« 2003年08月 | Home | 2003年10月 »

読者からのお便りコーナー!

僕が書いた日記に対して、読者の一人からメールが届いた。僕と同様に、目に見えない何かにもがき、苦しみ、そして自己のリーゾンテールを確認しようと毎日を送っている。僕が与えた刺激が、それ本来の感覚だけでなく、別の感覚をも同時に生じさせた現象。彼女の一年以上前の日記より。

----------------------------------------------------
ある生活レベルを保って社会と同化している間は、
自己を問うこともなくすべてをあやふやにしたままで、
安穏と暮らしていける。

自分に直面する必要もないし、限界に触れる必要もない。
ということは変化の必然性が生み出されない。
そういう状況はある意味では不幸だ。(2002/06/03)
----------------------------------------------------

僕の日記に共感してくれる人がいる限り、出来るだけ自己を発信し続けてやるっちゃ。

誰か僕に限界を感じさせてくれ。

朝のリレー

人とのメールのやり取りで、最近某食品メーカーのCMでも使われている一つの詩が話題に上った。有名な作品だから記憶している人も多いと思う。

------------------------
『朝のリレー』 谷川俊太郎

カムチャツカの若者が
きりんの夢を見ているとき
メキシコの娘は
朝もやの中でバスを待っている
ニューヨークの少女が
ほほえみながら寝がえりをうつとき
ローマの少年は
柱頭を染める朝陽にウインクする

この地球では
いつもどこかで朝がはじまっている
ぼくらは朝をリレーするのだ
経度から経度へと
そうしていわば交替で地球を守る

眠る前のひととき耳をすますと
どこか遠くで目覚時計のベルが鳴ってる
それはあなたの送った朝を
誰かがしっかりと受けとめた証拠なのだ
------------------------

学校の授業で習ったこの詩を、改めて声に出して読んでみる。昔は解らなかった言葉の組み合わせの意味に、この年齢になって僕はようやく気が付いた。誰がどう考えても、もっともであること。それ故に疑う事さえ忘れてしまう事実。

僕が一日に疲れて目を閉じた瞬間、地球のどこかで目を覚ます人がいる。どこかで誰かが必ず希望に満ちた朝を迎えている。僕にとっては夕焼けでも、誰かにとっては朝焼けなのだ。この詩が心に残るのは、朝という何かが始まる予感と、夜という何かをなし終えた安心感が混在しているからだろう。

何か乗り越えなきゃいけない物があるとき、"Life Goes On"って思うようにしている。結局そういう事なのだ。誰にでも必ず朝は来る。


--------------------------------------------------------------------------------
■shinya 何か、困難にブチあたったんですか?
..2003/09/15(Mon) 09:56 (11)
--------------------------------------------------------------------------------

■ワタナベ 季節は人を詩人にするのでR。
..2003/09/15(Mon) 19:18 (12)
--------------------------------------------------------------------------------

911

そう言えば、人を諭し説得を試みようとする場合、相手の意見を聞いた上で、忘れていた何かを思い出させるように努めると良いらしいです。

--------------------
そう言えば、2年前の今日はテロが発生した日だったなー。アメリカの民間人犠牲者数はおよそ3300人だったかなー。そう言えば、その1年前、アメリカ軍が空爆したアフガニスタンの民間人犠牲者数はおよそ4000人だったかなー。

そう言えばこんな数字も・・・、

ソマリアへの「人道援助」で死んだ一般人は1万人、同様にアメリカによる傀儡政権でエルサルバドルで7万5千人、湾岸戦争で20万人、イスラエルへの援助によりパレスチナで10万人、ベトナムで300万人、第2次大戦の日本で67万人(本土のみ)だったかなー。

世界で唯一の超大国アメリカ。その彼らが叫ぶ狂気を伴ったテロリストへの制裁と、自国民犠牲者への追悼。歪んだ世界平和(アメリカの利益)を保つため、疑いだけで危険分子を排除する法律を持つアメリカ。彼らはテロの原因を本気で考えた事が一度でもあったのだろうか?どう考えてもアメリカの方が狂気だ。
--------------------

ってこれを読んだ人で、最後の段落にある程度の納得をしてくれた人もいるのでしょうか。でも本質は違う気がする。

アル・カイーダが起こしたテロのアメリカ人犠牲者3300人とアメリカによるアフガン空爆での犠牲者4000人。論点を絞るため、この2つのだけに注目する。僕らはこの数字をどう解釈すれば良いのか。

4000-3300=700。アメリカの方が悪い。多分これが日本人の一般論なのではないか。アフガン空爆以外にも、僕が上に挙げたような様々な局面でアメリカは殺戮を繰り返してきた訳だから、素直にそう考えるのも確かに一理はある。

4000+3300=7300。国籍に関係なく失われた7300の命。その内の3300人がアル・カイーダの責任、4000人がアメリカの責任。

単純に責任論で済まされる訳でもないとは思う。でも命は引き算じゃない。足し算なんじゃないのか。

訃報

「サイモンとガーファンクルが20年ぶりに復活」というニュースを聞いて僕は耳を疑ってしまった。というのもアート・ガーファンクルっててっきり死んだと思ってたから。おかしいなぁ。確かに彼の訃報が流れたと思ってたのに・・・。

でもちゃんと思い出してみた。しばらく前にジョー・ディマジオが死んだ時、ヤンキースタジアムのマウンドで「ミセス・ロビンソン」をギター一本で歌った彼を見たのが最後。そのニュースが微妙に頭の中で変化し、きっと僕はディマジオとアーティを取り違えてたんだなと気が付いた。

人の記憶って曖昧だ。そう考えると、もしかしたら僕は他にも人を勝手に殺してるかもしれない。土居まさる?

山手線を一周




今年の春先、思いついたまま山手線を一周歩いたことがあった。僕が以前主宰していたウェブページにその様子を書いた記憶があるので、もしかしたら読んだ人もいるかもしれない。



改めて書く。8時間かけて歩いた直接の動機、それは僕がアメリカによるイラク侵攻のニュースに、やり場のない違和感を覚えたからだ。一見無駄な行為に違いない。「それで何を得た?」と人に問われても、僕は明確な返答に迷ってしまう。ただし断言できることがあるならば、絶えてしまった命は歩くことができないという事。歩き終えた後、体に残る心地よい疲労感も、彼らは決して味わうことができない。



5年ほど前からだと思う。僕は突然歩いたり走ったりという基礎的な運動行為に、人より多く時間を割くようになった。東京の郊外から山梨の実家まで徒歩で帰ったり、プールで全く休まずに3時間以上泳ぎ続けてみたりした。山の中を3週間以上彷徨ったこともあったし、つい最近は徒歩ではなく、走って山手線を一周した。それで何を得た?



失われた命が決して持てない、「生きている」という実感。しかし歩き、泳ぎ、走り続けても、強烈な印象を伴う経験を得られる訳では決してない。人によっては達成感が残るかもしれない。でも多くの場合、そこには何も残らないのだ。自分が費やした体力と時間の対価。足し算と引き算と掛け算と割り算を繰り返した結果が、最終的にゼロと弾き出された時、僕らは自分自身の存在を、改めて問い直すことになるだろう。



そしてそれこそ人生だ。







■ワタナベ「撲殺」→「忙殺」の誤りです。指摘ありがとう。

..2003/09/10(Wed) 22:59 (7)




ナベショウ大いに吠えない




社会人になってから、こういう日記が書けなくなる(書きにくくなる)気持ちを、僕は少なからず感じるようになった。



平凡な毎日に撲殺されてる?そんなはずはない。学生時代を振り返っても、そう変化に富んだ人生では無かった。



利害関係?そんなはずない。一体誰がこの日記を読んで僕に危害を与えようとするんだ。僕が日記を綴るのは常に自己完結で、自己満足であるというスタンスに何ら変わりは無い。



感受性の衰え?そんなはずない。僕は何か違う経験を得ようと努力してるし、それから得られるものは学生時代となんら変わっていない。



じゃあ理由は何なんだ?吠えたくても吠えられない。







■shinyaあ…、僕も今同じような感じです。僕の場合は新しい生活に慣れきってしまって(しかもモスコー生活は初めてじゃないし…)、新しい発見とか、刺激とかに欠けていることが原因みたいです。でもね〜刺激は作り出すものだし…、とはいっても、いや〜、書き続けるのって結構大変ですね。でも続けることが何かしらの意義があることを信じて…。

..2003/09/09(Tue) 13:46 (4)



■たけうんうん、わかります。結構毎日同じことの繰り返しだったりするもんね。でも24時間マラソンを走ったあとの達成感はすごいものです。きっと吼えられるとおもいますよ!

..2003/09/10(Wed) 11:21 (6)



■ワタナベ僕は山手線を一周走った時足が痛くなりました。病院に行きました。あやうく疲労骨折でした。

..2003/09/15(Mon) 22:33 (14)




2003年9月

http://www.shotarowatanabe.com/cgi-bin/tackynotesp/iloveidaho/200309.html

3人くらいかな




最近あまり日記が更新されないんじゃねぇの?って思ってる人も少しはいるのだろうか(勝手な予想だと3人くらいかな)。



確かにあまり更新してない。でも何となく書いてないのではなくて、ちゃんとした理由があるんだな。人から言われてその理由に確信を持ってしまった。



「家でお酒を飲まなくなった」から。



僕の友人は僕の文章を読むと「酔ってる」と思うらしい。別にアルコールじゃなくて、自分の創作に酔ってるって事ね。確かに自分でもそれは前々から感じてたりする。どうも僕は装飾的な文章を書くキライがあって、ちょっと前の日記とかふと目にしても正直「クサイ」と思うことが頻繁にあったりしたんだな。



ではどうして「クサイ」文章を書いてしまうか?それは詰まるところ、アルコールに酔ってるから。酒で気分が高揚。僕は頭の中を整理整頓したくなり、キーボードを叩きまくりたくなる。そんなアルコールの勢いに乗って、文章までも酔っ払って勢いが付いてしまう訳ね。もちろん家の代わりに外で飲んで気分良く帰ってくるんだけど、アルコールはもう醒めかけだから家に戻っても寝てしまうだけ。僕が書きたいと思う時は、気分が↑になる途中であって、↓になりかけの時ではないのだ。



@家で飲まない

A家で酔わない

B家でキーボードを触らない



そう思いながら久しぶりに家でビールを飲んでみたりする。







■shinya最近授業が始まってアイダホの懐かしいメンツと会いました。R太君とこの前ショータロー日記について語り合いました。

..2003/09/07(Sun) 17:39 (2)



■ワタナベこそっと書いてしまうと、この日記は今月でおしまいです。今までどうもありがとう!

..2003/09/15(Mon) 22:34 (15)




Monthly Archive

2008年
2007年
2006年
2005年
2004年
2003年
2002年
2001年
2000年

Search Word Cloud