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David Lee Roth & Sammy Hagar(その4)

▼2002年 6月29日 (Sat) -- No.[420]

勝手な総評:(なので文句を言われても困るよ)

David Lee Roth/Sammy Hagarの組み合わせコンサートは、僕にとって何度も書くように鳥肌が立つほど貴重な経験。このライブに観客として参加出来たおかげで、15年近く Van Halenのファンである僕の夢が叶ったとさえ思う。目がギラギラしてきて居ても立ってもいられなくなるDaveのステージ、家族的で暖かい雰囲気に溢れたSammyのステージ、両者の特徴が良く出た内容の濃い3時間だった。

シンプルなセットの中でその中央に立ったDave。そんな飾りを取り除いた舞台上だからこそ、彼のパフォーマンスが余計に際立って見えた。昔のビデオ等では彼の動く姿を見た事はあったが、生で観客を煽る彼を見るのは初めて。その為に彼がステージ上に姿を表しても、現実の物として直視できない程に感激してしまった。ライブ中は昔と変わらないワイルドなセックスアピールを披露。しかし同時にやっぱり年を取ったかなという印象も否めない。額の後退具合や顔に刻まれたシワも見て取れてしまった。前から5列目という至近距離の「罪」の部分なのかも。

曲目には大満足。個人的にはあと1曲くらいはソロになってからの曲をやっても良かったと思う。Sammyのわがままで、彼がボーカルをしていた時のVan Halenでは絶対にセットリストに入らなかった名曲"Unchained"を聞けて感動した。またオリジナルであるDaveの声で"Panama"や "Jump"を聞けたのも一生思い出に残るだろう。ソロになってから出した"Yankee Rose"ももちろん良かったし。

マイクを握るDaveの姿。そんな彼に「昔の名前で出ています」的な雰囲気を感じてしまったのは少し複雑な思いがする。基本的に彼には作曲の才能はない。バンド時代はEddieが曲を書き、Daveの如何にもロックスター然とした立ち振る舞いで、バンドは大成功を収めた。彼は調子に乗ってソロになり、確かにそれから数年間はVan Halenと張り合う位の勢い。しかしそんな彼も長続きはしなかった。最近出したCDも泣かず飛ばずで、今から少なくとも10年以上はヒットから遠ざかっているはず。言葉を変えるならば、昔の曲をやらないとDaveは食っていけないのだ。そう考えたら、ステージ上で笑顔を振りまく彼の姿に哀愁を感じてしまった。まるで過去に一世を風靡したが、時代と共に売れなくなり、しかも本人はそれに気が付いていないアイドルだ。こんな事を書いてみたが、ライブ自体は本当に良かった。Daveファンである僕はそんな事を認めたくは無い。しかし、彼は完全に過去の人物になってしまったのだろうか。

Sammy のライブパフォーマンスは総体として素晴らしかった。歌唱力、ステージセット、MC、全ての面を含めた総合エンターテイメントだ。彼の歌唱力には元々定評があり、この夜も突き抜けるようなハイトーンがしっかり出ていた。最近はレコーディング技術の発達により、CDの歌声をライブで再生出来ないアーティストが増えていると聞く。しかしSammyの歌を聴いていて、彼にはそんな問題など全く関係なさそうに思えた。観客とバンドが織り成す臨場感により、むしろライブの方が声がイキイキと聞こえてくる程だ。Van Halen時代のライブアルバムの良かったし、きっと彼はライブ映えする歌声の持ち主なんだろう。僕の父親くらいの年齢だと思うのだが、その年を感じさせない動きも凄かった。ステージ上を所狭しと走り回り、やぐらにも登っていた。そのやぐらは僕のすぐ近くだったので、本当に手が届きそうなくらいだった。

一般的にツアーは新しいCDが出て、そのプロモーションの為に行われる場合が多い。そしてそれらのツアーでは新アルバムからの曲が多い、というのが良くあるパターン。しかし今回に関しては、別に新しくCDをリリースしたとかそういうのではない。その為、組まれたセットリストは今までSammyが積み上げてきたキャリアのベストの部分、言ってみれば美味しい所取りだった。昔のMontrose時代からVan Halen時代、そしてソロになってからの曲が上手くミックスされ、バラエティに富んでいて良かった。ソロになってからの一番のヒット曲、"Mas Tequila"ではカクテルを観客に文字通り浴びせ、僕もそのしぶきを体に受けた。最後の最後にやってくれた"Dreams"で涙が出そうになったのはこの前の日記で書いた。僕は苦しいときにこの曲を聴いて自分を奮い立たせて来たのだ。観客との絡みも老獪で楽しく、Sammyのステージも心から楽しめた 90分。

本編とは関係ないが、結構酔っ払って連れてかれる観客が多くてちょっと笑ってしまった。小柄な女の子のスタッフに、酔っ払ってフラフラした男が後ろ手を縛られて連行されていく。酔いを醒まして席に戻るが、しばらくしたらまた連れていかれたりするので余計に笑えた。それから僕の前にいたオジさんは、年甲斐も無く飛び跳ねていて、僕は何だか嬉しくなった。彼くらいの年齢になっても僕もそうありたい。もっとも舞台上の二人は彼よりも年が上なんだろうけど。オジさんの連れの女が、席に立って僕の視界を遮ったのはちょっとイヤだったけどね。

僕が犯した失敗として、カメラを持参しなかった事が揚げられる。他の観客は普通に写真を撮って、しかもビデオも撮影していた。でもこれがアメリカでの常識なのかも。日本のコンサートでは、カメラや録音できる機械は基本的に持ち込みが禁止されている。僕は何の疑いもなく、アメリカでもこの類の物は全面禁止と思い込んでいたのだ。僕の記憶にははっきりと残った90×2だったけど、欲を言えば形に残るものとしても留めておきたかったな。

最後に。

二人の共通点であるVan Halen。そのギタリストで主要メンバー、そして過去に二人の首を切ったEdward Van Halenが癌で闘病中なのを考えると、この二人が元気なのは奇妙な感じがする。そもそも今から5年ほど前にSammyがバンドを辞めたのは、Van Halenがベストアルバム発売と共にDave/Sammyのツインボーカルでツアーに出る計画を立て、それを聞いたSammyが怒ってEddieと喧嘩したから。Van Halenが事実上の活動中止に追い込まれてから、Eddieのやりたかったこの二人のジョイントが組まれたのは本当に皮肉である。マスコミからは金儲けのツアーと言われてもしょうがない。しかし、僕を含めた世界中のファンはこの二人によるライブを待ち望んでいたのだ。二人が同時にステージに立つという究極の夢は叶わなかった(この日が全米ツアーの最終日という事もあり、実は密かに期待していた)が、それでも僕は一生思い出に残るくらい十分に楽しんだ。彼らのファンで良かったと思う。本当にありがとう!

David Lee Roth & Sammy Hagar(その3)

▼2002年 6月29日 (Sat) -- No.[419]

タバコを吸い終わって席に戻ると、今まで明るかった空が一気に暗くなっててビックリした。ステージ上にはデイブのシンプルなセットが片付けられ、今度はサミーの派手なセットが組み上げられていた。セットの後ろには選ばれた素人が上がれる席、バーもセットの一部として観客席を向いている。大型スクリーンにはサミーのインタビュー映像。

第2部、Sammy Hagarのライブが始まったのは午後9時半。日本にいる時に行ったVan Halenのライブでは彼がボーカルだったので、その姿を見るのは今回が2回目という事になる。見た目は短パンと黄色のTシャツ、サングラスでファンキーなオッサンという感じ。ちょっと小太りとも言えるか。彼の昔のバンド、ソロ、そしてVan Halenの曲を織り交ぜながらの90分。ソロ時代の曲は結構よく知らなかったりしたけど、何とかついていった。セットリストも日記の最後にあるので、興味のある人は参照してください。

彼の歌唱力はすごかった。それに彼のステージは観客との一体感も増していたような気がする。それはサミーが喋り上手だったり、彼が持つ家族的な雰囲気のおかげだろう。ドラムセットの両脇にいた選ばれた素人達は、ステージ上で踊ったり最後はステージ前面に出てサミーと肩を組んだり。そんな彼らの存在もより観客との連帯を深める要因になったと思う。サミーは歌の途中でステージ上でやぐらの上によじ登ったりしてて、年齢を全く感じさせないほどエネルギッシュだった。歌意外のMCも上手い。観客が喜ぶような事をマイクを通して喋り、途中女の子にマルガリータを持ってこさせたりしてて面白かった。

彼のステージはギター一本で弾き語りをしたり、下腹辺りに重低音が響くハードなナンバーがあったり、観客の笑いがあったり、とてもバラエティ豊かなショーだった。老獪というか、観客の喜ぶツボを知ってる気がした。最後の"Dreams"はこの世で僕の甲乙つけ難い一番好きな曲の一つ。東京で聞いた時にも涙が出た。今回も最後の最後に前奏が流れて来た時にはめちゃくちゃ感動した。途中彼が手にしてたトランペットからは火が上がった。

花火と紙テープが飛び出して、全ての曲目が全て終ったのは午後11時。純粋にとても楽しめるステージだった。

Sammy Hagar:
・ "Red"
・ "Runaround"
・ "Three Lock Box"
・ "There's Only One Way to Rock"
・ "Top of the World"
・ "Why Can't This Be Love"
・ "Right Now"
・ "5150"
・ "Poundcake"
・ "Finish What Ya Started"
・ "Eagles Fly"
・ "Little White Lies"
・ "I Can't Drive 55"
・ "Mas Tequila"
・ "Heavy Metal"
・ "Dreams"

David Lee Roth & Sammy Hagar(その2)

▼2002年 6月29日 (Sat) -- No.[418]

この日の初めはダイヤモンド・デイブ。彼の生の姿を見るのは僕の人生で初めて。

一曲目が始まってすぐに感無量。彼らのファンじゃないとわからないかもしれないけが、僕にとっては「あの」David Lee Rothが体をクネクネしてマイクを手にしている。しかも僕の目の前で。相変わらず派手な衣装。光沢のある青い服の前がはだけて胸毛がでている。多少頭が薄くなってるような気もするが、腹筋はしっかりと6パックに割れていた。以前から写真や映像で見てた時より実はかなり大柄だった。そう思いながら2曲目の "Panama"のりフが流れて来たときには発狂しそうになったよ。

これらの曲を含め、彼のセットリストは1つだけ除いて全てVan Halen時代から。やってくれた曲はもちろん全部知っていた。最後に載せたセットリストを見ればわかるが、Daveがやってくれたのはかなり古い曲も多い。最初のレコードが出たのは1978年。彼がバンドを辞めてからは既に20年近くが経過している。僕らの前にはVan Halenの初期黄金時代を生で知ってるだろう40くらいのオッサンが居た。Van Halenを聞きながら過した青春時代を思い出してか、常に拳を振り上げエアーギターを掻き鳴らして飛び跳ねていた。僕もあんなオヤジになるのだろうか。

90 分はあっと言う間に修了。もちろん最後は"Jump"だった。本編とアンコールが終る時の2回、ドラムセットの上から往年の股裂きジャンプ。でも年には勝てないらしく、昔の高さがないが十分格好良かった。きっと昔は本当に凄かったんだろうなー。感動に浸ってデイブのステージが修了。頭がぼけーっとしながらタバコ休憩。

(続く)

David Lee Roth:
・ "Hot for Teacher"
・ "Panama"
・ "And the Cradle Will Rock"
・ "Mean Street"
・ "Dance the Night Away"
・ "Runnin' With the Devil"
・ "I'm the One"
・ "You Really Got Me"
・ "Beautiful Girls"
・ "So This Is Love?"
・ "Atomic Punk"
・ "Little Dreamer"
・ "(Oh) Pretty Woman"
・ "Yankee Rose"
・ "Ice Cream Man"
・ "Everybody Wants Some"
・ "Unchained"
・ "Ain't Talkin' 'Bout Love"
・ "Jump"

David Lee Roth & Sammy Hagar(その1)

▼2002年 6月29日 (Sat) -- No.[417]

この日、僕は緊張して朝の8時に目が覚めてしまったよ。ついにDavid Lee Roth & Sammy Hagarのライブに行く。アメリカに来て初めてのコンサートが、僕が世界で一番好きなバンド、Van Halenの初代と二代目のボーカルによるコラボレーション。僕にとっては夢のような組み合わせのライブが行われたのはMoscowから車で約3時間半の場所にある"The Gorge Amphitheater"。George(WA)という場所にあり、アメリカ人も会場の場所がGorge(ゴージ)なのか、George(ジョージ)なのかわからなくなる。まーどちらも正解と言えば正解だが。町の名前を続けて読むと、アメリカ初代大統領の名前になるので余計にこんがらがるのだろう。

自然の地形を利用しすり鉢状をした野外ステージは、全米でもトップにランクされる程有名なイベント会場。コロンビアリバー沿いの壮大な風景を望みながらのライブ、基本的に外でのアルコールが禁止されているアメリカでの野外ビアガーデン、この手の施設では珍しいキャンプ場の併設、などがこの会場が大きく支持される主な理由。過去にWoodstockやReddingで行われた行われた野外フェスティバルが日本では有名だけど、それらは基本的にただの野原で本来はコンサート会場とは違う。広い駐車場に車を入れたのは午後6時。予定開始時間の1時間前で、席に一旦着いてから、公演開始までの間に一緒に行った二人と軽くビールで乾杯してテンションを上げる。二人ともハードロック好き。

DaveとSammy、ステージはそれぞれ90分で合計3時間の長丁場。僕らが取ったチケットは何とステージの前から5列目。あいにく一番端の方だったが、それでもステージから距離が極近い。7時スタートの予定で、もちろんその時間には席に戻りスタンバる。ツアーでは交互に先発、後発を繰り返してきた二人だが、この日どちらが先なのかは始まるまでわからない。午後7時半、予定から30分遅れたがいよいよライブスタート!

(続く)

ブラックベアー

▼2002年 6月28日 (Fri) -- No.[416]

トレイルにはブラックベアーが頻繁に出没する。もっとも僕ら人間が彼らの生息地に足を踏み入れているのだから、動物を責めるのは間違いなのかもしれない。国立公園の人気が上がるのと伴い、世界中から訪れる観光客の不用意な食糧管理の裏側で、熊たちは本来の野生を忘れて人間が外部から持ち込んだ食べ物に目をつけるようになってしまった。これは熊と観光客、両者に取って非常に残念な事。熊は本来の生態を崩されて食べ物に困り、人間達はその熊から食料を守るかを真剣に考えなければならなくなってしまった。

人出が多いキャンプサイトには、熊には開けられないベアーボックスが設置されている場合が多い。一般的なキャンパー達はその鉄の大きな箱に食べ物を保管する。バックカントリーにはこのような設備は皆無に等しい。基本的に人工物をウィルダネスに設置する事は国立公園法で決められているのだ。ただし例外として、特に熊が出る確立の高いエリアには上記のベアーボックスや、食料をぶら下げるワイヤー等が張られている箇所もある。

バックパッカー達にとって、食料の安全な保管は死活問題。前の日記にも書いたフードキャニスターを持ち歩くのが理想だが、これはこれで重くて運ぶのに問題がある。それとは別にレンジャーに推奨されている食料の保管方法として、カウンターバランスと呼ばれるものがある。これはロープの両端に食料を入れた袋を括りつけ、中間部分を木にぶら下げてバランスを取りながら、食料を木に吊るす方法。地面から荷物まで3〜4メートルという高さ。だだ、仕掛けを作るのにかなり高度なテクニックを要するので、トレイルを歩いて疲れきった体で果たして僕に出来るのか不安でもある。このカウンターバランスは最善の熊対策だが、ヨセミテに生息する熊は学習能力が非常に高く、それでも食料を奪われるケースが急増している。複数の熊でやってきて一匹が他の熊の背中に乗って食料まで背を伸ばしたり、または木の枝に登ってから枝自体を噛み折り、落ちた食料を狙ったり。もうここまでされたらバックパッカーにはどうしようもない。

基本的に熊は臆病な性格なので、人を襲う事はまずない。食料を取られる被害は増えているが、人が危害を受けるケースがほとんど報告されないのはそのため。彼らが欲しいのは食べ物だけ。もし熊に遭遇し食料を狙われたら、大きな声を上げて威嚇するか、食器類を打ち鳴らして熊の嫌いな高い音を出す。それから自分をなるべく大きく見せて石や小枝を投げつける。それで大抵の場合は平気らしい。もしも熊に食料を奪われた場合は取り替えそうとするのが一番危険。彼らは一度奪った物は自分の持ち物と考え、それに横槍を入れる物には凶暴になる。親子連れの熊も危ない。親熊は小熊を外敵から守ろうとより凶暴性を増すのだ。

熊の危険性を書いたけど、もっと危ないのがクーガーだったりする。彼らの出没は稀だが、熊よりも攻撃性と敏捷性が高い。それから蚊もすごい。長袖を着ていてもその上から刺してくる。蚊で人柱が立つというのは本当らしい。そんな野生動物に関して少し不安な気もするが、話しのネタになりそうなので一度くらい遭遇してもよいのかな。これはこれで楽しみ。

トレイルの情報収集

▼2002年 6月27日 (Thu) -- No.[415]

トレイルの情報収集は主にインターネットと本。

何年か前に日本のNHKで JMTの紀行番組が放送された。この番組はJMTの存在を日本に紹介し、その自然の美しさを知らしめるのに大きく役立ったのだが、その時のガイド役、加藤則芳氏の著作を日本の友達の力を借りて取り寄せた。95年にバックパックを担ぎ、JMT全行程踏破の記録を綴ったその本は、僕のプラン立てに十分役立った。トレッキングに興味の薄い人が読んだとしても、内容的に十分楽しめる旅行記だと思う。タイトルは「ジョン・ミューア・トレイルを行く―バックパッキング340キロ」。機会があったら読む事をお勧めする。

こちらで市販されているガイドブックはAmazonで買った。僕がオーダーした2冊は前の日記でも書いた通り、予定より遅れたが無事手元に配送された。今はそっちを読みながら頭の中でイメージを膨らませている。学校の図書館でも調べたが、有益な情報は得られなかった。しかしトレイルに関する情報は僕が取り寄せた3冊で網羅できた。どれか一冊は現地で持ち歩くと思う。地図はREIから。 13枚つづりのこの地図はトレイルを歩く人には必携。最終的に疑問に思った部分は大学のアウトドアプログラムのスタッフに聞くつもり。彼らなら十分な知識を持っているはず。

インターネットでも本と同じ内容のウェブサイトを見つける事ができた。役に立ったのはトレイルのコンディション情報。心配していた雪解けも順調のようで、峠の一部分を除いて雪は少ないようだ。生の情報が手に入るインターネットはこういうところで強いと実感。

必用なものは少しづつそろえてきた。バックパックを手に入れ、ハイカットでしっかりした靴を購入。釣り竿を譲り受け、トレッキングポールはスキーのストックで代用。ガソリンストーブも購入。コンパスと浄水ポンプはルームメイトから借りた。大きな物は全てそろったが、僕が今悩んでいるのは熊対策の食料ケース。重たい上に容量が少ない。長距離を歩くバックパッカーにとっては性質上一番避けたい種類の物なのだ。でも食料を熊に奪われるのは生死に関わる大問題なので、とりあえず現地に着いてからレンジャーの話しを聞き、必用だったらそこで調達しようと思っている。

旅行というのは準備の段階が一番楽しいといえるのかもしれない。その意味で、僕の旅行はもう既に始まっているのかも。

暑い

▼2002年 6月26日 (Wed) -- No.[414]

めちゃくちゃ暑い一日だった。多分この夏一番の暑さ。

僕は毎日午後の一番暑い時間帯に、上半身裸で外を走り回っている。これもトレイル踏破に向けた体力作りの一環だが、最近は結構日差しが強くて体が良い色に焼けてきた。結果的に毎日の天候を文字通り体で感じて走っている。そんな僕が「この夏一番暑かった」と感じたので、まんざら間違いでもないと思う。普通は日が落ちれば気温もぐっと下がるのがMoscowだけど、この日は夜になっても一向に気温が下がらない。

僕はもうちょっとしたらアパートの部屋を片付け、カリフォルニアに出発する。ルームメイトはこれから1週間ほど家を空けるので、一緒に生活する最後の夜。そこで言ってみれば最後の晩餐みたいなのを部屋でしていた。あまりに暑くて扇風機の首を振らせたが、基本的に空気が生暖かいので全然効かないので困った。

11時にふと何度くらいあるのか疑問に思い、インターネットでチェックすると華氏81度。摂氏に換算すると27度な訳で暑くてあたりまえだ。ここまで夜のMoscowが暑いのは本当に珍しい。僕の経験では初めてではなかったのか。この夜は一時、雨が降って湿気も高い。熱帯夜。日本の夏を思い出した。

John Muir Trail

▼2002年 6月24日 (Mon) -- No.[413]

来月に行く旅行に関してあまり詳しく書いていなかったように思う。僕が計画しているのは、アメリカで一般的にJohn Muir Trail(JMT)と呼ばれている約340キロのトレイルを踏破する事。

このトレイルの存在を知ったのは数年前。国立公園を巡る計画を立ててる時に偶然僕の目に入った。最初はその距離の長さに、まさか将来的に僕自身が歩くとは思えなかったが、写真で見る荘厳な景色にそれ以来惹かれ続ける。あんな風景が200マイルも続く事を考えると、そのトレイルを自分が歩く姿を夢見てならなかった。そして大学卒業が近づくにつれ、やってやれない事はないと決意。知り合いに同行者を募ったが見つからず、結局当初の予定通りに思い切って一人旅をする事にした。学生生活最後の記念。

もう少し説明を加えると、JMTはアメリカで一番有名なロングトレイルの一つで、世界中のバックパッカーの憧れとされている。メキシコとカナダを結ぶPacific Crest Trailの一部。カリフォルニア州のSierra Nevada山脈を縫うように続いている一本道。John Muirというのはアメリカの自然保護運動に尽力を果たした人物で、彼の死後、その功績を称えてこのトレイルは整備された。

トレイル中には3000メートルを超える峠が9つ。基本的には南北の一方通行でこのトレイルに挑戦する人は北上、南下コースの2つが選択できる。僕は南下コースを選んだ。スタートはヨセミテ国立公園内にあるトレイルヘッドでゴールはアラスカを除いたアメリカ最高峰、Mt. Whitney。この山は標高が約4418メートル、つまり富士山よりも高い。北上コースだといきなりこの高さから始めなければならない。高山病を避ける為にも、ホイットニーを最後に登る南下を僕は選んだ訳だ。ちなみにアメリカで一番高い山はアラスカにあるマッキンリー。植村直己はこの山を冬季に単独登頂した後、消息を絶っている。

7月いっぱいを費やして踏破する予定。ただしこれは十分に余裕を持って立てた計画で、早い人なら2週間、普通に歩けば3週間で全行程を終える事が可能。僕の場合は途中に予備日が含まれているので、余裕を持って4週間とした。その間トレイルを歩く他のバックパッカーに出会う事はあるだろうが、基本的には孤独な生活が続く。そう考えると、今までの人生でこれ程の期間人と接しないで生活する事は無かった。自分との闘い。僕は何かを見い出せられるか。(続く)

閉所恐怖症

▼2002年 6月21日 (Fri) -- No.[412]

先週末の事。知人の助けを借りて、生まれて初めて車のオイルとオイルフィルターの交換作業を自分でやった。作業は慣れない事もあってちょっと時間はかかったが、丁寧な指導と共に簡単に終了。今までお金を払って頼んでいたのがバカらしくなった。しかし作業中、僕の忘れていたあの感覚がふと蘇って来た。オイルを抜く為にはドレインボルトを開けなければならない。ジャッキで持ち上げた車の下に潜った時・・・。

閉所恐怖症。まさかそんな所で恐怖心を感じるとは思わなかった。車の下に潜り、普段は見る事のない車体を裏から眺めていた時。「もしこの車体がいきなり落ちてきたら」と思った瞬間、心臓が嫌な高鳴りをして、居ても立っても居られなくなってきたのだ。もしジャッキが外れたら、僕の体は車と挟まって身動きが取れなくなる。そう考えただけで体中に冷や汗が噴出してきた。

今まで一番怖かった思いでは数年前の引越し作業。友達何人かと大きなトラックを借りた。荷物を詰めて友人宅へ場所移動。人数分のシートが無かったので、僕は友達一人と荷台の中に入り移動する事になった。友人宅までは時間にして10分も無いだろう。僕自身もちろん閉所恐怖症がある事は自覚していたが、まぁ大丈夫だろうとタカを括っていたのが間違えだった。

荷台のシャッターが閉まり、辺りは闇に包まれる。その瞬間から体中に気持ち悪い汗をかき出した。何とか自分を落ち着かせ、冷静になろうと努めながら車が発進。しかしその時、僕自身が爆発しそうになってしまった。心臓がバクバクするのではなく、心臓のリズムが明らかに変なのがわかった。鼓動が一定ではないのだ。早くなったり遅くなったり。僕は車が走り出したにも関わらず、そしてシャッターは中から決して開かないのにも関わらず、その扉に体当たりして開けようとしていた。その時の僕は必死だった。すると荷台に一緒に乗ってた友達が僕の異変に気付いて僕をなだめてくれた。僕は彼の声を聞き、段々と我を取り戻してくる。次第に目もその暗さに慣れて、おぼろげながらに中が見えるようになった。音が聞こえてくるほど心臓は弾けているが、それでもリズムが一定になってきた。手元にあったライターで明かりを補い、さらに落ち着かせようとする。僕を荷台に乗せたトラックは走りつづける。無事に到着。人生で一番長い10分だった。

僕を発狂死させるのに一番確実な方法は、僕を車のトランクに詰めて数時間街をウロウロする事だろう。僕はショック状態に陥り、心臓は停止すると思う。僕の一番避けたい死に方だ。何しろフルフェイスのヘルメットを被るのも怖くてダメ。閉所恐怖症って克服するのが可能なのだろうか。きっと子供の頃の思い出がトラウマになってるんだろうな。

負けた

▼2002年 6月18日 (Tue) -- No.[411]

いやー。負けちゃいましたね。もちろん僕はテレビの前で応援。それでもアイダホからの声援は届かなかった。

正直言うとトルコには勝てると思ってた。でもこれが日本国民の慢心だったのかな。初のトーナメント進出。それだけで満足してた部分があったのかもしれない。チーム内ではもっと上に行く心構えだったと信じたいけど、それでも彼らの一部分には絶対目標を達成したとの満足感があったのかも。ホスト国としての最低限度はクリアした、と。

これでも良かったと思ってはいけない。しかし僕は実を言うと次のワールドカップこそ日本はもっともっと強いんじゃねーの、と前から思っていた。日本のイレブンはまだ若い。彼ら黄金世代がこれからの4年間経験を積み、その間の成長の積み重ねで次のドイツ大会こそ、今回果たせなかったベスト8、4、そしてファイナルへと駒を進めてほしい。ドーハで負けたとき、「これでW杯に行けなければ将来絶対に行けない」、「最初で最後のチャンス」とさえ言われていた。そう考えていたのがアホらしくなる程、当時と比べて今の代表は数段強いはず。このまま成長が続く事を心から願う。

日本は敗退したがまだW杯は終っていない。一流のプレーが生で見られる日本の環境をうらやましく思う。日本にW杯が来るのは今後100年は絶対に無いだろう。アメリカにいると中々実感できないが、今日本国中にサッカー熱が溢れていると聞く。これで日本のサッカーブームが消えない事を願う。Jリーグが始まって数年後の様に同じ過ちを繰り返してほしくない。ありがとうニッポン!と思いたい。良い夢を見させてもらったよ。

インターネットショッピング

▼2002年 6月17日 (Mon) -- No.[410]

インターネットショッピングというのは、果たしてどれ位一般大衆に普及しているのだろうか。僕は過去に3回ほどインターネットから商品をオーダーした事がある。この数字が多い方なのか、少ない方なのかは良くわからない。が、今までの経験から僕はインターネット上でのショッピングがいまだに信用できないでいる。

過去にパソコン本体、モニター、本をそれぞれ別のウェブサイトから購入した。一連の注文後には、決まって詳細が確認メールで送られてくる。僕が不信感を抱いている直接の原因は、その3回の取引で確認メール通りに商品が配達されてきたのが、たったの一回だけだったから。一番酷かったのはパソコンを買った時。指定した配達方法とは違うやり方が勝手に取られ、おかげで僕宛の荷物が郵便局でひと月近くも足止めを食らわされた。しかもしばらくしてから同じ商品がもう一つ僕のところに配達されてきた。別の機会に本を注文した時には配達予定を大幅に遅れて到着。もちろん最終的には僕が欲しい物は手元に届いている。でもそれらの理由からシッピングに関してどうしても疑心暗鬼になってしまうのだ。

僕が今回こんな事を書くのも、つい最近またインターネットで商品を注文したから。今回のオーダーはインターネットショッピングの大手中の大手、Amazonから本を二冊と、アウトドア専門店REIから地図セットを一つ。これらは僕が計画し、もうすぐ出発予定のトレッキングにどうしても必用なもの。近所の本屋さんを当たったがストック無し。少し遠出した時にも大きな本屋さんで探しつづけていたが、どこにも置いていなかった。しょうがないのでインターネット上でほぼ同時にオーダー。

実は僕が以前、配送が遅れた本を買ったのはAmazon。そしてその経験から、僕は Amazonがやっぱり信用できない。REIからの商品は今日到着。予定通り。ではもう一方はどうなってるんだとAmazonで僕がオーダーした本の所在地を確認。するとまだ配送してないと出たよ。どういう事?でも別にAmazonがどうのこうの言うつもりではない。ここまでAmazonの知名度が上がったのはその定評あるサービスのおかげだろう。彼らは完全にその地位を確立している。

要するに何が問題かと言うと、僕自身、相手が具体的に見えて来ないウェブ上での買い物自体に不信感を抱いているのだろう。結局僕はお店で欲しい商品を見てテストし、それでもわからない部分があったら面と向かって店員に質問し、ようやく納得して決断。そして実際に購入してから自分で家に運ばないと気が済まないのだ。

僕って古い人間なのかと思う今日このごろ。

もうちょっと

▼2002年 6月12日 (Wed) -- No.[409]

サッカーねたをもうちょっと書いてみよう!

サッカーの試合を見るのは結構好きだったりする。これは日本代表の試合には限らない。他のスポーツが嫌いという訳では決してないし。特定の球団が嫌いだったりする事はあるが、日本のプロスポーツの代表である野球、相撲も見る。オリンピック等のアマチュアスポーツも観戦する。個人的に全てのスポーツで一番好きなのはラグビーを見ることかな。

それは良いとして、ナショナリズムを刺激してくれる日本代表の試合は、「実はオレって右翼なんじゃねぇーの?」と勘違いするくらい何をみても面白い。サッカーも例に漏れずに同じ。思えば初めてサッカーの日本代表をテレビで見たのは、彼らがほんの一時期だけ赤のユニフォームを着てた頃。やっぱり日の丸を意識した赤なんだろうな、と子供心にそう感じた記憶がある。実を言うと一体それは何年前の事なのか良く分からない。あの時は確か森さんだか、横山さんだかが監督で、三浦カズがブラジルから日本に帰ってきたか来ない頃だったと思う(かなりアヤフヤだな)。しばらくして彼らのユニフォームは青に戻った。それ以来、代表が一度も赤いジャージに袖を通す事が無いだけに、余計僕の頭の片隅から消えないのだろう。その後、イタリアW杯の時は部活の友達ハタ君と優勝チームを賭けの対象にした。僕は開催国イタリアに1000円を賭けたが、準決勝で敗れて悔しい思いをしたのだ。

アメリカで行われたワールドカップの最終予選、いわゆる「ドーハの悲劇」を見たのは僕が予備校に通ってた時。僕は勉強してから一人でテレビを見ていたが、あのショッキングな終り方は未熟な僕にとっても衝撃的だった。試合が終った後、思わず残りのビールを部屋にあった観葉植物にあげた記憶がある。晩秋の出来事、僕の大学受験も絶対に失敗するような気さえした。

それでも晴れて大学に入り、その4年後のフランス大会の予選。イランとの最終ゲームは当時の彼女とテレビで観たな。この辺りはまだ最近のような気がするのは年を取った証拠か。深夜だったが、テレビ東京にチャンネルを合わせていた人は、僕が住んでたアパートの近所にも沢山いたようだ。そう実感したのは岡野のゴールが決まった時。周囲から声にならない奇声が聞こえてきた。もちろん僕も発狂したが。それから大学を卒業し、アメリカ行きの準備をしていた頃のフランス大会本戦は、大学時代の友達と一緒に文句を良いながら観た。今も思うけどアルゼンチンのオルテガって貧乏そうな顔してるし、クロアチアのユニフォームってかっこ悪いな。

で、今回。僕は応援を共有できる日本の友達とベルギー戦、ロシア戦をテレビ観戦。両方とも良い試合で見てて面白かった。ベルギー戦の時は夜中の2時からの放送で、何人かでビールを飲みながら見た。僕は何故か上半身が常に裸で、日本がチャンスやピンチを迎える度に飛び上がって一喜一憂。点が入った時には、夜中で近所迷惑なくらい絶叫してしまった。続くロシア戦。こちらは朝の4時半からというかなり中途半端な時間で、年齢に勝てない僕は一度ベッドに入ってからテレビの前へ。起きたばかりで鳥がチュンチュン鳴いてる早朝。寝ぼけてて自分自身テンションが上がらず、点が入らなかった前半はまったり、ボケーと画面を見つめる。後半に入ると頭の中でシナプスが何本か弾け始め、目が覚めたばかりなのにビールを開け、ついでに餃子も狐色に焼いてしまったよ。試合は知っての通り日本のW杯初勝利。点と勝利が決まった時は、僕も走り回って完全に明けた朝に向かってシュートを決めた。生きてて良かったとさえ思った。一生思い出に残るだろうなー。

アメリカに居るので日本のスポーツ情報を含めて全てのニュースが入手しにくい。ここ数年間どの野球チームが日本シリーズで勝ったのか、僕に言う事はできない。基本的に日本のニュースはインターネットでブラウズするだけで全然頭に残らない。が、ワールドカップの日本代表関連に関しては、逐次どんな展望なのかチェックは欠かさなかった。日本がW杯に初出場が決まった時、ありとあらゆるスポーツ新聞を買いあさった僕だが、ロシア戦が終った後はインターネット上にある新聞社のウェブサイト、それからサッカー専門のウェブサイトを回り勝利の余韻に浸る。ちなみにタブ型ブラウザーを使ってる僕。一気に10個くらい日本のニュースを開くと、写真つきで一番早く記事をアップロードしてたのはニッカンスポーツだった。さすが草分け。

次のチュニジア戦。何か仕込んでいこうかな・・・。

走り過ぎ

▼2002年 6月11日 (Tue) -- No.[408]

走り過ぎのせいで乳首が擦れて痛くなりました。

ワールドカップ

▼2002年 6月10日 (Mon) -- No.[407]

サッカーのワールドカップが開催されている。最初は観戦を諦めていて、日本にいる友達にとりあえずビデオの録画を頼んでいたが、実はここアメリカでも試合の模様がテレビで中継される事が判明。時差の関係で大抵の場合は夜中の放送だが、僕はそんなの関係なくテレビに噛り付いている。

総じてアメリカでのサッカーの位置付けは低い。今日の新聞のスポーツ欄、一番大きく扱われているのは NBAのファイナル。その次にゴルフと野球の結果。この3つはどれもカラー写真つき。その次にようやくサッカーだが記事だけ。それでも何とか一面に登場しているのは、前日にアメリカが韓国と対戦したからだろう。ちなみに昨日の新聞ではボクシングでタイソンが負けた事とアイスホッケーの結果。それからテニスの仏オープンの結果が当然の様にサッカーに優先されて掲載されていた。

オリンピックを含めた他のスポーツ全般で、当たり前のように優勝争いに絡むアメリカ。それに慣れているアメリカ国民にとって、はっきり言ってしまうと国際的な舞台で勝てる確立が低いサッカーには初めから興味が薄いのだ。それからサッカーは女と子供のやるスポーツという考え方が根強いのも事実。何年か前にアメリカの女子チームがW杯で優勝したのも、余計にこの考え方を強める手助けとなったのかもしれない。

W杯が始まる前に読んだ関連記事。FAQに「どうしてアメリカが強くないのか」というのがあった。そこに書かれてあった答えは「他の国は、その国の最高のアスリート達がサッカーをしているから」、というある意味開き直ったものだった。ジョーダンもマグワイアもサッカーのピッチに立つ事を選ばなかった、とその記事は続く。行間には、もし彼らがサッカーをしてたら勝てたに決まっている、との変なプライドも読み取れた。

まーそれは良いとして、とにかくW杯が開催中。日本の調子も良くてトーナメントに進めそうだしこのままがんばって欲しい。僕は日本代表もがんばってる事だし、自分も何かやらねば、と普段の2倍もランニングしてしまったよ。がんばれニッポン!

お気に入りコース

▼2002年 6月 2日 (Sun) -- No.[406]

色々とコースを変えてジョギングをしていたら、僕のお気に入りコースと言うのが何時の間にかはっきりしてきた。反時計回りにキャンパスを大きく一周するのが大体のコース。Moscowの地図を頭に描けない人には全然わからないと思うが、日記に書くネタもあまりない事なのでここでちょっと紹介してみる。

スタート地点は先セメに新しくできたRecセンター。車をそこの駐車場に入れてランニング開始。まずは前の日記にも書いたトレイルを西へ(Pullman方面)。ちょっと走って右手にモールが見えてきたら左折し、Kibbie Dome方向へ。ゴルフコースを越えるまで道沿いにひたすら丘を登る。次に右に出てくる大学のArboretum(植物園)へ突進。そこを一周してから舗装道路へ戻る。さらに坂を下り、Continuous Educatoin Buldingの辺りで道に突き当たったら左折。Administration Buildingを左に眺めながら道沿いに走り、Music Buildingの坂を下って、いつも点滅している信号を左。Bookstoreを通り過ぎて信号を渡って、Pradice Creek沿いの道を走ってRecセンターに戻る。僕は早く走れないので、ゆっくり足を運んで約45分。

Recセンターをスタートとゴールとするのは、走り終えてから筋トレも出来たりするから。終ってすぐに車で帰れるのも良い。上に書いたコースにはアップダウンが結構含まれているので、走る距離以上に息が乱れる。僕が個人的に気に入ってるのはアーボリータム。ここが意外に広い。ここを普通に散歩する人は、砂利が敷かれた道を歩く。でも僕はその砂利道の外を一回り大きく囲んでいる、木のチップが敷かれた小道を走っている。上り下りがかなり激しく、植物の生い茂った所を走るので、何だかジャングルに迷い込んだようで楽しいのだ。坂を登りきると眺望も中々良い。アーボリータムには犬のウンコが多いという決定的に好ましくない部分はあるが、溜池を眼下に、様々な種類の植物の中を縫うように走るのは気分が良い。

基本的にはキャンパス内。市街地ほど車が多くは無いので、あまり交通に気を取られる事もない。空が青くて緑豊かなこのコースを、出来れば2周くらいしたい。でも1周だけで体が重たくなって足が止まる。お昼過ぎに走る場合が多いので、かなり暑くて喉も渇く。それでもひと気のないキャンパスを、ゆっくりと走るのは気分がよい。僕には走るのは合わないと思っていたが、このコースだったら続けられそうだ。コースが確定するまで時間がかかったが。

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