« 2002年08月 | Home | 2002年10月 »

History of Rock n' Roll

▼2002年 9月30日 (Mon) -- No.[5]

University of IdahoのSchool of Musicでは、2002年の秋セメスター(つまり今セメ)で"History of Rock n' Roll"というクラスをオファーしている。これまでにもクラシックやジャズの歴史を学ぶクラスはあったが、ロックを扱うのは今回が初めてだそうだ。

"History of Rock n' Roll"では1950年代のロック創成期に、どのようにしてジャズやブルースから影響を受けたのか、そして60年代に入り、Beatlesや Rolling Stonesらのイギリス勢によるアメリカ音楽界の席巻まで、時代的には70年代初頭までをカバーする。また次のセメスターには、その後からほぼ現在に至るロックの変遷にスポットを当てたクラスも設置されるらしい。大学側はこのクラスを学生に提供するため、およそ200枚のCDを新規購入。さらにそのCD の山からの選曲を施し、最終的に教材として計27枚のコンピレーションアルバムを製作した。それぞれのCDは決められたテーマごとに編成され、特徴的な年代やスタイルごとにまとめられている。そしてクラスにレジストしてる生徒は、教材として自由にその音源に触れる事ができるのだ。僕のような音楽好きにはたまらない。

僕が公言して憚らない趣味の一つは音楽鑑賞。聞くだけには留まらず、先セメにはピアノ実習のクラスも取ってしまったほどだ。演歌とカントリーを除いてほぼ全てのジャンルを聞くが、一番好きなのがハードロック/ヘビーメタル。さらに細分化すると、特に"Classic Rock"と分類される70年代から80年代にかけて、ロックに一番活気が感じられた当時の楽曲群が好きだ。

当然僕が好きなバンドも、このクラスで習うような先人たちをベースとして成り立っている。というか、今だに全ての現代ポップスはBeatlesの焼き直しだと断言する人もいるくらい。したがって"History of Rock"で当時の音楽文化を勉強し直し、現在進行形で流行っている曲調にも脈々と受け継がれているアイデアを、この耳で再確認できるに違いないだろう。

このクラスでいうロックとは、いわゆるポップス全般を指し示している。つまり個人的に好きなハードロックやヘビーメタルはあくまでその一部としてに過ぎないのだが、まさにこれこそ、僕が趣味と実益を兼ねて取るべきクラスだったのではないか。クラスの設置がもう少し早かったらなー、と残念で仕方がない。最終的に単位は自由選択科目として換算されるので、基本的には全メジャーの学生が履修できるはず。これだったらグレードはA間違いなしだったな。

ところでちょっとだけマニアックな話題。今アメリカでは既にMetallicaやBon Joviがクラシックロックとして分類され始めている。僕が中学生のころ(80年代終盤)聴き始めて好きになった彼らの曲が、このように「クラシック」と呼ばれているのはいささか心苦しい。まるでこの自分の存在まで「クラシック」というレッテルを貼られているようでイヤだ。Nirvanaまでクラシックロックの専門局で流れてきた時には、何かの間違いなのではと思ったほど。つい最近カート・コバーンが自殺したと思っているのに。改めて刻々と時代がきざまれて行くのを感じてしまう。

それからロックの世界に留まらず、あと10年くらいすれば"Classic Rap"や"Classic Hip-Hop"などのジャンルも確立されてしまうはず。Run DMCとかBeasty Boysとかも、そこにカテゴライズされちゃうんだろうな。DJがRun DMCとアディダスの関係を、若いリスナーに説明しながら曲を流すのが容易に頭に浮かぶ。でもその頃になったら僕が好きな"Classic Rock"はどう呼ばれてる事になるのか・・・。

この日記で同じ事を何回も書いてるような気がするな。

12 Angry Men

▼2002年 9月29日 (Sun) -- No.[7]

UIシアターデパートメント主催による劇、「12 Angry Men」を観る。オリジナルは1957年製作のアメリカ映画。父親を殺したとされる19歳の被疑者について、12人の陪審員が有罪か無罪かを議論する密室劇。何気に以前は法律を勉強していた僕。日本では採用されていない陪審制度について学ぶため、教材の一環としてそのビデオを見た記憶がある。この映画は三谷幸喜の舞台で、後にスクリーン化もされた「12人の優しい日本人」の元ネタ。

大まかな内容は覚えているのだが、ストーリー展開の細かいところを忘れてしまってした。そこで劇を見に行く数日前に、ビデオを借りてきて見直してみる。あいにくオリジナル作品を手に入れられなかったが、5年ほど前にテレビ番組で作られたリメイクバージョンを何とか見た。冷たい雨が降っていたが準備万端で会場へ向かう。

僕はあまり目の前で生身の人間が演じる劇を観た事がない。プロの役者による演目を観るチャンスが無かった事もないが、その度に何かと都合が悪く、本物の舞台というのを経験したことがないのだ。それが手伝ってか、この「12 Angry Men」は素人に毛が生えた程度の役者たちだったけどとても面白かった。観客が30人も入らないような狭い部屋でこの劇は進められたのだが、1時間半ほどの話は結構迫力があって良かった。

全会一致の法則が適用される陪審制度。12人の陪審員中11人が少年を有罪だと決め付けるところで劇が始まる。しかし議論が進むにつれ事件の不明瞭な点が次々に上げられ、最後には全員が嫌疑に"Reasonable Doubt"を見出し、有罪ではないと結論を下して終わる。「無罪」ではなく「有罪ではない」というのも大事なポイント。「疑わしきは罰せず」という考えが根底に流れる法律理論を見事に表現している。また社会一般で不良と見なされる少年に対する大人たちの偏見に満ちた目もこの話の大きなテーマだ。

法律はちゃんと勉強すればかなり面白い。あまり真面目に教科書とか読まなかったのが残念に思われる時さえある。でも今更実感してもね。現状にないモノを人間は常に欲する。

バール

▼2002年 9月28日 (Sat) -- No.[6]

最初にこの文章から。
----------
"17日午前1時半ごろ、和洋菓子店1階の事務所から金庫が盗まれたと110番通報があった。調べによると事務所の出入り口のドアの鍵がバールのようなものでこじ開けられていた。同署では窃盗事件として調べている。"(2002/6/18付け読売新聞より抜粋)
----------

この文章で一箇所明らかな日本語の誤用があります。天下の読売新聞まで間違えるほどですから、わからなくても恥ずかしくはありません。読んですぐに誤りに気がついた人は、相当な観察力の持ち主でしょう。答えは後ほど。

上の新聞記事とはちょっと違うかもしれないけど、これもオッサンになった証拠なのか、最近言葉の使い方が気になる場合がある。

その中でも何年か前から特に耳についてならないのは、何を見ても「カワイイ」としか表現できないアホな連中。この日記を読んでる人にも、同じようにこの言葉を使っている自身を含めて思い当たるふしがあるのではないか。女の子ならまだ良い。だけど大の男が「あの映画はカワイイね」とか「このコーヒーカップがカワイイよ」とか言ってるのを聞くと、僕は無性に腹が立ってくる。何がどう「カワイイ」んじゃヴォケーと首ねっこをつかんで問いただしてやりたい。あぁぁぁぁぁ書いてたら余計にムカムカしてきたぞ。この「カワイイ」の使われ方が、僕は本当に理解できない。

思わず大辞林で調べてみると・・・(1)深い愛情をもって大切に扱ってやりたい気持ち(2)愛らしい魅力をもっているさま。主に、若い女性や子供・小動物などに対して使う。(3)幼さが感じられてほほえましい。小さく愛らしい。(4)殊勝なところがあって、愛すべきである。(5)かわいそうだ。いたわしい。ふびんだ。どう考えても「カワイイ」は小物や風景、さらにはアイデアなどを表現する形容詞ではない!

現代人は言葉を使った表現力に欠けてきているのだろうか。映画とかコーヒーカップの感想、見た目を表現するのに「カワイイ」以外で適切な言葉が他に絶対あるはず。例えばお洒落な台詞を口にするビリー・クリスタルが良かったね、とか、コーヒーカップの繊細な色使いが良いね、とか。それとも幾つも形容詞を並べずに「カワイイ」の一言で済ませ、最大公約数的な表現で他人の心に映った感情を読み取ろうとする日本人独特の意識の現われなのか。または何通りにも取れる表現を用いる事で、本質的な意見の食い違いを未然に防ごうとする本能なのか。それとも何が良くてわからずにとりあえず「カワイイ」なのか。

とにかくこれを読んでる人、僕の前であまり「カワイイ」と言わないでください。もし何かを「カワイイ」と表現するのなら、どうしてそうなのかも忘れずに付け加えてください。思っている事を正確に伝える事。コミュニケーションの基本だけど、これはいくつになっても難しいけどねー。

最後に冒頭の一文について。こじ開けられるのは「錠」であって「鍵」ではない。鍵は持ち運びが出来て棒状の方、錠はドアに固定されていて表面に穴が開いてる方。したがって「錠」を「こじ開けられる」のが正解。

ところでよく聞く「バール」って何だ?

ジョージ・W・ブッシュ

▼2002年 9月27日 (Fri) -- No.[19]

現在のアメリカ大統領、ジョージ・W・ブッシュ氏はとても健康らしい。実際に彼が行った体力測定ではじき出された数値は、同年代のアメリカ人男性の中で上位1パーセントに相当するそうだ。まー歴代大統領で一番IQが低い、と揶揄される彼らしいと言えば彼らしいが…。何はともあれその健康の秘訣はジュギング。およそ5キロを週に6日ってどこかのニュースで読んだ。

僕も夏前からジョギングを続けている。ブッシュの話を聞いたのも定期的、かつ持続的に走っている理由の一つかもしれない。知り合いに長いこと陸上競技に時間を割いていたヤツがいた。しっかりとした体を作るのには半年かかるから、最低それくらいは同じ運動を続けるように、そう言われた記憶がある。そしてあと2ヶ月ほど続ければ、その最低期間に達するはず。でも走るのを除いたとしても、前のセメスターで水泳のクラスにレジストして以来、僕は定期的に何らかの形で体を動かし続けてきた。去年の今頃も授業が終わってからジムで軽く汗を流していたりするので、何気にここ一年くらいは体調に気を使っていることになるはず。

じゃー今僕が体力測定を受けたとしたら、上から数えて何パーセントとかの結果はどうなんだろう。ブッシュさんみたいに上位1%に入りたいのなら、単純に考えて同じ年の男をランダムに100人集め、その中で一番体力があれば良いのだ。うーん、どうなんだろうな、それほどまでは自信がない。上位10番なら…、惜しいところまで行きそうだけどこれも怪しいだろうな。

日本で僕と同じ年に生まれた人は約100万人。僕が大学受験をした当時、東大の定員はおよそ1000人だった。つまり同じ年に生まれて東大に入れる確立は0.1%。それに比べれば1%なんて10倍も簡単だよ。これからもがんばるよ。でも少なくとも今だったら、体力的には平均より上にいるはず。そう考えて

大将

ある意味25日からの続き。

「川渕キャプテン」がどうも珍妙に聞こえてしまうのは、「キャプテン」の響きから加山雄三を連想してしまうからに違いないなー。加山キャプテン、うん、これはきっと僕だけではないはずだ。え!何でキャプテンなの!?っていう若いあなたに念のためこちら。日本が生んだ正統派アイドル第一世代の彼についてこんな事を書いたらファンの皆さんに怒られるかもしれないけど、僕は加山の奇妙に黒々した髪と、のっぺりした声を聞く度にどうしても拭いきれないうさん臭さを感じてしまうのです。

ところで、加山雄三と言えば泣く子も黙るご存知「若大将」。元となってるのはもちろん彼が主演した映画ですね。個人的に思い出すシリーズ作品としては、彼が長年をかけて作り上げたイメージの一つである「エレキの若大将」かな。でもこの若大将シリーズを改めて調べてみると、鳥肌が立たんばかりに面白そうなタイトルばかり。改めてビデオを観たくなってしまいました。シリーズ全18作品、ここで思い切って全タイトルを載せてみよう!

01 大学の若大将
02 銀座の若大将
03 日本一の若大将
04 ハワイの若大将
05 海の若大将
06 エレキの若大将
07 アルプスの若大将
08 歌う若大将
09 レッツゴー!若大将
10 南太平洋の若大将
11 ゴー!ゴー!若大将
12 リオの若大将
13 フレッシュマン若大将
14 ニュージーランドの若大将
15 ブラボー!若大将
16 俺の空だぜ!若大将
17 若大将 対 青大将
18 帰ってきた若大将参考

1(大学の)〜4(ハワイの)までは、いち青年が夢を掴みながら成長を遂げる姿が想像できますね。順調に続く4,5作目で加山雄三が持つ、得体の知れない「海」のイメージが完成されたと言えるでしょう。それから僕の脳裏から離れない、エレキギターをかき鳴らす加山の姿は、第6作目にしてようやく拝むことができます。また颯爽とシュプールを描き、のちに「キャプテン加山コースト」の礎となるのは第7作目の「アルプスの若大将」。

しかし!何と言っても僕がヨダレを垂らしながら、本気で興味をそそられてしまうのはこの次あたりからですねー。段々タイトルがぶっちゃけてきました。「歌う若大将」。9作目「レッツゴー!」では彼が何をしたいのか、それを読んだだけでは全くわかりません。一体11作目の「ゴー!ゴー!」とどう違うのか非常に気になるところです。ぜひこの目で確かめたい。記念すべき10作目にしてハワイを一気に飛び出し、活動エリアを「南太平洋」全域へと広げた若大将。12作目の「リオ」というのはブラジルのリオデジャネイロの事なのでしょうか。また14作目の「ニュージーランド」の文字を目にすると、このあたりで大衆に広まってしまった加山=ハワイのイメージを払拭しようとする事務所サイドの意図が見て取れますね。そんな彼はたまには挫折も味わいます、13作目にして再び「フレッシュマン」になったのは何か重大なミスでも犯したのでしょうか。またこの時点で既に海と山を制覇しているキャプテン加山は、「俺の空だぜ!」でスカイダイビングにも果敢に挑戦しています。まるでスキューバダイビングをするガチャピンを見るようです。17作目では若大将シリーズで加山の永遠のライバル兼、最大の引き立て役、青大将との対決を大々的にフィーチャー。名バイプレーヤー田中邦衛の真骨頂です。この最後の決戦にケリをつけ、シリーズは無事フィナーレを迎えたかと思いきや、19作目で「帰ってきた」となるのはやっぱり加山雄三は役者が違うなー。ヒヤヒヤしたファンが胸を撫で下ろした姿を想像できますね。

こうやってシリーズ全体を眺めてみると、製作側の苦労がわかる気がします。東宝よくがんばった、僕も感動したぞ。でも海とか山とか空とか、映画で何をやらせるかひねり出すのは大変だったんだろうなー。仮に今でもシリーズが続いていたとする。今後思い切って精神世界に踏み出す勇気はなさそうだし、もう行き着くところは宇宙しかない。絶対に「宇宙に飛び出せ!若大将」とかあったんだろうな。ちなみにガチャピンはあの姿でスキューバを体験した後、ロシアの飛行船ソユーズで宇宙飛行を楽しんでいたりします。これマジね。それにしたってガチャピンもムチャしてるな。

えー、話が思いっきり脱線してきたので強引に戻してみよっと。「川渕キャプテン」というのはどれだけ一般に浸透するのだろうか…。

秋の夜長は考えることが多くて実に困る。

ふと

「川渕キャプテン」って変なネーミングですね。

ふと

「川渕キャプテン」って変なネーミングですね。

Seven Devil's Loop

18日分の日記で書いたトレイルに19〜21日を費やして出かける。同行するのは僕と同様前セメスターで学校を卒業し、次のステップの準備しているTさん。Seven Devil's Loopと呼ばれるトレイルは一周27マイルだが、ちょっと遠回りするので合計30マイルくらい(約48キロ)。3日間の予定でトレイルを反時計回りに歩く。トレイルから目に入る荒々しい岩山たちには、それぞれDevil's 〜という名前が付けられ僕らの目を楽しませてくれる。体力に余分のある間にアップダウンの厳しいエリアを先に終え、比較的楽だと思われるあたりを後に回して先送りする作戦。

出発は18日水曜日。Moscowから車で南に2時間半ほどにある小さな街Riggins、さらにそこからダートを 45分ほど西に進んだHell's Canyonへ向かう。Windy Saddleというキャンプグラウンド兼トレイルヘッドに到着したのは午後6時半ころ。Moscowは空が高く晴天で気持ちが良かったが、このキャンプグラウンドは名前の通り風が強くて肌寒い。Tシャツ一枚の軽装から、慌ててフリースとジャケットを着込んだ。まだ辛うじて夏の雰囲気を残す下界と違って、標高約2300メートルのこの場所は完全に秋の様子。

この日は始めから歩くつもりはなかったので、テントを素早く張って食事の支度。ひと月前なら8時半でも明るかったが、今では7時を少し回るともう暗い。季節の変わり目を体感する。僕らの予想を超えてはるかに寒かったが、それにも負けずに焚き火をしてビールをあおる。その焚き火で炙ったチキンが美味しかった。10時には寝る。

19日。トレイルをスタート。キャンプ予定地はそう遠くはないので、ゆっくり支度をして9時半に出た。久しぶりに重たい荷物を背負い足が重たい。直前にひいてしまった風邪が直りきっていないのも、体に負担をかけた原因だったかもしれない。アップダウンが激しいトレイルを何回も休憩しながら進み、午後3時半にキャンプ予定の湖へ。すぐにテントを設営し、そこから45分ほどかけて展望台までの山道を登った。このHell's Canyonは何気にアメリカで一番深い渓谷だったりする。つまりはGrand Canyonよりも規模がデカイと言えなくもないのだ。2000メートル下にSnake Riverが横たわっているのが見えた。夏場はこの川でのリバーラフティングが盛んでもある。

キャンプに戻ってこの夜も焚き火。荷物になるにも関わらず持ってきた缶ビールを開ける。薪をかき集めてかなり高い火柱を上げた。日が落ちると急激に気温が下がったが、うなりを上げて揺らめく炎のそばに座っていたら寒さもそう気にはならなかった。Tさんと色々しゃべって時間が過ぎていく。前日と違い、風も出ていなかったので過ごし易い。10時に寝袋へ入る。炎の赤外線で体がポカポカする。

20日。2日目。前日と比べてテントの中が暖かかったのでぐっすり眠れた。ふくらはぎと腰の後ろに筋肉痛。両肩も痛い。体を鈍らせないためジョギングを継続している僕だが、やはり使う筋力が微妙に違うようだ。コーヒーを沸かして飲み、8時半に出発。膝を痛めたTさんにサポーターを提供した。僕は夏の旅行で左足首を痛めている。実を言うといまだにその違和感が残っていて少し心配していたのだが、これなら何とかなりそうだ。午前中は少し天気が悪く山にはガスが立ち込めていたが、午後になると太陽が顔を出した。歩いていると汗が出てくるが、一たびパックを降ろして休憩すると今度は風に当たって寒くなる。歩きやすいと言えばそうだが、これでは何を着てよいのか迷ってしまう。相変わらず鼻声で鼻水も止まらないし、治る風邪も治らないよ。

トレイル上は初日に感じたとおり完全な秋の景色。感覚的には秋の遠足。途中非常にわかり難いジャンクションで道に迷う。僕が夏に行ったトレイルとは違って人出が少ないので、そのあたりが不親切だったりする。またSeven Devil's Loopでは水の補給箇所が限られていた。そう考えると如何にJMTが歩きやすかったかを実感する。コースは長い登りが続いた。黙々と歩くが思っているほど距離が延びない。5時半にストップ。既にキツイ場所をクリア済みと思っていたので、そのギャップがあってこの日はかなり疲れた。3日間で余裕で終わるだろうとタカをくくっていたが、この調子では4日を費やすのか、と覚悟したくらい。ひと月半ほど前は、もっとアップダウンの激しいトレイルで、より長い距離に加えてより重たい荷物を背負って歩いていた。自分で言うのも何だが我ながら大した物だな。

キャンプ地はループトレイルの最南端部分。2 人とも疲れていたので食事を多めに取りたかった。しかし水場がないこのキャンプ地では、飲み水をセーブしなければいけない。フリーズドライをそれぞれ一袋と前日余った行動食で間に合わせた。やはり大きな焚き火をする。二人とも基本的に焚き火好きなので、これはこれで立派な暇つぶし。焚き火職人かと思うほど、きれいに薪を燃やし尽くした。元々あったファイアーリングが小さく物足りないので、臨時拡張工事まで施してしまった。焚き火はそれまでで一番大きく体も温まったが、場所的には非常に寒い。満月に刺激されてか、野生動物が遠吠えしてちょっと怖い。風でテントがガサガサ揺れるので、いちいち神経が過敏になってしまう。10時半にはテントに入ったが、夜中の1時にようやく眠りに着いた。

9月21日。3日目。前日は午前1時にようやく寝たにも関わらず、3時には目を覚まし、それから明け方まで眠れず。フリースを2枚も重ねているのに寒くて眠れなかった。しょうがないのでTシャツをその上に重ね、やっと明け方までウトウトする。結局ダラダラ8時までテント内で過ごす。というか寒くて外に出られなかった。勇気を振り絞ってファスナーを開けて寝袋から這い出ると、ボトルに残った水が凍結していた。霜も降りている。これじゃ寒くて当たり前だ。この朝は水がほとんど無いので、飲み物で体に暖を入れる事は出来なかった。出来れば早く出発したかったが、結局歩き始めたのは9時半。

車をとめたスタート/ゴール地点までは11マイル。前日と同じくらいの距離だが、登り降りが緩やかなので快調に進む。歩き始めると体も温まってきた。しかし問題なのは水場が極端に少なかった事。スタートした時点で残りの水は200ミリリットルほど。水を補給しようと地図上では川が流れてる地点に着いても、肝心の川が干上がっている。このように普段は水がある場所を何箇所も通り過ぎていった。涼しい今の季節だから平気だったが、真夏にこのトレイルを歩いたら死活問題だったかもしれない。結局湖から流れ出る川にたどり着いたのは、出発してから4時間も経過した後だった。

ゴール直前、何でこんな厳しいトレイルの切り方をするのかと思うほど登りが大変だったが、予定通り午後3時半にゴール。大きくぐるっと一周し、スタート地点に無事戻ってきた訳だ。Tさんの車に残されたビールで乾杯。この達成感を感じる瞬間は何物にも替えがたい。彼は途中膝の調子が芳しくなかったが、それでも何とか後半を乗り切れたようだ。

2002年の夏を締めくくった気がする。これから先の人生で、何日間も世界から離れるこのようなハイキングは出来ないように思う。そう思うと、何か大事な物が指の間から零れ落ちてしまうようで寂しく感じる。早くも傾いている太陽を眺めながら少し感傷的になった。冷たい風が肌に当たる季節になると思うものが多い。手を伸ばしても届かない僕の指先で、綿毛がフワフワと風で運ばれていった。

▼2002年 9月25日 (Wed) -- No.[8

三寒四温

▼2002年 9月18日 (Wed) -- No.[11]

「三寒四温」、偏西風により冬場に生じる気象現象。今はまったくその逆の季節だが、漢字から受ける印象は同じ。ここ数日肌寒い日が続き、今日は打って変わっての晴天。ただし風が多少冷たい。心地よい夏が終わり、白いものに覆い尽くされる季節に移り変わっていくのが実感できる。

この時期を逃すともう遅すぎるかもしれないので、僕は夏を締めくくるべく、再びトレイルに出かける事にした。出発は18日(水)。場所はMoscowから車で二時間半ほど南にあるRigginsという街。この近くにあり、アメリカ政府からNational Recreation Areaに指定されているHell's Canyon。そのエリア内にある一周27マイルのSeven Devils Loop Trail。

JMTほど準備に万全をきす必要もないので、パッキングもすぐに終了。あれほど重たかったバックパックも比較的軽く感じられるのは、3週間のトレイルを経験したおかげか。地図やトレイルコンディションなどは学校の図書館で調べた。そこそこ有名なのか、一通りの資料は揃ったが、時期的に言って今はもう訪れる人が少ないだろう。天気予報によると、これから週末にかけては好天が続くようだ。いくらなんでもまだ雪は降らないだろうが、日が落ちてからの冷え込みは真夏の比較ではないはず。

やらなきゃいけない事があるのはわかっているが、中々思うように事態が進展していない。風邪を拗らせたりして最近は気分もあまり良くなかった。頭と体がどうもしゃきっとしない、この辺りで方向修正を施さなければ、と思ったのもトレイルを歩く理由だ。3日間頭をからっぽにして自然に入り、これからの英気を養う事ができればと思う。生ぬるい環境に浸っていてはダメだ。

副作用のない薬なんて

▼2002年 9月14日 (Sat) -- No.[13]

突拍子も無い事だけど、副作用のない薬なんてこの世に存在しない気がする。こんな事を突然思ったのも、いきなり風邪を引いてしまったから。数日前から喉が痛くてくしゃみも止まらない。たまらず薬を飲んでみる。服用後、確かに鼻の通りが一時的に良くなって症状が緩和。それは良いのだが今度は眠気が襲ってきた。頭もぼやける。

同じような理由で、みのもんたの「おもいっきりテレビ」の特集を僕は否定する。例えば「高血圧に効くホウレンソウ」というのがあるとする。この野菜に含まれているカリウムが高血圧を予防するので、積極的に食事のメニューに入れるべきだというもの。そしてその日のゲスト達はいかにも自分の無知を恥じるように納得し、ホウレンソウに含まれてる貴重なミネラルを有難がるのだ。もちろんスタジオで観覧しているおばちゃんたちも真剣。「これからはホウレンソウを沢山食べよう」と言う結論。

しかしこの「高血圧予防に効くホウレンソウ」が忘れ去られた三ヶ月後あたりに、今度は「ガンの進行を進める注意野菜」みたいな特集があったりする。その日の特集ではガン細胞を成長させるカリウムの有害性が指摘され、ホウレンソウがその含有率が高いので特に注意するように、などという内容で番組が編成される。やはりここでもゲストとスタジオのおばちゃんは「ウムム・・・、そんな事知らなかったわ」と唸ってホウレンソウはヤバイという事になる。そして「これからはホウレンソウは控えよう」と言う結論。

言ってるのが全く逆なんじゃないの?と感じるが、しかしどちらも正しいのだ。「日々の健康」が大きなテーマ。しかし「高血圧」あるいは「ガン」という違う尺度でホウレンソウを見てみる。野菜に含まれている同じ成分でも、捕らえ方によって功罪両面あって当たり前なのだ。

うーん、薬で頭がぼやけて論点がはっきりしてない!僕が何を書きたいかというと、ある存在が否定できないモノがあるのならば、その対になるものの存在も否定できないと言う事・・・かな。ちょっと小難しくなってきたのでまた今度ゆっくり考えよう。

要は風邪薬は完全に効かない。

ゆがんだ構図

▼2002年 9月11日 (Wed) -- No.[14]

圧倒的な力に敢えて立ち向かっても、結果的に自らをすり減らすだけだ。去年ニューヨークの世界貿易センタービルに、テロリストのグループがハイジャックした民間機を丸ごと武器に変え破壊活動に出てから、この日で早くも一年が経った。去年の事は今でも良く覚えている。教室で話したクラスメートが、血走った目をしながら事の重大性を口にしていた。当日は授業どころではなかった。多くのクラスでキャンセルが相次ぎ、または早めに授業を終え、事件の一部始終を把握しようと大学全体が勤めていた。後から聞いた事だが、UIに通う学生の母親が偶然にもビルに突っ込んだ旅客機に搭乗し、事件で命を落としていたそうだ。直接の犠牲者と、救援活動中に命を絶った勇気ある人々の冥福を祈る。

私刑として暴力による実力行使は絶対に賛成してはならないと思うが、テロ活動の標的になったアメリカにも理由があるはず。冷戦が終わり世界で唯一の超大国になったアメリカ。そしてその強大な力に後押しされ、他国に対し時に利己的な政策をも強要するアメリカ。当然世界中からの反感も多い。むしろ日本を含めてアメリカの国策に異議を唱えない国の方が、かえって少ないくらいだ。しかしながらあまりにそのパワーバランスに偏りがあるため、面と向かって刃向かう事自体がタブー視されている。初めから負けが見えているの事件は、アメリカによる世界規模での圧制に絶えられなかった一グループが、手段を誤って引き起こした残念なテロ活動だったと個人的には思う。同様に事件はこれまでアメリカが取ってきた対外政策のツケだとも思う。

日本にいる頃に持っていた「アメリカ=豊か」という印象。事実アメリカに来てからも、僕の抱いていたイメージ以上の本質的豊かさに触れる事ができた。しかしその印象は長続きはしていない。今ではアメリカの資本主義は歪んでいるとさえ感じている。自由主義経済の名の下、アメリカ国内および世界中の貧困層から富を搾取し、繁栄を享受している一部の国民とアメリカの資本主義。彼らは根本的な何かを見落としていると思う。この思いは何度か貧しい国に足を踏み入れた時にも強く感じた。アメリカから車でたった10分だけ国境を越えた街では、小さな子供が観光客に近寄り路上で物乞いをしていた。遠巻きにその姿を見つめる母親の姿を見た時、社会主義、共産主義経済の必要性を実感したからだ。

僕は思想的に社会主義者、共産主義者では決してない。それにアメリカの豊かさを心から謳歌している一人である。ただ僕が危惧してならないのは、テロ活動の標的になったアメリカが自身の失敗を省みず、「やられたらやり返す」という単純な発想に走っている事。これでは「平和を守るために戦争に備えよ」という前時代的思考から全く進歩がないのではないか。テーマが飛躍するかもしれないが、真珠湾の代わりに広島を壊滅させたのと発想的に大きな違いはないのだ。

世界のリーダーシップを握り、より良い社会に世界全体を導びこうとするアメリカの態度はもちろん歓迎するべきだと思う。しかし注意深く考えたら世界の発展を目的と見せかけ、実は自国の利益を最優先した表面的な体裁だとしたら、それは残念極まりない。今後同じ過ちが繰り返される可能性も無きにしも非ずだ。あれから1年、テロの悲劇からアメリカ社会は一体何を学んだのか。僕はもう少し世界に耳を傾けた方が得策なのではと思う。

テーマソング

▼2002年 9月 7日 (Sat) -- No.[15]

いつ頃からか忘れたけど僕には「その月のテーマソング」みたいなのがいくつかある。毎年季節が移って該当する月に入ると、CDでその曲をよく聴いたり、または気付かずに鼻歌を歌ったりもしている。

月に入って1週間、今月のテーマソングは"Earth Wind and Fire"のその名も"September"。昨日になって突然思い出したように何度もリプレイしている。有名だから曲名を知らなくても、大抵の人はメロディーを知っているだろう。説明の必要はないが、この曲を9月に聞くのはそのままタイトルが月名だからだ。アップテンポのこの曲を聴いていると、夏が終わり少しずつ寒くなる嫌な気分を忘れさせてくれる。中心メンバーの一人がアルツハイマーで闘病中と聞いたが、彼らは今でもがんばっているのだろうか。

ちなみに今後2ヶ月のテーマソングをあげてみると10月が"Harry Connick Jr."の"Recipe for Love"。11月になったら"GN'R"の"November Rain"を良く聞く。

もし10月の歌を知っている人がいるのなら、ちょっとここで揚げるのは恥ずかしい。と言うのは、口に出すのが躊躇われるほど歌詞が甘い歌だから。でも楽しげでとっても秋らしい。その季節、落ち葉を踏みながら散歩すると、僕の頭に自然と曲が流れてくるのだ。ハリー・コニック・ジュニアのジャズミュージシャンとしての地位は一体どれほどの物なんだろう。一時はシナトラ2世と騒がれた事もあるので、実力もそれなりに伴っているはず。ただし日本では彼をアイドル的な存在として扱うケースが多かった。彼が物凄く真剣にジャズをしていとしたら、その扱い方は彼に対して失礼だとも思う。でもこれは素人の考えすぎなのか。

11 月の歌はガンズの代表曲の一つ。「11月の冷たい雨も何時かきっと止む時が来る」とアクセル・ローズが変な声で歌うが、僕にとっては思い出の一曲でもある。大きく捕らえた場合、恋人との別れをテーマにした歌。しかし僕は「終らないものは何もない」という独立したメッセージソングとして聞いている。僕の苦しみの度合いなんてたかが知れてるけど、今まで何か嫌なことがあった時はこの曲を何度も聞いて自分を励ました。僕には人生で楽曲を聴いて涙が出た歌が2つだけある。これはそのうちの1つだ。彼らの作品の中では静かな曲調の部類に入るが、決して典型的なバラードでなはい。その力強さに涙が出る。彼らも今は何を・・・。

こんな感じで一年が音楽と共に過ぎていく。

最近は月が変るペースが速くなってきた。

現代日本の男性

▼2002年 9月 6日 (Fri) -- No.[17]

料理について書いてた時ふと思った事。現代日本の男性が中性的になったと言われるのは、一人暮らしする独身男性が増えたのと関係あるような気がしてならない。

過去の日本においては独特の家制度により、男は外に糧を得るために出かけ、家で雑務をこなす必要は一切なかった。その時代の残影が色濃い60年代、70年代でも、実家から離れて生活する場合に例えば下宿制度などの存在があったため、家事の負担は遥かに少なかったであろう。今現在、地方から仕事で出てきた場合一人暮らしが多いと思う。同じように大学へ通うような時にも一人暮らしを選ぶ学生が多い。寮などに入る事があったとしても、結婚し自らの所帯を構える前には、何らかの形で必ず一度は一人暮らしを経験するだろう。

そんな一人暮らしでは生活に余裕がない限り、何から何まで当然一人でやらなければならない。炊事、洗濯を含めた家事全般に及ぶそれらを、僕ら男は必要に駆られながら一通り身に着けて行く。慎ましく生活するためだ。僕が都内で一人暮らしをしてた時は、たまに裁縫などもした記憶がある。そんな一人暮らしを経験した僕らは、その後結婚して家庭を持った時、一人暮らしで培った家事の経験が自然と反復されてしまう。仮にパートナーが家事を専門としていたとしても、僕らは気付かずに洗濯物を畳んだり食器を洗おうと体が動くのだ。

一般論としてこのように片付けられるとは思わないが、少なくとも僕自身はこのケースに当てはまると思う。同じような男性も世の中には沢山いるだろう。独身男性全体が、過去には女性の仕事とされていた家事に抵抗なく時間を割けるようになる。男性の家事に対する理解が増したとも言えるかもしれない。女性の社会的地位が向上し男性化していくのと同じ歩調をとって、同じように男性が女性的になる。そんな家事をする父親を見て男の子は育ち、昔の世代が抱えていた先入観なしに家事を進んでするようになる。その結果両性ともより中性的に変化していく。

「男は外、女は中」的な考えはやはり理不尽な考え方だと思う。でも個人的に「男らしさ」「女らしさ」はあってしかるべきだとも思う。女性には力仕事などやりにくいだろうし、男性では人が集まる場所を華やかに飾る事は難しい。男女の区別ではなく、人間として得意不得意分野があるのは当たり前でもある。人間とは自分に無いものを持つ人に自然と惹かれていくもの。自分から見て一番欠けているものを内包しているのは、昔から変らず常に対となる性だった。だから男と女はお互いの欠点を補うため、生活を共にしてきたのだ。

ところで「女々しい」って、近い将来差別用語に該当するようになるかもしれませんね。

どうでも良いこと第二弾

どうでも良いこと第二弾。料理について。これもしばらく前から頭を悩ませてました。

「僕といえばコレ」という料理がはたしてあるでしょうか。「ワタナベの豚キムチチャーハンは美味しい」とか「ショウタロウさんのチーズ蒸しパンはラテと合う」とかそういうヤツ。残念ながら今のところそんな料理はないでしょうねー。僕の趣味に料理は入っていません。もちろん必要に駆られてキッチンに立つ時はあります。時と場合によっては僕がリラックスできる一つの方法とも言えるでしょう。でも得意料理がない。そんな訳で「僕といえば」から連想できるカッコいい料理名をずっと考えてます。

何が良いかなー。何かこう、男っぽい豪快な料理として「俺のカマ焼き」とか「俺のシシカバブー」などに憧れたりするけど、以外に「俺のベッタラ漬け」と意表を付いても面白いだろうなー。反面、「僕の地中海風白魚のリゾット」とか「僕の若鶏のハーブ焼き」とか「僕のアプリコット入りキッシュ」など訳がわからないけどなんとなくメルヘンチックなのも女の子ウケして良いな。

レシピがあってやる気もあれば、味はともあれ上のメニューは作れるでしょうね。はい。でも根本的な問題として、僕が何回もその料理を作るとは性格的に思えないのです。レシピを観ずに目分量だけで毎回同じ美味しい味になる、そんなところまで絶対に作りこまないでしょう。でも何か18番が欲しいなと思う今日この頃・・・。

やっぱり人にとってはこんな事どうでもいいんだろうな。

どうでもよい事(その1)

▼2002年 9月 4日 (Wed) -- No.[16]

たまにホントどうでもよい事を考えてます。最近僕が頭を悩ませていたのは「家族の人はどんな事してるの?」と聞かれた時、どんな答えが理想的なのか。いかに友達に格好良く答えるための職業は何か。ホントどうでも良いことです。

答えは沢山あると思います。医者や弁護士など社会的地位の高い職業から、芸能人などの華やかな職業、人によっては先生とか警官などオカタイ職業を揚げたい場合もあるでしょうね。僕の父親は普通の会社員です。もちろん僕は父親に職業に何の文句もありません。尊敬してる人は?と聞かれたら僕は父親の名前を挙げます。でももし誰かが「お父さん何してるの?」と聞いてきたら・・・。

小学生高学年になり大人の階段を上り始めたくらいの僕は、「彫刻家」あるいは「チェロ弾き」とはにかみながら答えてみたい!僕はどうも美的センスに欠けてる部分があるので、どうしても文化の香り漂うハイソな世界に仲間入りしてみたくなります。

でも本当にどうでも良いな。

第4の権力

▼2002年 9月 2日 (Mon) -- No.[10]

インターネットが果たした役割は大きい。僕らはインターネット第一世代として、その歴史的重要性により注意を払ってしかるべきだと思う。歴史は後世が解釈するもの。僕らはその生き証人として、彼らの手助けを義務付けられているのかもしれない。インターネットがもたらした功罪は計り知れない。僕はこのネットワークは一種の革命として後々教科書に載るとさえ信じている。

僕がインターネットに関して考える最も"功”であった役割の一つに、一般人民に本質的言論の自由を与えてくれた事実があると思う。

大戦中言論統制されていた過去があるとは言え、今までマスコミュニケーションは常に世論の象徴であった。掬いきれない末端の現実を、メディアを通してお上に伝達する役割を十分に果たしていた。文字通り第3の権力として、より良い社会を作り出す一端を担っていたのだ。しかしマスコミは自身の力に陶酔し始める。まるで自らの手によって世論を操作できるかのような錯覚に陥り、彼らは堕落して行った。日本が世界に誇る通信社、共同と時事。大国を代表するのに一つで足りる通信社が日本に2つもあるのはこの為だ。両方とも両翼のプロパガンダとしての名残である。

マスコミはいまだその堕ちたエゴイズムに浸りきっている。自分らはまだ歪んだ権力の一部である事を信じて止まないでいる。そして彼らは気がつかないでいる。一般市民が、その生の声をようやく世界に伝える事が可能になった事を。

インターネットの普及。僕ら人民はインターネットを通して歴史上初めて世界に直接訴えかける事が可能になった。相対的にマスコミの権威は落ちてきた。彼らはこの重大な事実を真に受けるべきだ。一個人は自身の発想、思想、幻想、そして理想を発信する。それを世界のどこかで見た人は、痛く共感するかもしれないし、あるいは反感を抱くかもしれない。しかしそのように自分の意思を思いのまま伝えられる事こそ、僕は意義あるアイデアだと思う。一個人が言いたい事を伝える。賛否両論、それに対する反応がある。もしかしたらその議論が他人に影響を及ぼし、世界的な机上のテーマになるかもしれない。そして世界は動いていく。

だから僕は日記を書く。

Monthly Archive

2008年
2007年
2006年
2005年
2004年
2003年
2002年
2001年
2000年

Search Word Cloud