蛍火
両親が子供の頃、山梨の実家では、日常的に蛍が夜空を舞っていたそうだ。
戦争が終わり、干支が一回りしたくらいの昔。この季節の夜。あたり一面に広がる水田では、さわさわと風に揺れる青田に蛍がとまっていた。少年であった父親が闇に伸ばした手の平の上で、何の躊躇いもなく蛍はその羽を休めた。母親の実家では、祖父が水草と共に蛍を透明なガラスの瓶に入れて持ち帰ってくる。母親は寝床の蚊帳の中で蛍を放ち、その仄かな灯りを眺めながら眠りに落ちるのが常だった。
僕自身は、実家で一度だけ蛍を見たことがある。風を入れるための網戸に、はぐれたようにやってきた蛍が一匹とまっていた。子供だった僕は、幻が消えて無くならないように息をひそめ、蛍火を見つめたものだ。
先日実家に戻った時、夕食後に父親と母親が突然僕を連れ出した。車で10分くらいの場所に、いまだに蛍が生息する小川があることを知人から聞いた彼らの行動だった。
車がすれ違うことさえできないような狭い山道を、ゆっくりした速度でたどって行く。月明かりさえ遮られる山間は、人工の光が全く届かない暗闇だった。車を停め、懐中電灯を頼りに足を伸ばす。遠くからでも淡い光が夜空を泳いでいるのが目に入る。
小川の淵までたどり着いた僕らが目にした光景は、陳腐な表現ではあるがこの世のものとは思えない幻想的な光景であった。数匹という単位ではない。数十、あるいは百まで届くような数の蛍が、命の限りに乱舞している。
初冬の風花のように、蛍の光は、不思議と冷たい。