Aleneを出ると、日本とほぼ同じ広さのモンタナ。ひたすら走る。ガソリンを入れるのと、食事で車を停める以外はドライブ。完全に日が落ちてしばらくたった頃やっとモンタナ州を通過。それでもRapid Cityはまだまだ。

目的地に着いたのは午前3時過ぎ。とりあえずモニュメントのパーキングに入る。この時間からMotelに入るのも損なので2人で話し合った結果、朝までこの駐車場で休む事に。いきなりの車内泊。

何時の間にか

▼2001年 7月28日 (Sat) -- No.[327]

7月28日(土),何時の間にか7月も終りに近づいている。この日記も2日から全然更新してなかった。理由は色々だが、覚えている範囲で何か書こうと思う。来週からは確実に更新が出来そうにないので。

特別寄稿:
2001年7月の日記は後付けでした。
2005.8.19渡辺正太郎

日記をまとめて

▼2001年 7月28日 (Sat) -- No.[351]

7月28日(土),ゆっくり起きてから日記をまとめてアップデート。かなり適当。それから旅行の計画を立てる。今回は東に行く。具体的にはNYまで。それから東海岸を回る。余裕があればフロリダへ。理由があって8月22日までにMoscowに戻らなければならず、使える時間は3週間ほど。相変わらず急ぎ足の旅行になりそう。

アメリカ7日目

▼2001年 7月27日 (Fri) -- No.[350]

7月27日(金),アメリカ7日目。そして最終日。フライトは1時半。

ゆっくり目を覚ましてから空港へ。チェックインを済ませた後ターミナル近くで朝食を摂る。それから時間に余裕があったのでしばらくショッピング。フライトの時間になりゲートへ。最後まで見送る。家族は本当にアメリカを満喫してくれたのか?もう少し時間があれば色々と連れてってあげたのに、あと数日あれば。まぁ忙しい日本から来てる訳だからしょうがない。次の機会に。あればの話しだけど。

家族を見送った後、そのままMoscowに帰ろうとも思ったがせっかくなので日系スーパーで買い物。そこで偶然Moscowに住むSさんとバッタリ。Seattleに行くとは聞いてたけどまさか会うとは。彼女の友達2人と僕を含めた合計4人で昼食を食べる。あとはMoscowへ帰るだけ。

Moscow到着は9時くらい。レンタカーを空港まで返しに。この一週間でミニバンに結構慣れた。中も広いしシートはいいし。それにその車をドライブしてると急に大人になった気も。

家族を連れて動くのは予想以上に疲れた。全員の意見を汲むよう何かと気を使う。自分にお疲れ様。

アメリカ6日目

▼2001年 7月26日 (Thu) -- No.[349]

7月26日(木),アメリカ6日目。まずは近郊にある運河へ。以前からそこに運河がある事は知っていたけど、僕自身行ってみるのは初めて。

予想していたより面白かった。湖と海の水位を調節し、船で行き来する施設。湖側の方が水位が5メートル程低く、昔は塩害で悩まされていた結果設けられたらしい。ドックに船が入ってくる。ゲートを閉め、部分的に封鎖する。そして水があっと言う間に抜かれていく。一連の作業は単純だが一見不思議に見えた。そこには「魚用の階段」もあった。季節になると産卵のため魚が海と湖を往復する。でも海側の方が水位が高いため、魚は何らかの形でその高低差を克服しなければいけないのだ。運河の脇に21段に渡る水が張られた階段があり、魚はそれを勢い良く駆け上がっていく。上から見てると魚が飛び跳ねて行くのが見えた。魚を水中から眺める事も出来る。見学に来ていた子供達も喜んでいた。

昼になりPike Place Marketへ。映画"Sleepless In Seattle"(邦題:巡り逢えたら)でTom Hanksが同僚と食事をしたレストランでランチ。丁度忙しい時間帯で多少待たされたがボリュームがあって美味しかった。窓からは海が良く見えた。食事後は辺りを見てまわる。

3時くらいにSafico Fieldへ。家族はお土産購入。弟はこの夜のゲームのチケットを買う。絶対売り切れだと思ってたけど運良くシートを確保。その後一旦モーテルに戻る。暑かったから疲れたみたい。

試合が始まる時間になり再び外出。弟を球場に送る。彼がゲームを見てる間に僕らは夕食。中華を食べたけどシーフードが新鮮でメチャクチャ美味しかった。沢山オーダーした割には会計も少なく満足。弟は一人で野球観戦。後で聞いた話しではかなり良い席だったらしい。一塁ベンチの真上付近で選手も真近でみられ、しかもゲームも勝ち。イチローはヒット打ったし最後は佐々木が閉めた。ラッキーな奴。

日が完全に落ちてからモーテルに戻る。家族にとっては最後の夜。全員集まってあれやこれやと話す。取りあえずアメリカを楽しんでくれたみたいで良かった。12時にベッドへ。

アメリカ5日目

▼2001年 7月25日 (Wed) -- No.[348]

7月25日(水),アメリカ5日目。MoscowからSeattleまで移動。昼過ぎにMoses Lakeの家へ。親戚の案内でSeattleへ向かう途中にある墓地へ。車で1時間くらいかな。僕は一度行った事がある。

そこに何があるかと言うと、僕の実家からアメリカへ移民したばあさんのお墓。僕の曾爺さんの妹に当たる人で、今Moses Lakeに住む人の母親。僕から辿るとかなり遠いが、祖母は戦後しばらくの間、そのばあさんと暮らしていた事もある。今回祖母がどうしてもアメリカに来たかった理由はこのお墓参りで、祖母はアメリカに着いた時から何時墓参りするのか何回も僕に聞いてきた。最近は物覚えが悪くなったな。もう80過ぎだからしょうがない。長旅に絶えられる元気はまだあるけど。

お墓の前に立つとみんな感慨深げな表情になった。もう何世代も前に何かを思ってアメリカに移民し、そこで亡くなったばあさん。最後は交通事故だったらしい。両親は涙ぐんでいた。Moses Lakeの親戚も家族がわざわざ日本からやってきてくれた事に感謝し目が赤くなっていた。その一角には日本人の墓が並んでいる。墓石を見ると彼らの出身、亡くなった年などが刻み込まれている。遥か離れたアメリカでどんな思いで死んでいったのか、想像すると複雑な気持ちになる。

ここで最後に親戚にもう一度お礼をし、僕らはSeattleへ。到着は5時くらい。予め取っておいたモーテルにチェックインした後、とりあえずSpace Needleへ歩いて行く。展望台まで上がり街を上から眺める。この日は幸い晴天でワシントン州の象徴ともなってる Mt.Rainierもくっきり見えた。夕日が当たってとても良かった。

その後タクシーでシーフードレストランへ。店の側には船も係留してあるその場所からは、とても夜景がきれいに見えた。適当にオーダーした食事は美味しかった。僕と母親は白ワインで乾杯。再びタクシーに乗り込みモーテルへ戻る。僕と弟はその後夜の街へ出てから戻る。この日は移動距離が長くて、あれこれとしてない割には疲れた。1時頃寝る。

アメリカ4日目

▼2001年 7月24日 (Tue) -- No.[347]

7月24日(火),アメリカ4日目。8時半頃に家族をピックアップ。父親は時差ぼけがひどくて辛そうだ。まずはMoscowのダウンタウンにあるレストランで朝食。食事後そのままダウンタウンを散策。とは言っても通りが一つだけなので直ぐに全部見回ってしまう。

昼頃に隣町のアンティークショップで買い物をしてから近郊をドライブ。母親はどうしても「動物の角」を欲しがり色々な場所を探すが欲しいものが見つからなかった。でもそんなの買ったとしてもどうやって日本に持っていくのか。Pullmanから南下しSnake River沿いの公園で一休み。Lewistonまで川に沿って走りMoscowへ北上し戻る。夕方に到着し、家族を一旦ホテルに送る。

僕は夕食の準備に取り掛かる。家族を再びピックアップしてから僕のアパートですき焼きをする。ちゃんとしたお米と日本の味付けでみんな良く食べた。アメリカの食事が合わない父親も、当たり前だが問題無し。

お腹が膨れて一休みした後家族を送る。その後ビデオを借りてきて鑑賞。でも僕は何かと疲れてしまい途中で寝てしまった。英語が全くダメな家族5人を連れて動き回るのはかなり疲れるのだ。

アメリカ3日目

▼2001年 7月23日 (Mon) -- No.[346]

7月23日(月),アメリカ3日目。8時に朝食、支度をして直ぐにMoses Lakeを離れる予定が母と叔母がいきなり買い物。10分で帰ってくるはずが1時間。結局10時にお世話してくれた親戚にお礼を言ってからMoscowに向けて出発。

Moscow到着は午後2時くらい。まずは僕のアパートへ。ピザを取って簡単に食事を済ませる。家族の予想以上に僕のアパートはきれいだったようだ。本当ならばルームメイトに会ってもらいたかったが残念ながらしばらく留守。でも彼に買ってきたお土産を部屋に置いておいた。

ホテルにチェックインした後大学に連れて行く。夏で活気が無く色々な場所で工事をしてたけど、それでも家族は整備された芝とかキャンパスの雰囲気を楽しんでくれた。ブックストアでは大学グッズを購入。日本に帰ってTシャツとか着るのか疑問にも思う・・・。途中キャンパス内のカフェで一休み。その後ショッピングモールへ。小さな街なので連れて行く場所に困る。

7時過ぎに夕食。そろそろアメリカの食事に飽きてきた家族のために隣町の中華料理へ。良くあるバフェだが久しぶりにお米なのでみんな良く食べた。

みんなをホテルに送る。部屋の関係で弟は僕のアパートで寝る。最後にはKも合流。

アメリカ2日目

▼2001年 7月22日 (Sun) -- No.[345]

7月22日(日),アメリカ2日目。この日は親戚の案内で町の近郊へ出かける。まずはアメリカで一番大きく、割と最近まで世界で一番大きかったダムを見学。車で一時間半くらい。

正直言わせてもらうと僕はあまり興味に欠ける部分もあったが、途中で立ち寄ったDry Falls State Parkは良かった。近所に住んでいながらずっと気が付かなかったこの場所は、氷河時代にあった大きな滝の跡。大昔は今のナイアガラフォールズの10倍以上も幅があり、そこに氷河が溶けた水が流れていたらしい。現在は水も干上がり、かつて滝壷だった当たりは溜りになっていた。釣りを楽しんでいた人もいたから何か魚がいるのだろう。

ダムの中をツアー。僕らの他にも見学者が沢山いた。真下から見るとコンクリートの固まりは壁と言うより無機質な山に見えた。その後近くのレストランでランチ。

街の方角に戻り、さらにそれを通り越して今度はやっぱり親戚の人がやってるワイン用のブドウ畑に行く。そこでは馬の放牧もやっている。近くにワイナリーもある。何気にワシントン州は全米で1番か2番目にワインの生産が多いはず。親戚が作ってるブドウは高級な種類らしく、そこから出来るワインは最低$50はする。家族は大規模な畑に驚いていた。牧場には最近生まれた子馬も元気に飛び跳ねていて可愛かった。

親戚の家に戻ったのは夕方6時。7時頃からワインを作ってる親戚も交えてディナー。アメリカ料理。相変わらず山のように出てきた。食事後しばらくして僕と弟はバーへ。その間母と叔母は親戚に教わって突然クッキーを焼きはじめた。弟とビールを飲んでプールをして帰ると家族はHot Tab(ジャグジー)でリラックス。湖の側でまるでリゾートみたいだと喜んでいる様子。色々動き回って疲れて寝る。家族は時差ぼけ真っ最中。

レンタカーをピックアップ

▼2001年 7月20日 (Fri) -- No.[343]

7月20日(金),昼過ぎにレンタカーをピックアップ。やっぱり大きいなー。車内が広く、目線が高くて快適。

夕方頃家を出る。とりあえずMoses Lakeへ。明るいうちに到着し、BBCCの寮にいる友達を訪ねる。Aちゃんと以前のルームメイトだったYに久しぶりに会う。その後3人で前に良く行っていたBarへ。スタッフのお兄ちゃんは僕の事を覚えていてくれた。彼と僕はHeavy Metalを共通の趣味としているのだ。

その夜はAちゃんの部屋で寝かしてもらう。寝るのは早かったな。

家族の為に

▼2001年 7月19日 (Thu) -- No.[342]

7月19日(木),家族の為にSeattleダウンタウンの宿を予約。電話して簡単に終了。あとは21日土曜を待つのみ。僕は20日金曜午後に家を出発。Moses Lakeで泊まって翌朝改めてSeattleへ。フライトは9時45分の到着だからMoses Lakeを6時半には出なければ。

Moscowへ戻る

▼2001年 7月18日 (Wed) -- No.[341]

7月18日(水),予想していた事だがやっぱり朝は寒かった。5時くらいにあまりに寒くて一度目を覚ますくらい。

ちゃんと起床したのは7時半くらい。前の晩は寝るのが早かったので起きるのも早かった。体を暖める為にコーヒーを湧かす。飲み終わる頃には段々と太陽が上がってきた。日が当たると暖かい。この朝は雲一つない良い天気だった。風も収まったようだ。コーヒーを再び沸かし、フルーツとヨーグルトで簡単な朝食。

テントをかたずけて散歩に出る。前の日は湖の波が高くて気が付かなかったが、この日波のない湖を見ると底が透き通って良く見えた。よほど透明度が高いのだろう。こんな早くても泳いでる人がいた。日中は気温が上がりそうなのでこの日は僕も水に入ろうと思った。

荷物をまとめてからビーチの奇麗なもう一つのキャンプサイト、Lionheadに向かう。車で20分くらいさらに北上する。到着すると聞いていた通り奇麗だったが、どうも余計な出費をする必要がありそうだったので、そこでちょっと休んでから前夜すごしたキャンプサイトに引き返した。

それから2時間ほどビーチに繰り出す。泳ぎたい所だったがやっぱり寒そうだったので辞めて本を読んでた。上半身は脱いでいたので日焼けもした。

昼になり残った食べ物を片づけてMoscowへ戻る。途中Spokaneでストップしモールをぶらぶら。特に欲しいものはなかった。Moscowに着いたのは6時くらい。その後スーパーで肉を買い、自宅のデッキにあるBBQグリルで焼いて食べた。最近ルームメイトが購入した物だ。焼き肉のたれと大根おろしプラス出し汁の2種類の味で食べる。思った以上にかなり美味しかった。やっぱりちゃんとしたグリルでやると違うなー。Bryce君ありがとう。

Priest Lakeに向けて

▼2001年 7月17日 (Tue) -- No.[340]

7月17日(火),Priest Lakeに向けて朝の8時くらいに出発。ただ北上する。この日に泊まるキャンプサイト、Indian Creekに到着したのはお昼くらい。天気は良くもなく悪くもなかったが風が強くてちょっと困った。

最初にテントをたて、それからコーヒーを入れてサンドイッチをつまんだ。その後周辺を散策。風のせいで湖の波が高かった。それでも泳いでる人が何人かいる。水の中ならまだ平気だろうけどビーチに上がったら寒そう。いつくかあるトレイルを歩くがそれぞれ適度な距離。アイダホ名物のひとつであるハックルベリーを摘んで歩く家族が沢山いた。僕も道脇に生えてた実をいくつか口に入れてみた。甘酸っぱくて美味しかった。きっとこれでジャムとか作ったら美味しいんだと思う。

キャンプサイトに戻り一休み。トレイルを歩いて疲れたせいか寝てしまった。目を覚ました6時くらいから夕食の支度。持参したお米、予め切ってあった野菜、トマト缶等をフライパンに入れ調理開始。バーナーに火を着け30分後、食事はすぐに用意完了。冷やしてあったビールと一緒に外で食べる食事はとても美味しかった。

暗くなる前に集めた焚き木に火をつける。ビールを飲みながら火を眺める。ゆらゆら揺れる炎を見つめてると引き込まれるものがある。これって危ないのかな。全然飽きない。11時頃就寝。

計画

▼2001年 7月16日 (Mon) -- No.[339]

7月16日(月),ぐっすり寝て起きたらお昼近く。数日前からインターネットでレンタカーを調べてたけど中々良いのがない。ここは基本に戻って地元の会社を回ろうと、午後からは近所のオフィスに出かけてみた。

基本的に家族はSeattleとMoscowを往復する。そのための足が必要。当初は僕がSeattleまで自分の車で行き、空港で車をゲット、家族を乗せてMoses LakeとMoscowに出発。そして再びSeattleに戻る。家族を見送った後、僕はレンタカーを落っことし、自分の車をピックアップしてから家路につく。この予定だった。

でも近所のレンタカー会社を訪ねると、Seattleで借りるよりも安い事が判明。借りる日にち、走行距離は多くなるが、それを含めても安かった。そんな訳でこっちで車を予約。普段ミニバンなんて運転する機会がない。ここからシアトルまでの道のりを運転すれば、車に多少は慣れるだろうとの判断もある。

車を予約した後はMoscow市内にあるモーテルを予約。小さな街でいくつもホテルがある訳ではないが、その中では一番きれいな所を予約した。家族はそこに2泊する事になる。後はシアトルでの宿泊先。このまま一気に予約したかったが面倒になって止めてしまった。実際に泊まるのにはまだ10日以上あるから何とかなるよきっと。

キャンプに行こうと計画

▼2001年 7月15日 (Sun) -- No.[338]

7月15日(日),家族が来るまでまだしばらくある。それまでの時間をボケーとしてたらもったいないのでキャンプに行こうと計画。

目的地は5月の下旬に一度行こうとしたが混んでて予約が取れなかったPriest Lake。ここから車で北に4時間くらいの場所。もうちょっとでカナダ国境。きっと夜とか寒いんだと思う。出発は火曜日。1泊して翌日には戻る。

キャンプサイトでパエリアを作ってやろうと食材の買い物。シーフードとチキンを買う。やっぱり日本人はお米っしょ。

13日の金曜日

▼2001年 7月13日 (Fri) -- No.[336]

7月13日(金),13日の金曜日。

映画AIを見に行く。でも学校とドラクエで忙しかったので上映中思いっきり寝てしまった。ここまで映画を見に行って熟睡したのは初めてかもしれない。決して映画がつまらなかった訳ではないと思う。でも映像が暗かった。少年の雨に濡れて捨てられた小犬のような表情もその暗さに拍車をかけていた。全体的にドンヨリとしている。したがってちゃんと映画を観た訳でもなく、内容の善し悪しに関して個人的な判断は下す事ができない。どうせしばらくやっているだろうから、昼間の安い時間にまた観に行っても良いかもしれない。

家族は21日土曜の朝にSeattleに到着する予定になった。それまでに必要なアレンジをしなければ。最低限の宿と足を確保すれば何とかなるだろう。Moses Lakeの親戚の家には連絡済み。彼らは相変わらず色々気を使ってくれるに違いない。それが悪くてこちらから頻繁に行けないのも確かだけど。

ようやく夏休み

▼2001年 7月12日 (Thu) -- No.[335]

7月12日(木),朝のテストをもって終了!ようやく夏休み!いやーそれにしても8週間、朝7時半からの授業は大変だったなー。夏だからまだ良かったけど、もしこれが冬だったら起きるのつらかったんだと思う。

家に帰ってやっぱりドラクエ。こちらもクリア!分からない部分はインターネットで調べながら進めたのでほとんど引っかからずに終わった。でもお決まりの裏面が残されている。もうしばらくやることになりそう。

これが終われば

▼2001年 7月11日 (Wed) -- No.[334]

7月11日(水),13日のテストに向けて勉強。これが終われば夏のクラスも全て終了。その瞬間に夏休みに突入する事にもなる。

春のセメスターが終わって8週間で3クラス。夏のクラスは日程的にきつくて大変だった。途中2週間は全く同じ時間にクラスが重なりとてもややこしかった。でもこれも13日で終り。今しかやる時がないので集中して机にむかった。テストは何とかなるだろう。

親から連絡

▼2001年 7月 9日 (Mon) -- No.[333]

7月9日(月),朝クラスでペーパー提出。間に合って良かった。

しばらく前の話しだが日本の親から連絡があり、この夏にアメリカに来てみたいとの事。3ヶ月近く前に電話で話した。でもそれ以降全く音沙汰は無し。僕は結局計画は潰れたものだと自分で考えていた。

しかし数週間に親から突然の電話。いきなり飛行機を予約したいと言われた。どこまで飛んだら良いのか?と聞かれる。予定を詳しく電話で話す。彼らの目的はまずMoses Lakeにいる親戚を訪ねる事。それから今僕が住むMoscowを見てみたいと言う事。最後にSeattle周辺で観光をしたいと言う事。来るのは父、母、弟、祖母、叔母の5人。

僕は親と話し合う。彼らはハワイには行った事があるがアメリカ本土は初めて。それほど海外旅行慣れしている訳でもなく、国内線の乗り換えに不安を抱えている様だった。で、結局僕がSeattleまで迎えに行くという事になった。僕を入れれば6人の大所帯。今僕が乗ってる車には乗り切れないので大きな車を借りる事にした。

それからアメリカでの予定を大まかに練る事を依頼された。恐らくは僕が全部を取り仕切る事になるだろう。楽しみでもあるが不安でもある。

終わってからドラクエを

▼2001年 7月 8日 (Sun) -- No.[332]

7月8日(日),何時の間にか日曜になっている。ペーパーは最初の数行しか書いていない。午前中はプレステのコントローラーを握る。

さすがにこれではヤバイと思い一時的にドラクエを中断し、集中にてペーパーに取り掛かる。映画の内容を確かめるためビデオをみる。それが午後3時くらい。映画が終わったのは5時過ぎ。目標を午後9時に設定。本当にやらなければマズイのだ。

久しぶりにキーボードを叩く。7月の下旬まで日記を更新しなかった大きな理由は、実はドラクエをしていたから。これでも年齢的には良い大人。僕はこのまま歳をとって行くのか。

ペーパーは目標の9時には間に合わなかったけど、それでも10時には終了。いつもペーパーに時間がかかる僕としては上出来である。やれば出来るではないか。これも「終わってからドラクエを思う存分やる」という明確な目的意識のためか。この目的が情けない気もするが・・・。

一日中ドラクエ

▼2001年 7月 7日 (Sat) -- No.[331]

7月7日(土),一日中ドラクエ。午後にコーヒーを飲みに出た以外はほとんどしていた。

日本では七夕なんだなー。

ドラクエ7

▼2001年 7月 6日 (Fri) -- No.[330]

7月6日(金),ペーパーが全然進まないのには他に大きな理由があった。火曜の夜、近くに住んでる日本人の友達からドラクエ7を借りてしまったのだ。こういうのをやり出したら止まらないのを十分承知の上で。

それでもゲームをやりはじめるのは次の週にクラスが終わってからにしようと思っていた。勉強に手が付かないのは容易に想像できたから。しかし!誘惑には簡単に負けてしまう。自分に弱い・・・。借りてきて家に帰ってきてすぐに取りあえずスタート。

ドラクエは1から全部やっている。僕が小学生の頃から。7になってからプレステで発売されたが操作感に違和感はない。世界が3Dになったのがやっぱり大きな変化なのかな。

こんな事書いてるけど別に僕はゲームおたくでは決してありません。あしからず。

The Spitfire Grill

▼2001年 7月 5日 (Thu) -- No.[329]

7月5日(木),取っているクラスのペーパーの提出が9日月曜日。連休中にとにかくこの宿題を早いうちに終わらせようと計画。課題は"The Spitfire Grill"という映画を見て、その中で見られる人間関係をクラスで学んだ事を踏まえて描写する事。最低5枚。

休みに入る前クラスでその映画を鑑賞。でもそれだけでは絶対に書けないので、近所のビデオショップで同じ映画を借りる。分かり難い部分を繰り返し見られるようにするため。

クラスで一度観た時、最後の最後になって僕はこの映画を一度見ていた事に気が付いた。本当にラストシーンでようやくである。途中はまったく覚えていない。要は僕にとっては記憶に残す価値が無いほどつまらなかったんだと思う。

そんな訳だからペーパーも全然進むわけが無い。まぁ休みがしばらく続くから良いか。

独立記念日

▼2001年 7月 4日 (Wed) -- No.[328]

7月4日(水),独立記念日でお休み。学校は本来なら月から木。でも先生の都合(計らい)で木曜が休みになった。つまり水木金土日の5連休。

去年のこの日はここから車で北に1時間半ほど走った湖でやってる花火を見に行った。日本の花火大会ほど派手ではなかったかが、それでもかなり奇麗だった。今年は隣町プルマンの花火を見に行った。Moscowでもやってるけどプルマンの少しだけ規模が大きいらしい。

全米ではどうなのか知らないけど、少なくとも僕が住んでいる辺りでは、一年で独立記念日とニューイヤーズイブの2日しか花火を上げる事が許されていない。自由に花火を上げたりしたら銃の発砲と勘違いされてしまうからだ。

プルマンの花火は想像していたよりずっと良かった。と言うか全然期待して行かなかった事もあり、よい意味で予想を裏切ってくれた。会場は市内の公園で、到着するとバンドが色々な曲を演奏していて結構賑やかだった。当初花火は夜10時くらいに上がりはじめると聞いていた。でも実際に始まったのは10時半くらいで、およそ20分ほど打ち上げが続いた。ちょっと肌寒かったけど芝生に寝転んで花火を見る。文字どおり頭の上で奇麗に花が咲く。花火のカスがそのまま落ちてくる程だった。来年の7月4日、僕は一体どこにいるのだろうか。

チュッパチャップス

▼2001年 7月 2日 (Mon) -- No.[326]

7月2日(火),僕はその時車を運転していた。そしてチュッパチャップスを右手に持っていた。タバコにも火を着けていた。こちらは左手の指に挟む。右、左と交互に違う味を楽しむ。子どもと大人の嗜好品を同時に。2つの世代が同居しているような気分でもある。

僕は右にカーブを曲がる。その時はタバコを一服。気持ちが瞬間的に両手の指から離れる。しばらく真っ直ぐな道が続くのを確認。遠くには青い信号が見えた。僕がそこにつく頃にはその色は変わっているだろう。次はチュッパチャップスの番だ。何も考えずにそれを口に運ぶ。

突然僕の舌に激痛。一瞬何が起こったか解らなかった。でも間違いない。それはタバコだった。何故ならめちゃくちゃ熱かったから。それに「じゅっ」て音がした。

Memento

▼2001年 7月 1日 (Sun) -- No.[325]

7月1日(日),金曜の夜に映画"Memento"を観に行く。全米で公開されたのは今年の3月。映画のReviewをかなり前に読んで興味を持ち、近所に回ってくるのを楽しみにしていたのだ。この遅れは配給先が小さいため。結局実際に観るまで4ヶ月もかかった事になる。

期待通りとても良かった。評価が別れる所だが少なくとも僕好みの映画。一般的には「興味深い」と評価される映画だろう。でも個人的には今年観た中で一番良かった。期待して観に行って満足して帰ってくる事はごく少ないが、この映画は例外だった。

映画のアイデアが斬新で、このようなアプローチは今までに無かった。ストーリーも良く練られていた。内容は暴漢に襲われ記憶障害になった男の話。彼はその事件以降新しい記憶を蓄積することができなくなる。そして15分を目安に脳ミソがクリアーされ、それまでしてた事を全て忘れててしまう。

まだの人には是非観てもらいたい。間違いなくオススメです。

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