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2001年秋セメスターの開始

▼2001年 8月31日 (Fri) -- No.[373]

8月28日(月)〜31日(金),28日。2001年秋セメスターの開始。僕にとって長かった学生生活にピリオドを打つ最後のセメスターになる(予定)。このセメスター取らなければいけないクラスは7クラス。本来ならば6つで収まるはずが、こちらのミスで一つ増えることに。ただしプレリクの問題で、普通にやっていては取りたい科目が全部履修できない。

アドバイザーと話し、学部の偉い人と話し合いを持つ必要がある。通してもらわないと卒業できないので、ちょっと真面目に考えなければ。最初の週で何とかスケジュールをかっちり決めたいと思う。

映画「Rat Race」を見る。コミックをそのまま映画化したような内容。「そんな事あるわけない」事の連続だったけど、割り切って見てるととても楽しかった。僕を含めた大半の客は映画の途中ずっと大笑いしてた。

31 日の午後になって全部のクラスが取れる事が正式に決まった。モヤモヤしてたのもすっきり。最初の週に無事スケジュールが確定。学部のチェアはすごく良いオジサンだった。21単位というのは今までに記憶したことがないくらい忙しいはず。クラスは月水が5クラス。朝8時半から夕方5時近くまで。火木は2クラスだが、最初の授業が8時〜9時15分。そして次のクラスが夕方5時〜6時15分。日中はかなりの空き時間があって嫌な予感がする。本当は朝だけとか午後だけとかにまとめたかったけどしょうがない。他に選択肢がなかった。

Casper(WY) → Moscow(ID)

▼2001年 8月21日 (Tue) -- No.[371]

8月21日(月),Casper(WY) → Moscow(ID)

もう帰るだけ。給油と食事以外ではどこにも寄らずにドライブ。モンタナからアイダホに入るあたりで道路工事と交通事故で大幅な遅れ。すんなり行ってたらかなり早く着いたと思う。

北西部はやっぱり寒いと思う。それまで夜中でもエアコンをつけないと暑かったのに、Moscowへ戻る山道を走ってた時には暖房が必要だった。急に寒くなったのが悪かったのか(?)、車のエンジンのかかりが急に悪くなった。もうバッテリーが古いんだと思う。一度車を止めた時、エンジンがかからなかった時にはどうしようかと思った。バッテリーを交換した方が良いと思う。

Moscowに着いたのは午後10時くらい。普段は何気なく目にしていた街並みが違って見える。ついに帰ってきてしまった。22日間。2001夏の旅行はここで終わり。

Seattleへ

▼2001年 8月26日 (Sun) -- No.[372]

8月22(水)〜26日(日),22日。旅行から帰ってきてすぐだと言うのに、22日にSeattleへ。これで1ヶ月の間に太平洋と大西洋を往復した事になった。一泊してMoscowに戻る。

24 日。映画「Rush Hour2」を見る。とても面白かったが、この映画を見ている時、つくづくジャッキー・チェンの動きにキレがなくなったなと思った。ちょっと前だったらあのトリッキーな動きがもっとキビキビしてたはず。彼が本格的にアメリカデビューをしたのが遅かったのが悔やまれる。家に帰ると新しいルームメイトが到着していた。前にいたSteveが出てってから空いていた部屋が全部埋まった。バージニア出身のNinh(ニン)。僕より一つ年上で、UIでフォレストリーの Ph.Dに入ることになったらしい。ベトナム系で顔立ちは僕と一緒。英語になまりがあって聞き取りにくい場合があるが、しばらくすれば慣れると思う。ずっと一人で運転してきて疲れがたまってみたい。

26日。Spokaneで映画「Planet of the Ape」を見る。予想してたより面白くなかった(それなりには面白い)。オリジナルが良過ぎたのかもしれない。でも新作のあの終わり方はどうだろうか。ちょっと疑問に残る。

Rocky Mountain N.P.(CO) → Casper(WY)

▼2001年 8月20日 (Mon) -- No.[370]

8月20日(月),Rocky Mountain N.P.(CO) → Casper(WY)

S君宅で早めに起きてすぐに準備。S君のルームメイトに挨拶。この日から学校のS君の健闘を祈り、またの再開を約束して出発。そこから車で一時間くらいにあるRocky Mountain N.P.へ。

ふもとの町で朝食と昼食を購入し園内へ入る。面積約1000平方キロメートルの公園には3600メートルを超える峰が78。この通り全般的に園内は標高が高い。最初に向かったのは数ある湖の一つ。トレイルを少し歩き、ピクニックテーブルに落ち着いて朝食。天気はイマイチ。

舗装道路の世界最高地点を有すトレイルリッジロードを行く。樹林限界に生きる針葉樹林を眺めながら走る。しだいに標高が高くなり、背の高い木々が姿を消す。そこからは高山植物の世界。この辺りはツンドラ気候らしい。そのツンドラの名前が付いたトレイルを歩いてみた。もうちょっと早かったら高山植物の花が咲き乱れる季節だったけど、今回はちょっと遅かった。少しだけ花が残っていたけど、その多くはもう枯れてしまっていた。残念。やっぱり標高が高いらしい。ちょっと歩いただけで息が切れたように思う。空気が薄いんだろう。舗装道路最高地点のすぐ近くにあるビジターセンターでランチ。窓の外には万年雪を湛えた山の頂がきれいに見えた。食事の後しばらく休憩。眠たくなって車で横になってしまった。

眼が覚めるともう夕方近くだった。トレイルリッジロードを戻り、公園を後にする。その時には晴れ間も見えて山がきれいにみえた。太陽が出ると岩肌が違った表情を見せる。険しい。ふもとの町で再び買い物をし、いよいよMoscowへの帰路へ。

もう帰るだけ。それでも一日で着く距離ではない。ワイオミングに入ってしばらく行ったCasperでストップ。12時くらいだったかな。

Hays(KS) → Ft. Collins(CO)

▼2001年 8月19日 (Sun) -- No.[369]

8月19日(日),Hays(KS) → Ft. Collins(CO)

数日前にMoscowからコロラドに移ったS君がいるフォート・コリンズ。予定では午後の3時には着く予定が、デンバーまでたどり着いたのがその3時。結局現地には4時ころ到着。天気はいまいち優れない。そう言えば去年もこんな感じの天気だったなー。

S君に電話をして待ち合わせ。彼と会うのは数週間ぶり。まだ新しい街に移って数日しか経っていない事もあって、まだ落ち着かない様子。簡単に今までの道のりを話し、その後彼の案内で街をウロウロすることに。

Moscow に比べたらだいぶ大きな街だった。この日は日曜で、ダウンタウンは道が通行止めになり何かのイベントをやってるみたいだった。出店がたくさん。僕らはしばらく辺りを散策し、適当なレストランに入る。時間的には夕食。あれこれと注文して、僕らの旅行の話や彼の大学の事など情報交換。聞いたら次の日からクラスみたいでS君は少し憂鬱な顔をしていた。出てきた料理、そこで醸造してるビールも美味しかった。

会計を済ませて外に出ようとしたら突然少しお酒に酔ったおばさんに話し掛けられた。「君たち中国人?日本人?・・・」少し話しを聞くと、何でも彼女の家に日本から来た12歳の女の子がホームステイをしているらしい。その彼女は次の日に1ヶ月過ごした家を離れる予定。しかし彼女は英語に不慣れで上手くコミュニケートできていないらしい。で、そのおばさんには、その日本から来た女の子に「今までどうだったか」とか「楽しかったか」とか聞いてもらいたい、と言うのだ。別に急ぐ必要はなかったので、その女の子の話を聞いてみることにした。

しばらく待つとホストシスターと一緒に登場。夏休みを利用して名古屋から来た中学1年生だった。彼女の話を聞くととても楽しくて時間が早く過ぎたとの事。英訳した言葉を聞いたおばちゃんはとても嬉しそうだった。ちょっと善い事をした気分。

改めて外に出る。今度は車で街を散策。S君の新しい大学も見せてもらった。PullmanにあるWSUよりも規模が大きいその学校。緑が多くてきれいなキャンパスだった。S君がんばってね。その後コーヒーを飲んだり、旅行で必要なものを買ったりしてたら何時の間にか10時半。この夜はS君の家にお世話になることにした。本当なら遅くまでお酒でも飲みたかった所だが、S君は次の日からクラス。迷惑はかけられない。12時前には寝る。

Dallas(TX) → Hays(KS)

▼2001年 8月18日 (Sat) -- No.[367]

8月18日(土),Dallas(TX) → Hays(KS)

9時半出発。Dallasで行きたい場所は一箇所だけ。JFKが暗殺されたとされるその場所。1963年当時は教科書倉庫として使われていた建物。現在は"The Sixth Floor"と名前が付けられ、オズワルドが銃口を向けたと「される」フロアは、そのまま事件に関する博物館になっている。

ガイドのヘッドフォンステレオとテープを借り、エレベーターで6階へ上がる。館内は照明が程よく落とされている。スイッチを入れ展示物を端から眺めた。テープの内容はJFKの業績や事件のあらまし。このテープ、ナレーションに迫力があり良く出来ていた。テープに沿って足を進めると、何時の間にかオズワルドがパレード中のJFKを狙ったと「される」窓へたどり着く。当時の姿がそのまま再現されていて、そこには囲いが。実際の窓際に立つ事は出来なかったが、それでも昔からテレビで何回も繰り返し放送され、目に焼き付いている暗殺の瞬間がプレイバックされる。アメリカ史に残るミステリー。確かにここからだと狙いが付かなくもない。でも実際の所はどうなんだろう。

ちょっと気分的に沈んだ所で外へ。館内に比べ外は良い天気。JFKが実際に撃たれた現場には黄色いポイントが付けられていた。気がつかなければ、「道路工事で間違えてペンキを塗ってしまった」くらいにしか思わないそのポイント。寂しげにアスファルトに浮かんでいた。

合計で1時間半ほど時間を費やす。朝食を抜いていたのでお腹も空いてきた。時間的にもお昼なので、車で30分の町Fort Worthで昼食。向かったのは西部劇に出てくるような場所、Stock Yard。かつてここはアメリカ最大の家畜取引場だった。今でも取引自体は行われているらしい。通りは昔の西部の面影を今だに残していた。僕らはそこにあるステーキ屋さんへ。リブを食べたけど肉が柔らかくてとても美味しかった。ここにはお土産さんも多いが、カウボーイ用品のお店も並び、ブーツや帽子、シャツなどを眺めながら歩く。

午後2時になりドライブ開始。とりあえず、次の目的地はコロラド州デンバーから北に50マイルくらいの街 Fort Collins。この日の予定は「出来るだけそこに近づく」というアバウトなものだった。大テキサスを北に抜け、何時の間にかオクラホマも縦断し、カンザスに入っても走り続ける。かなりカンザスを北上してから今度は西へ。そこまで来てまっすぐ走ればデンバー。Haysという街で日付が変わった頃ストップ。

New Orleans(LA) → Dallas(TX)

▼2001年 8月17日 (Fri) -- No.[366]

8月17日(金),New Orleans(LA) → Dallas(TX)

地元民に人気のレストラン"Mother's"で朝食。店内はそれなりに広いのに満席に近かった。味もGood。食事後市内をぐるぐるしてからNew Orleansを出発。

最初の目的地はタバスコ工場。世界中で見かけるタバスコはここルイジアナが発祥地。スパイスに特色のあるこの辺りの食事。タバスコがそんな風土から生まれたのも肯ける。僕らはその本社で工場ツアーに参加。到着は昼過ぎ頃。まずはガイドの説明を聞く。タバスコは唐辛子を加工すれば簡単に出来あがると思っていたのは完全な誤りであった事がわかる。あの小瓶に入ってる赤い液体は、この敷地内にある倉庫で厳密に管理された環境に3年もの間寝かされた結果だった。その原液が貯蔵されている樽も試行錯誤の後、選ばれた木材が使われてるらしい。小瓶の中身に隠された秘密。奥が深い。

意外な感激の後はひたすらドライブ。目指すはHustonのジョンソン宇宙基地。到着は夕方6時。人類が始めて月面に立ったアポロ11号と"This is Huston〜"などとやり取りしてたのを思い出す。丁度宇宙にいたスペースシャトルとの交信も現在進行形でここを通して行われていたはず。残念ながら色々なアトラクションやツアーに参加するには到着が遅すぎた。それでも入り口付近にある実際に使用されたロケット等で実物のデカサを実感する。

この日の最終目的地はDallas。Hustonを出たのは8時半。それから再びドライブ開始。地図上で見てもある程度時間がかかりそうなのは承知の上。 Hustonで泊まっても良かったけど先の予定もあるので進むことにする。結果的にDallas到着は午前1時半。旅行の疲れもかなり出ているらしく、運転がキツイ。それでも旅行のゴールは見えてきた。少し複雑な気分でベッドへ。

Crestview(FL) → New Orleans(LA) 

▼2001年 8月16日 (Thu) -- No.[365]

8月16日(木),Crestview(FL) → New Orleans(LA) 

モーテルで簡単な朝食をとってから出発。ルイジアナ州ニューオリンズには昼12時半に到着。モーテルにチェックイン後、昼食をとりに早速市内へ。

ニューオリンズは美味しい食事でも有名。クレオールやケイジャン料理はここが発祥地。簡単に言うとホット&スパイシー。スペインやフランスの植民地時代の流れと、奴隷制度の名残が絶妙にマッチして独特な料理が楽しめる。米と魚を使うので日本人の口にも合うと思う。市内に着いて有名なバーボン・ストリート近くにあるレストランで食べたのは、当地名物ガンボスープとジャンバラヤ。スープと言っても食べるスープ。お米も一緒に煮込んである。たっぷりの魚介類とドロリとしたスープで美味しかった。「ガンボ」とは西アフリカの言葉でオクラの事。食べてると何だか健康になれそうな気がした。ジャンバラヤはルイジアナ風のパエリア。スペイン料理の流れを汲んでいるんだろう。日本にいた時もこの料理を食べたけど、ニューオリンズ周辺が発祥地だとは知らなかった。普通のパエリアとは使ってるスパイスが違っていて、こちらも美味しかった。魚介類に臭みは全然ない。

食事の後はエキゾチックなフレンチ・クォーターを歩く。アメリカ最古の大聖堂、アメリカ最古のアパートに囲まれたジャクソン広場はこの辺りの中心。建物に歴史を感じる。続いてこれまたアメリカ最古のマーケット、フレンチ・マーケットをブラブラする。200年以上の歴史を持つこの場所は元々インディアンの交易所。日本の招き猫と同じ意味を持つワニの頭が店頭に並べられていた。

暑い。130年以上経営を続けるカフェに入り、チコリというスパイスが入ったカフェオレで一息ついた後は、ニューオリンズで有名な幽霊屋敷へ。奴隷時代に推定で100人以上の奴隷が犠牲になり、その霊が彷徨い今だに怪奇現象が見られるらしい。恐。アニマルズの名曲"House of the Rising Sun"のモデルになった元売春宿に立ち寄ってから、暗くなり始め雰囲気が一変し始めたバーボンストリートへ戻る。

至る所からライブ・ミュージックが聞こえ始めた通りを歩き、生ガキが食べられるバーへ。手ごろな値段で生ガキを1ダース注文。レモンを絞って口に入れると、とろける味が広がる。旅行で一番美味しかった。ビールと一緒に直ぐに無くなった。良い気分でネオンがきらめく外へ出る。

ニューオリンズと言って初めに頭に浮かぶのはJazz。やっぱり聞かなきゃ。8時から営業を始めるプリザベーションホールへ。1817年完成のホールは外見もボロボロ。中は木のベンチがいくつか並ぶだけで、大きさも小学校の教室より小さい。禁煙、飲食は出来ず、エアコンもなし。8時半から演奏が始まるが、ほとんどの客は立ったまま聞き入る。その音、30分1ステージのショーは最高だった。ギッシリ詰まった観客とその古めかしい内装がかもし出す雰囲気がたまらない。この蒸し暑さや、全ての状況が組み合わさらないと、この雰囲気は生まれて来ないだろう。2ステージ、休憩を挟んで1時間ちょっと演奏を堪能。

外に出るとびっくり。昼間と全然ストリートの賑わいが違う。人でごった返し、猥雑な街の明かりが益々人を呼び込む。人の流れに身を任せてしばらく歩いた後、車へ戻る。

そばにあったグローサリーでサラダやフルーツ、ジュースを買ってからモーテルへ。ビールを飲んで余韻に浸り、クールダウンしてから寝る。

Orland(FL) → Crestview(FL)

▼2001年 8月15日 (Wed) -- No.[364]

8月15日(水),Orland(FL) → Crestview(FL)

一年中暑いフロリダ。一年で一番暑いこの時期。この日は涼みにディズニーワールド内にあるプールとスライダーのテーマパーク、Blizzard Beachへ。プールに入るのは体力がいるのが予想され、朝からバフェでモリモリ食べる。天気は曇り。

11 時前に到着し、早速水着に着替えてプールへ。まずはゆったり流れるプールで園内を一周。その後は中心部分にある波の出るプールへ。人工の波は驚くほど高く、僕は溺れそうになった。でもそれが何故か可笑しくてたまらず、必死こいて泳ぎながら大笑いをした。死ぬかもしれなかった。このプールの脇には世界一の高さを誇るスライダーもある。スピードは最高で時速105キロに達するらしい。それ以外の滑り台をいくつか乗ってから、その世界一を体験するために人の列に並ぶ。やっぱり人気があって結局一時間くらい待たされた。

実際に順番が来て下を見ると・・・、何も見えない。いよいよ滑り降りる。まさにどこまでも落ちていく感覚。おしりが浮く。背中が摩擦でいたい。あっと言う間に下へ。面白かった。それからしばらくは波のプールサイドにあるデッキチェアに横たわる。1時間半くらい日焼けしてたかな。

4時半になって更衣室で着替え、テーマパークを後にする。次の目的地、ルイジアナ州ニューオリンズへ向け出発。日付が変わる頃、フロリダの西端Crestviewという街でストップ。

Orland(FL)

▼2001年 8月14日 (Tue) -- No.[363]

8月14日(火),Orland(FL)

前日のディズニーワールドに続き、この日はユニバーサルスタジオへ。寝過ごしたのと道が混んでいたので、開園時間には間に合わなかった。

それでも園内に入ると予想していたより人が少なく見える。ディズニーワールドと違って、全体的にゆったりとした造り。それで広々とした印象を受けたんだと思う。ここも整理券をフル活用してアトラクションを満遍なく回る。割と普段から映画をよく見る僕としてはとても面白かった。

ディズニーとは違いこちらは大人向け。喫煙も許され、アルコールもいたる場所で買える。そんな雰囲気も良かった。映画をテーマにしたアトラクションに加えて、ここではライブショーも沢山ある。スタントや、動物、ホラー映画に使われるメイクアップのショーとか。趣向を凝らしたものが多くて全部楽しめた。「特に」印象に残ったアトラクションはないが、全体的にかなりのレベルで満足。

アトラクションを乗り尽くすと閉園時間。時間は割と早かった(夜7時)。とは言っても出口近くにあるギフトショップは遅くまでオープンしていたけど。何かアメリカンな食事に飽きてきたこの頃の僕らは、モーテルに戻ってからキャンプ用品を使って自炊。やっぱり米食わないとね。

Orland(FL)

▼2001年 8月13日 (Mon) -- No.[362]

8月13日(月),Orland(FL)

開園時間にディズニーワールドへ。4つあるテーマパークの中で、最も「らしい」マジック・キングダムへ向かう。とにかく広くてワールド内にはハイウェイが走る。東京の山手線内部より広いというのも納得。一つの街と言うよりまさに世界。

メジャーなアトラクションを次々と制覇。ほとんどは東京ディズニーランドにあるのと同じかもしれない。でも東京にあるのに僕は一度しか行った事がなく、しかも良く覚えていないので純粋に楽しめた。時間を有効に使えるように整理券も配布され、それを利用して順序良く回る。世界各地からの観光客。ただ園内にいるだけで何カ国もの言葉が聞こえてきた。ディズニーの魅力って何なんだろう。

印象に残ったのはエイリアンに襲われるやつ。デカイ音と照明、固定されたイスで僕は本当に怖くなった。かわいらしいキャラが溢れるディズニーで、このアトラクションは異色だろう。僕がなぜそれまで怖くなったかというと僕の閉所恐怖症に原因がある。暗くて身動きが取れなくなると、精神的に発狂してしまうのだ。これは冗談ではない。息づかいが荒くなって可呼吸で死んじゃうんじゃないかと思った。もちろん安全なアトラクションで、僕の身に何かが起こる事はありえないのは十分承知の上。それでもダメなものはダメだった。全てが終わった後に明るい外に出ると泣いてる子供もいた。その気持ち良くわかるよ。

それと昼頃に見たパレード。この日もめちゃくちゃ暑く、踊ってる女の人から突然鼻血が出てきた。好きな仕事なんだろうけど大変だなー。彼女は直ぐにどこかに消えた。ディズニーに鼻血は不釣合いなのだ。

暗くなる前にはほぼ園内を行き尽くした。丁度その頃に雨が降り出してしばし休憩。雷も鳴る。この時期良くあるスコールだろう。空が再び晴れ上がった頃、ピカピカするパレード(名前忘れた)を見る。朝から夜まで飽きさせないのは凄い。鼻血はなかった。それが終わってしばらくすると、閉園を知らせる大きな花火。独立記念日に見たPullmanの花火とは全然違った。シンデレラ城の真上に大きな花が咲く。こんなの毎晩やってたらお金もかかるだろうなー。もちろんそれだけ客から取ってるんだろうけど。

花火を見た後はモノレールで駐車場へ戻る。例によって車の場所を見失ったが、運良く一発でたどり着く。日中はとても暑く、人ごみに紛れて歩き回り、夜は夜でパレード、花火を見るために立ち尽くす。遊び疲れた一日。

Long Key State Park (FL)→Orland(FL)

▼2001年 8月12日 (Sun) -- No.[361]

8月12日(日),Long Key State Park (FL)→Orland(FL)

夫婦が出ていく車の音で目が覚めた。しばらくテントの中でモゾモゾしてから外へ出る。良い天気。目の前の海は透き通って魚が泳いでるのが見える。沖合いにはヨットがゆらゆらと浮かぶ。今回はデジカメを持っていかなかったので、この風景をウェブ上に写真で残すことが出来ないのがちょっと残念。

前の晩に買っておいた朝食を済ませ海に入ってみる。水着はMoscowに忘れたので、フロリダに入ってから購入したものだ。海は遠浅でどこまで入っても水は腰くらいまで。日差しが強く海水に体を浮かべて体を冷やす。何とも言えない幸せ。夏休みはこうあるべきだ。何も考えずにのんびりする。

キャンプサイトをお昼に出なければならず、海から上がって昼食の準備に取り掛かる。朝食同様、前の夜に買っておいたビーフを豪快に焼く。ご飯も同時に炊く。出来上がった料理をコロナのCMみたいな背景で食べる。もちろん美味しい。昼間からビールも飲む。でもこんな場所で食べたらなんでも美味しく感じられるんだろうなー。

食事を採った後はシャワーを浴び、海水のベタベタを洗い流してからオーランドに向けて出発。シャワーを浴びてると日焼けしたように感じた。この日も日差しが強かった。

マイアミを越え、オーランドに到着したのは午後9時。予定では次の日にディズニーワールドへ行く事になっていたので、オーランド到着後に前もってチケットを購入。ついでにユニバーサルスタジオのチケットも。日に当たるのって結構疲れる。12時頃寝る。

その2

▼2001年 8月11日 (Sat) -- No.[360]

8月11日(土) その2,実は午後にキャンプサイトに到着した時点で何故かそこにはテントが張ってあった。もちろん疑問に思ったけど、キーウェストに早く行きたい気持ちが強く、前にいた人の「忘れ物」と勝手に決めつけたのだ。でもよくよく考えるとテントを忘れる人なんているわけない。キャンプサイトはフロリダの州立公園の一つで、本当に目の前が海。

夜帰ってきた僕らはテントの前に車を止めた。僕らはキャンプサイトのオフィスからもらった、当日付けの証明書をちゃんと持っている。何かの間違えではないか。ヘッドライトで照らされ、当然テントから出てきた夫婦ととにかく話してみる。すると彼らもちゃんとした文書を持っていた。つまり完全なオフィスの手違い。でもこの時間ではオフィスには誰もいない。問題を解決するため話す相手は直接の当事者同士、この夫婦だけ。

こうなったらどうしようもない。幸い彼らは良い人たちで「だったら一緒にサイトを使おう」という事になった。彼らは翌朝早くに釣りに出かける予定で、僕らが目を覚ます前に出発するらしい。彼らの車をブロックしないように僕らも車を停め、テントをセットアップすれば何の問題もない。結局彼らに手伝ってもらいながらテントを建てた。彼らはフロリダの他の街からやってきた夫婦。週末を利用してここにきたらしい。奥さんはドイツ人でもうフロリダに26年間住んでると言っていた。両方とも良く喋るにぎやかな人たち。

一つのサイトにテントが2つ。やっと落ちついたそれぞれは別々に寝る。空には星が沢山。ビールを飲みながら、何も考えずに空を見上げていると流れ星がいくつも見えた。海からは波の音が一定のリズムで聞こえてくる。フロリダまで来て良かった。

St. Pierce(FL) → Key West(FL) → Long Key S.P.(FL)

▼2001年 8月11日 (Sat) -- No.[359]

8月11日(土),St. Pierce(FL) → Key West(FL) → Long Key S.P.(FL)

前には到着し、ビーチから少しだけ入ったレストランで昼食。ここで食べたサーモンバーガーとシーフードパスタは絶品!やっぱり海に近いと美味しい魚介類が食べられる。はっきり言ってしまうと、アメリカに来てからパスタを食べて美味しいと思ったことはあまりなかった。でもそれも今回の旅行で印象が変わったように思う。

ビーチ沿いにはアールデコ様式を取り入れたカラフルな町並みが続く。直線を重視した実用的なデザイン。パステルカラーで統一されたこの周辺は、今までの街とは雰囲気が全然違った。

食事をとってからビーチへ。目の前には青い海と白い砂浜が広がる。嬉しくて裸足で歩いてみたが、砂は火傷するほど熱かった。ビーチにはパラソルが並び、みんなデッキチェアでくつろいでいる。もちろん海に入る人たちも多い。あれだけ日差しが強くて暑かったら当たり前か。ビーチではライフセービングの大会が開かれていた。リレーのバトンみたいなのを取り合うレースをしていた。まるでドラマ「ベイウォッチ」みたい。僕も海に入りたかったが後に取っておく事にした。

午後はマイアミのダウンタウンを通って、フロリダ半島の先端、キーウェストへ向かうUS-1を走る。最初はかなり近くだと思ってたけど、地図を見直すと結構遠い。5時くらいになって予定していたキャンプサイトに到着。そこからキーウェストまではセブンマイルブリッジを渡って1時間ほど。

青い海に7マイル(11.2キロ)に渡って伸びた一本の白い橋。セブンマイルブリッジはきっと空から見たらきれいだったんだと思う。実際にその上を走ってたらそれはやっぱりタダの道。それでも窓の外は左右両方とも海。見渡すとさんご礁で出来た小島がよく見えた。

キーウェスト到着は結局8時頃。道路が結構込んでいた。ヘミングウェイなどの作家に愛されたこの街で最初に向かったのは、アメリカ最南端の碑があるサザンモストポイント。実際の最南端は米軍の基地内にあるらしいが、記念碑の前には観光客が沢山いた。その観光客を狙ってチップをせびる人も何人かいた。チップくれたら写真撮るよ、って言われたけど僕らは他の観光客に頼む。ヘミングウェーが実際に住んでいた家もこの近く。彼が残した作品の70%はここキーウェストで執筆された。

ダウンタウンをウロウロしてたら何時の間にか10時に。街には独特の活気が出てきたが僕らはキャンプサイトへ戻る。すると何故か僕らが取ったはずの場所に人と車が・・・。(その2に続く)

WashingtonDC → Daytona(FL)

▼2001年 8月10日 (Fri) -- No.[358]

8月10日(金),この日は基本的にドライブ。ひたすら南下。ジョージア州を走りぬけ、フロリダに入ったのは夕方くらい。一口にフロリダと言っても広い。僕らが目的としていたDaytonaへの到着は午後9時。

前夜の事。テレビを何気なくつけていたらシャトル発射延期のニュース。ではシャトルはどこから打ち上げられるか?実はDaytonaから車で1時間半くらいのケネディ宇宙センター。それから「延期」のニュースという事は、つまりスペースシャトルの発射を見られるのではないか。僕らは偶然だけどそのニュースを聞き、その時からかなり真剣に発射の瞬間を見るつもりだった。Daytonaに実際に着いてから情報収集開始。しかしケネディ宇宙センターへの電話がどうしてもつながらない。頭にきて10時を過ぎてからじゃぁ直接行ってみようかという事に。

しかし!目的地近くでハイウェイを降り、 Wal☆Martで必要な物を購入してる時、客のおばちゃんと話すと・・・。「もう入っちゃったよ」との事。かなりショック。アメリカ人でも中々見られない打ち上げを見られると思ったのに・・・。この日はそれだけを考えてひたすら車の運転をしてたのに・・・。あぁぁあぁぁぁぁぁ。

ショックに打ちひしがれてモーテルへ。

DC

▼2001年 8月 9日 (Thu) -- No.[357]

8月9日(木),起きてからドーナッツとオレンジジュースをモーテルで。食べてから直ぐに出発。

最初に向かった先はFBI本部。連邦捜査局の本部はDCにあった。何とかパーキングを探してからツアーに参加するため列に並ぶ。アメリカ人にはかなり人気があるらしい。結局1時間くらい待ったと思う。手荷物チェックと簡単な説明を受けてから中へ。アメリカで実際に起こった事件で使われた武器などの展示。マフィアなどの情報公開(そこには日本のヤクザも)。DNA鑑定の行程などを見学。JFKが撃たれたとされるショットガンも展示されていた。最後には現役の職員による実弾の発射実演。普段「割と」ピストルには慣れてるかも知れないアメリカ人だが、マシンガンの音を耳にするのは初めてのようで、みんな喜んでいた。的を見るときれいに体の中心が撃ち抜かれていた。僕はちょっと怖かった。

続いてスミソニアン協会が管理する国立航空宇宙博物館へ。 DCにある博物館の中でも一番人気でかなり混んでいた。人類の空の歴史を網羅するように展示物が並ぶ。ライト兄弟からスペースシャトルまで。実際の飛行機が天井から吊るされ迫力がある。第二次大戦で使われたゼロ戦もあった。エノラゲイはやっぱりそこにはなかった。

DCにある美術館、博物館は入場料を取らないのも嬉しい。航空博物館を出たあとは国立絵画館へ。ヨーロッパ以外で見られる唯一のレオナルド・ダ・ビンチの絵画などを見る。アンディ・ウォーホールの有名な自画像やマリリン・モンローなども。

遅めの昼食を食べ終えたのが4時。全ての博物館、美術館は5時には閉まるので急いで他の施設へ。今度は国立自然史博物館。スミソニアンで最も古いこの場所。入り口には大きなアフリカ像の剥製。地球46億年の歴史がぎっしり詰まっていた。以外に面白かったのは鉱物の展示。世界で一番大きなダイヤとか、ルイ16 世が身に着けていたアクセサリーとか、他にも色とりどりの鉱物が目を引いた。自然って不思議と思ってたら閉館時間に。こればかりは仕方がない。太陽に照らされめちゃくちゃ暑くなった車に戻る。

DCは今考えるともっとゆっくり見て回りたかった。たった1泊では圧倒的に時間が足りない。出来ればあと2泊くらいしたかったかな。知的好奇心をあおるこの街には、またしばらくしてから行ってみたい。

そんな事を考えながらフロリダへ向け出発。バージニア州、ノースカロライナ州を抜け、サウスカロライナに入って車を停める。

NYC(NY)→Washington DC

▼2001年 8月 8日 (Wed) -- No.[356]

8月8日(水),NYC(NY)→Washington DC

3晩泊まったNYCを出発。Moscowを出てから既に3000マイル以上走ったので、モーテルを出てから最初にオイルチェンジ。10分でやってもらってからPhiladelphiaへ向かう。この日の予定はDCまで到着する事。

アメリカ独立が宣言されたPhiladelphiaに着いたのは昼過ぎ。ロダン美術館を見る。入場料はタダみたいなものでそんなに大きくはない。「小さい」と言っても、ロダンだけを集めたものとしてはフランス国外で最大らしい。入り口には有名な「考える人」。想像してたのより大きい。そういえば僕が卒業した小学校にもニセモノがあったな。静かな中に入ると彼の作品がズラリと並べられていた。マスクが険しい顔でとても迫力があった。彼が30年をかけて製作した大きな壁画(正しい表現かどうかわからない)もあった。その大きな壁画の一番上にも「考える人」が鎮座している。しばらく眺めていたが非常に哲学的な印象を受けた。ロダンにとっては「考える」という行為が人間の象徴なんだと思う。

美術館の後はインディペンデンス国立歴史公園。アメリカ誕生の地。独立宣言が採択され、初の議会も開催された場所。公園内にビジターセンターやアメリカ初期の歴史にまつわる建物が程よく散らばっていた。そんなに広くはないので簡単に歩いて見学。喉が渇いた僕ら。1774年創業の歴史ある居酒屋が改装されたレストランで一休み。スタッフは当時の衣装でサービスしていた。すごいのかすごくないのか良くわからないが「最初の星条旗を織った女性の家」というのも車から眺める。

Philadelphiaの街中はこれで終わり。続いて「幻のコレクション」と呼ばれるバーンズ・コレクションを見るために郊外へ。バーンズが個人的に集めたこれらの作品。ルノアール、セザンヌ、マチスらをはじめ、ピカソやモジリアーニ、モネなど美術館以外でこれだけの作品群を見られるのは世界中でもまずない。しかしバーンズ財団の場所を見つけ出すのに苦労してしまい、閉館時間を過ぎて到着。あんな場所にあったら絶対わかんないって。残念だけどしょうがないです。

夕方近くになりDCへ。この辺りは大きな街が続くので旅行しやすい。Moscowを出てから数日間のように一日15時間ドライブも当然なし。日が沈むくらいになってからDCまですぐ、Maryland側でモーテルを確保。チェックイン後、早速DCへ。遅くても見られる場所が沢山あるのがDCの良い所。

アメリカの州のどこにも属さない特別な街。政府の直轄地なだけに政治に利用される建物が沢山。国会議事堂を見てからホワイトハウスへ。この夜大統領はここにいたのだろうか。続いて白塔がまっすぐ夜空に伸びるワシントン記念塔。険しい顔をしたリンカーンが重々しく座るリンカーン記念館。ジェファーソンが悠然と立つジェファーソン記念塔を立て続けに見る。この辺りは24時間オープン。日が落ちて外は幾分涼しいし、全部がライトアップされて美しい。テレビで見た建物ばかり。

お腹が空いてレストランで遅めの夕食を取ってからモーテルへ戻る。洗濯がしたかったがランドリーは閉まっていた。AM1時を回ってから寝る。

NYC3日目

▼2001年 8月 7日 (Tue) -- No.[355]

8月7日(火),NYC3日目。8時くらいに起きてモーテルに置いてあるドーナツで朝食。9時に出発。最初の目的地はメトロポリタン美術館。地下鉄を降りてからセントラルパークを横切り到着。

世界4大美術館の一つでギャラリーの数は世界最多。とにかく広かった。展示されてるコレクションも古代から現代まで、洋の東西を問わない。ゆっくり見てたら優に2日間はかかるだろう。僕らはこの日だけしか当てられなかったので足早に見て回る。興味を引いたのは古代エジプト、ギリシャ、ローマの美術。大きな展示場に遺跡がそのまま復元され、まじかで見たらとても迫力があった。変わった所では武器や鎧を集めた甲冑の部門や、世界中から集めた楽器群。どんな音が出るのか想像するのも楽しい。入り口は世界中からの観光客で込み合っていたが、ギャラリーに入ってしまうと部分的には全く人がいない。冷房が効きすぎて寒いくらいだった。広くて人がすぐに散らばってしまうんだろう。僕らはそこを6時間ほど歩き回ったが、それで漸く全部を見ることが出来た。

午後4時を過ぎてからセントラルパークを歩く。街の喧騒もここまでは届かず、場所によっては静か過ぎて怖かった。お腹が空いたので数々の映画にも登場した Boat House Cafeに入るが、時間が中途半端で食べられるものはなし。そのかわりと言ったら違うかもしれないが、にこの日も暑かったのでビールで喉を潤す。

一休みした後はジョン・レノンが亡くなった後、オノ・ヨーコによってデザインされたストロベリーフィールズまで歩く。目立たない場所だけど、はっきり "Imagin"と刻まれていた。そのジョン・レノンが殺害された時暮らしていたダコタアパートの近くから地下鉄に乗り、次にコロンビア大学を見に行く。

元々有名な学校だけど、日本ではノムラサチヨやウタダヒカルでさらに有名になったこの大学。でも地下鉄を降りて大学へ向かう途中はかなり雰囲気が悪かった。恐らくこの旅行で一番嫌な予感がしたのはここだったかもしれない。そもそもコロンビア大学は、この地域の開発の一環として建設されたと言うのも肯ける。それでも何事もなくキャンパスへたどり着く。大学は思っていたよりは大きくなかった。都会の大学はきっとそんなものなんだと思う。NY大学やシカゴにあったルーズベルト大学もそんな感じだった。

コロンビア大学を見た後はさすがにお腹が空いて、情報誌でチェック済みのたこ焼き屋へ。NYでたこ焼きを食べられるとは。ついでにそこでは焼きソバとお好み焼きのセットがあり、おたふくソースの誘惑に負けて買ってしまった。さらにこのお店の斜め向かいにあった蕎麦屋にも勢いで突入。ここは蕎麦は手打ち。客の目の前でのパフォーマンスの意味もあるかもしれない。どの料理も美味しかった。特に蕎麦は麺にコシがあり、さっぱりしてとても良かった。店内もかなりの賑わい。

食事後はグリニッジ・ヴィレッジを歩く。この辺りには日本食レストランが多く、居酒屋とかもあった。焼き鳥が美味しそうだったが、あれだけ食べたらもうお腹には入らない。古着屋さんとかを見て回る。モーテルに戻ったのは11時くらい。この日も暑かったなー。

NYC2日目

▼2001年 8月 6日 (Mon) -- No.[24]

8月6日(月),NYC2日目。モーテルをチェックアウト。そこはこのエリアにすれば安い方だったが、さらに安い場所を探す。するとすぐ近くにさらに割安のモーテル発見。かなり怪しかったが部屋自体は広かったのでそこに移る。

12 時近くになってから観光開始。まずは自由の女神。とりあえず行っておかないとね。フェリーはシーズンでかなり混んでいた。それでも30分待ちで何とか乗船し、女神が松明を掲げているLiberty Islandへ。潮風が心地よい。15分くらいで到着し、早速正面に回りこむ。女神は近くから見ると以外に大きかった。前々から目の前で見ると実はかなりちっぽけなんじゃないかと思っていたのだ。でも彼女は台座の上に立っていて、それが高いことは確かでもある。一つの発見は女神は足を曲げていたこと。僕はただ棒立ちだと思っていたが、よく見ると片方を軽く曲げ、後ろから見ると足の裏が見えていた。どうでも良い発見かもしれない。

続いて全米一大きなチャイナタウンへ。中国語が元気良く飛び交う。昼食がまだだったのでレストランで食事。やっぱり中国語で話し掛けられた。続いて近くのリトルイタリーへ。お腹を落ち着かせるためにカフェでエスプレッソをすする。チャイナタウンとは通りを一つ挟んだだけだが、雰囲気ががらっと変わって面白かった。そのまま歩いてイースト・ヴィレッジへ。僕が日本にいる頃から見たかったブルーマンショーの劇場がこのエリアにあり、チケットがあるのか確かめに行ったのだ。でもあいにく、というか予想通り売り切れ。前もって滞在する日がはっきりしていれば予約も出来たんだけど。残念。その後SOHOをウロウロしてたら何時の間にか暗くなった。バス、地下鉄を利用したが歩いた距離も多く、この日は早めにモーテルに戻ることに。とにかくNYCは人工的な暑さがキツイ。夜になっても気温が一向に下がらなくて困る。Moscowでドライな気候に慣れきってしまった僕としてはつらいです。でも良く考えてみると日本の大きな街も全く同じなんだよね。蒸し暑くて。

のどが渇いたのでキンキンに冷えたビールを買い、モーテルに戻ったのは午後10時。でも晩御飯がまだだったので部屋の中で自炊する事に。キャンプ用品はこんな時に役立った。パスタを茹で、お茶漬けのモトをふりかけてからバターで和えて食べる。やっぱり暑かった日のビールは美味いな。

New York City

▼2001年 8月 5日 (Sun) -- No.[23]

8月5日(日),前の晩に残ったご飯でお茶漬けを食べて出発。公園にビーチがあったがフロリダまで持ち越す事にした。いよいよNew York Cityへ。

マンハッタンのすぐ外、ニュージャージー側のモーテルに入ったのはお昼過ぎ。ちょっと休憩してからシャトルバスに乗ってトンネルを抜けマンハッタンへ。下手に車で行ったらパーキングとか大変そうだから今回は全てバスを使った。バスの行き先はブロードウェーの目と鼻の先。

最初に行ったのは国連本部。出来ればツアーに参加したかったが時間が遅かった。手荷物検査を受けてから中へ入るといくつかの展示物が。銃を加工して世界平和を謳った物が興味深かった。国連本部を見た後はSony Plazaへ。大きなSonyのショーケースで中には過去から現在、未来へと移り変わる電気機器が。自分が参加して楽しめる物が多く、子供も楽しそうに遊んでいた。これだけの施設を無料で一般に開放するSonyはすごい。でもよくよく考えると宣伝の一部。しっかり自社製品を下で販売してた。

5 番街周辺をウロつく。有名ブランドのショップが並びウィンドウショッピング。ロックフェラーセンターとかレディオシティーとかも行ってみた。NBCのスタジオがあり、個人的には中を見学するツアーに参加してみたかったが、こちらも既に時間が遅かった。残念。やっぱり人の数が全然違う。今まで行ったアメリカの都会と比べてみても断然多い。活気も溢れててそこに居るだけで僕はウキウキしてきた。

歩いてEmpire State Buildingへ向かう。お腹が空いたので途中にある韓国料理屋さんへ。その一角は韓国料理が多かったが、このお店は中でも一番込み合っていた。中に入ると韓国語が威勢良く聞こえてくる。本国の人間が行くお店は、概して外れる事がない。ここもその例に漏れずとても美味しかった。スタッフも親切で良い。

Empire Stateへ着き、展望台へ上がろうとすると長蛇の列。スタッフによると90分待ち。ここまで来たら変えるわけにも行かないので辛抱強く待つ。通路は冷房があまり効いていない。フロアをグルグル一周するように列が伸び、スタッフ用通路みたいなのを越えた所でようやくチケットブース。でもこれはあくまで「チケット」の列。購入後も再び並び、ようやくエレベーターへ。長かったー。

86階の展望台へ上がる。さらに上、102階の展望台はクローズされていたが、そこからでも夜景はきれいに見えた。よく見たら遠くに自由の女神も。並んでる時にはあれだけ人が沢山いたけど上はそうでもなかった。どうなってるんだろう。待たされたのを忘れ、ぼけーと夜景を堪能。

時計を見ると何時の間にか10時を回っていた。そこから再びバスのターミナルまで戻る。トンネルを抜けモーテルへ戻ると11時。疲れて寝る。

Boston (MA)→Roky Neck State Park(CT)

▼2001年 8月 4日 (Sat) -- No.[22]

8月4日(土),Boston (MA)→Roky Neck State Park(CT)

起きてからBoston市内観光。最初に川を渡ってCambridgeへ。ここには世界的に有名な二つの大学、HarverdとMITがある。アメリカ最古で水準も最高峰のHarverdを見学。歴史のある門構えは風格と威厳が漂う。あいにく小雨がふっていたが、それも大学をシックに見せていた。ここに皇太子妃雅子さんも通ったのかと考えてみる。キャンパス内には観光客が結構沢山いた。ツアーもあるようだ。でも現役の学生にしてみれば、一年中旅行者がウロウロして邪魔でしょうがないんだろうな。今は夏休みに入ってるらしく、本物の学生はあまりいなかったけど。それと何故かキャンパスには井戸があった。この後日本で言う生協みたいなのでちょっと買い物。

次にMITの脇を通り抜け、再び橋を渡ってWaterfrontにある"Boston Tea Party Ship & Museum"へ。世界史で習った「ボストン茶会事件」の場所。イギリスの不可解な課税に憤慨した植民地時代のアメリカ人がパーティでお茶の入った木箱を海に投げ捨てた事件。これをきっかけにアメリカは独立を求める動きが急速に高まった。アメリカの歴史で大事なポイントの一つ。しかし!そこに行って見ると最近火事があったらしくMuseumは焼け落ち、立ち入り禁止になっていた。しょうがないので係留してある原寸の複製船を眺めただけ。ちょっと残念。

この日は土曜日。丁度"Haymarket"と呼ばれる市場が開催されていた。車で向かう。市内の観光スポットは車内から眺めた。古そうな建物ばかりだ。マーケットの場所は前の夜に行けなかったイタリア人街の側。マーケットは人出も多く、活気が溢れていて面白かった。野菜とか安い。シーフードも多い。しばらくBostonに滞在するのであれば何か買って行きたかった。

市場を散策した後はお腹が空いたので食事。近くのイタリアンレストランへ。ロブスターサンドとシーフードパスタ。アメリカへ来てから入ったイタリアンで少なくとも一番美味しかったと思う。両方ともネタが新鮮なんだと思う。 Moscow近辺のイタリアンとは全然違う・・・。ロブスターは「時価」で、恐る恐る値段を聞いたがそうでもなかった。ちなみに食べなかったけど Bostonのマクドナルドにもロブスターサンドがメニューにあった。恐らくBostonだけだろう。NYにはなかった。Seattleにあってもおかしくはないと思うけど。

パーキングを出る際に車のバッテリーが上がってジャンプスタートするハプニングはあったが、次の目的地、いよいよ NYCに向けて出発。この日の内にNYCまでたどり着くことは十分に可能。しかし週末なのでモーテルを探すのが大変だろうという判断から、この晩はマンハッタンまで90分くらい、コネチカット州の"Roky Neck State Park"で旅行に入って初めてキャンプする事に。

午後7時にはキャンプサイトに入る。この公園にはビーチもあった。天気が良かったので泳ぎたかったが肝心の水着がない。しょうがないので諦め、買い物をしてからお米を炊きレトルトカレー。気が付いたら曇り出して雷の音。辺りも直ぐに暗くなった。雨はさほどでもなかったのが幸い。テントの中で翌日の予定を考えて早めに寝た。

Syracuse(NY)→Boston(MA)

▼2001年 8月 3日 (Fri) -- No.[21]

8月3日(金),Syracuse(NY)→Boston(MA)

フロントからの電話で目が覚める。普通チェックアウトは11時、でもその時間になっても出てこないから電話がかかってきたのだ。訳を言って12時まで待ってもらう。やっぱり前の晩は疲れていたんだと思う。一応目覚しかけたんだけどなー。

モーテルから出発。当初の予定ではBostonへ行くつもりは無かった。が、NYCの手前でBostonとの分かれ道に差し掛かった時に「どうせだから」という曖昧な理由でBoston行きも決定。

僕が初めてアメリカに来た時の事。世話をしてくれた親戚が僕をSeattleまで迎えに来てくれた。親戚は車の中でその時走っていたI90がSeattle からBostonまで延びている事を教えてくれたのだ。来たばかりでアメリカの広さを把握してなかった当時の僕は、漠然と彼らの話しを聞き、そして「とにかく長いハイウェイ」くらいにしか思わなかった。しかしある程度月日が経ってその意味をようやく理解。最初は簡単に聞かされたけど、良く考えたら太平洋から大西洋までアメリカの北部を横断するハイウェイ。つまりBostonまで着いたら、海を挟んでヨーロッパはすぐそこなのだ。

そして僕は実際にこの日の夕方Bostonまで辿り着いた。モーテルにチェックインした後、早速夕食を摂りに街を散策。目指したのはイタリア系移民が多く、美味しいシーフードが食べられる街。しかしダウンタウンへ向うに連れどしゃ降りの雨。どんどん勢いを増し、地面が揺れる雷も。最初はただのスコールと思ってたけど、しばらく経っても止む気配が感じられない。そのため視界が悪いのに加え、Bostonの街は非常に道が分かり難い。真っ直ぐ車を走らせてた思っても何時の間にか通りの名前が違ってたりする。ここでかなり時間のロス。

地図上の目的地は分かってるのに、到着したのは全然ちがう野球のスタジアムの方だった。それに気が付いたのは試合が終わって観客がゾロゾロ歩いていたから。何時の間にか10時近くになっていた。そう言えば野茂は確か Bostonだったなー。しょうがないのでイタリアンは諦めてそこにあった日本食料理屋さんで食事。何も考えずに入った店だったけどちゃんと日本の味がした。ウェイトレスは謎のアジア系だったけど、カウンター越しの板さんは日本から来た職人のようだ。美味しかった。

帰りもかなりてこずったが、行よりはスムーズにモーテルまで。ビールが飲みたかったけど諦めて寝る。

Chicago(IL)→Syracuse(NY)

▼2001年 8月 2日 (Thu) -- No.[20]

8月2日(木),Chicago(IL)→Syracuse(NY)

前の晩はかなり疲れていたらしい。何時の間にか寝てしまい、起きたら朝の6時。顔を洗ってからコーヒーを買って出発。途中Moscow近辺ではあまり見かけないHardee'sで朝食。

この日の予定はナイアガラの滝を見た後先に進む事。相変わらず東に進む。Moscowを離れる前にCDを作ったけど、その時点で何度も回していたので聞き飽きてしまい、結局ずっとラジオを聞いていた。心なしかカントリーのラジオ局が少ない気がする。カントリー嫌いの僕は結構嬉しい。

ナイアガラに到着したのは午後3時頃。まずはアメリカ側から滝を眺める。はるか昔巨大氷河が溶けた結果形成されたこの滝、世界中から観光客で溢れていた。写真を何枚か撮ってから直ぐにカナダ側へ。ナイアガラ川に架かる橋を渡り国境を越え、簡単に入国審査を通過。

カナダ側はいかにも観光地といった雰囲気だった。人の数も全然違う。あまり本来の滝とは関係のないショップやアトラクションも沢山あった。滝は評判通りカナダ側から見た方がスケールが大きい。実際に幅はアメリカ側の2倍。まずはせっかくだから"Maid of Mist号"で滝壷近くまで行く。船が滝に近づくにつれ水しぶきが増して来る。ポンチョを被って何とかしのいだがそれでも服は結局濡れた。滝は目の前で見ると大迫力。

船から下りた後はお腹が空いたのでタイ料理。エビ入りヌードルみたいなのが美味しかった。お腹が膨れてからはナイアガラ観光第2弾。バスに乗り他のビューポイントへ。本来ならばそこから滝の裏へ歩くツアーがあったが、Chicagoで歩きつかれたので今回はパス。そうしているうちに太陽も落ち、辺りが暗くなってきた。夜になってライトアップされ滝も表情が違って見える。照らし出された滝を眺めつつ車の駐車場へ。

午後10時出発。僕としては早く休みたいところだったが、ひょんな事から同行した友人の友人に会いに行く事に。そこまで車で2時間。久しぶりの再会をした後、彼女のアパートを出たのが午前2時。僕は眠たくなったが運転を頑張り、結局目的としたモーテルにたどり着いたのは午前4時・・・。もうちょっとで日が明ける時間。すぐにベッドに倒れこみ就寝。

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