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ヨセミテを歩く

数週間ほど前だったと思う。NHKのBSで、とある日本人女優がヨセミテをトレッキングするドキュメンタリー風旅行記が放映されていた。どうやらこの番組は再放送に違いない。そう言えば以前父親が「ヨセミテを歩く番組」をどこかで観たと言っていた。僕が今夏にヨセミテから送った絵葉書から興味を抱き、たまたまその番組を目にする事になった父親の一言だったと記憶している。

映像として映し出される風景を、コタツにあたりながらぼんやり眺める。うっそうと生い茂る松の森や、吸い込まれそうなくらい真っ青な空、優雅に佇む白い雲、気の遠くなる程の年月を際して氷河に削り取られた渓谷などなど。のっぺりとしたブラウン管の向こうには、まるで非現実的な夢世界が広がっていた。時に人を包み込む優しい自然、時に人を寄せ付けない荒々しい自然、その悠久の姿だ。

気が付いたら涙が出そうになった。僕がその国立公園に自らの足で立ち、女優と同じトレイルを体全体で感じていた頃から、事実としてまだ半年と経過していない。しかしその頃の記憶など、もはや過ぎ去った過去と感じている自分。そう自覚した時に少なからずショックを覚えたのだ。

日本で普通にこの番組を観たならば、「いつか自分も」と人生の目標に掲げられそうな景勝地帯として瞼に残るかもしれない。しかし詰まるところ、普段営んでいる実生活との関わりは皆無に等しいはず。複雑な人間関係のしがらみに疲れ、ストレスに押しつぶされそうな社会の一部として機能せざるを得ない自分達には、所詮夢のまた夢なのだ。言葉にならない言葉。言葉にしたくない言葉。絶望的に心の奥底でそう感じながら、雄大な自然を目にして「こんな世界もあるのか」と思うのが精一杯だろう。

しかし僕は現実にその場の風を肌に感じていた。

歯を食いしばってトレイルを踏みしめたのを、既に過去として感じてしまっている僕。そしてあの頃から生活は一変した。アメリカからの帰国、就職活動、勤務先の決定、それにまつわる準備と引越し。その落ち着かない毎日に紛れ、僕の中で何かが変わり、何かを忘れてしまったのだろうか。

先週末の引越し後、しばらく着ていなかった衣類に袖を通した。アメリカにいた頃に羽織っていたダウンジャケットだ。シャワーを浴びた後、喉の渇きを潤そうと飲み物を買いに出た夜だった。2ヶ月前のアメリカに、日本で頬に刺す風の冷たさが追いついたのだろう。冷たい風に思わずポケットに手を入れる。

指先に一枚の紙片が当たった。何だろうと思って取り出す。アメリカにいた頃、日用品を買い求めていたスーパーマーケットのレシートだった。ビールを1ダースとスナック類でおよそ$12。

ポケットの小さな世界は、あの頃と何も変わっていなかった。

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