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ひとり連想ゲーム

富士そば → 友人M
sad but true(metallica) → 高校3年生のセンター試験当日で雪が降った後の朝日
vellville roudevouz → テアトル新宿
faith(george michael) → 「元気が出るテレビ」のスポンサーが流してた20年位前の車のCM
ff(ハウンドドック) → 小学生の頃のステレオセット
ordinary world (duran duran) → 大学浪人時代、予備校に通う電車の中
jonestown mind(the almighty) → 伊藤政則(マサ伊藤)
i saw you first(john mellencamp) → スモール・タウン
starman(david bowie) → 五木寛之の青春の門
panama(van halen) → jack daniel
battery(metallica) → 上野のスニーカー屋さん
time will tell(nelson) → levi'sのCM
twilght(ELO) → 7月7日
it's a long way to the top(if you wanna rock 'n' roll)(ac/dc)  → くねくねで岩壁が迫る登りの車道
sturday in the park(chicago) → 幸せな週末のアイスクリーム屋さん
jaded(aerosmith) → 3月にユタからアリゾナへ向かうハイウェイで半袖を着た僕は車の窓を全開にする
what a wonderful world (luis armstrong) → 12 monkeys
money talk(ac/dc) → Gorge Amphitheatre
my brother jake(free) → ワインと嫉妬心
september(earth, wind, and fire) → 予備校生の時に通った中古CDショップ
heart of mine(bobby coldwel) → 中学・高校時代の友人よういち
アゲハ(斉藤和義) → 21歳の彼女
house of rising sun(the animals) → からりとした売春宿
perfect(fairgound underground) → 最初から成立してなかった(でも信じてた)純愛
dreamsのライブ版(van halen) → 大学入学手続きの日
異邦人(久保田早紀) → トルコ
in this country(robin zander) → スローモーション
desprado(eagles) → 雪が降った次の快晴の日のきれいな大学キャンパス(アイダホ)
cinamon girl(crosby, stills, nash and young) → オハイオ州
because i love you (steive b) → 高校時代の友人とくら
sister christian(night ranger) → 春先のスーパーマーケット
new sansation( kicks) → バブル絶頂期にその後の崩壊を知らずに遊ぶ
inspiration(gipsy kings) → 江戸時代
sugar, sugar (archies) → ウキウキ
love bites(def leppard) → 高校の通学路
energy flow(坂本龍一) → 2階の窓辺に乗り出すように座り、真夏の夜とウィスキーを楽しむ
fox on the run(sweet) → 1キロ以上ある長い長い貨物列車が真っ直ぐ見える
angie(rolling stones) → 歴史ある市庁舎
thank god i'm country boy(john denver) → ヘリコプターから降りる
doctor, doctor(UFO) → 土曜深夜
bad medicine(bon jovi) → 向かい風に負けずに自転車をこぐ
zoo(echoes) → マーシャル諸島
no such thing(john mayer) → 6月の風、不安と現実
intuition(tnt) → 高校の時に使っていたベッドと読書灯
big boss man(eric clapton) → ドラッグ中毒
どんなときも(牧原のりゆき) → 夏祭り後の自転車の二人乗り
when the children cry(while lion) → カラオケボックスのビデオクリップ

音楽とそれからの連想。まだまだ出てくるので後でもう少し思い出してみよう。何でどこでどうつながってるのか。そのぼんやりとしたつながりも、後からの創作なのか。不思議だ。

元X-JapanのTOSHI

これは衝撃的な写真でちょっと面白かったぞ!彼と言えば変な方向に洗脳されて、その後どうなったんだろうと思っていたのだ。そして今日、久々に彼の写真を目にし、時代と人生の移り変わりの妙を感じてしまった。


これが



⇒⇒⇒  


これになったか

このエントリへのコメントにもちょろっと書いたけど、僕は何気に「X」が好きだったのだ。あれは多分中学生の頃だったな。土曜だか日曜のお昼の12:00に、テレビ朝日で当時fairchildのボーカルであったYouがVJとして出てた何とかという音楽番組があった。何でこんな変テコな時間に若者向けのプログラムを組んでるんだと不思議に思った記憶がある。そしてその番組の中で、デビュー前のXを特集してた回があった。メジャーデビュー前だったにも関わらず、自らのレーベルから出したレコードを3万枚以上売った彼ら。デビュー直前に渋谷公会堂を満員にしたコンサートの打ち上げの映像だった。当時からの派手なメイクで、楽屋にメンバーが一列に並び文字通り号泣。集まっていた関係者に感謝の意をシャウトしてたのだ。Xが「元気がでるテレビ」のヘビメタコーナーに出てたとか、当時の僕は知ってたんだろうか。とにかくその見た目のギャップと、音楽にかける情熱に僕はかなり打たれてしまったわけね。

僕は彼らのインディーズレーベルから出したアルバム(その3万枚売ったヤツ)を持ってた。確か全曲英語で、それまでの日本にはなかったヘビネスと様式美を備えた、優れた楽曲たちだったと記憶している。loudonessとかvow wowとかに続く海外進出バンドが出てきたか!と僕はワクワクしてたのだ。そして満を持してのデビュー。ちなみに生でデビュー直後の彼らの演奏を僕は夏のフェスティバルで経験している。恥ずかしながら「エッークス!」とジャンプしたこともある。若かった・・・。荒削りだった作風が洗練されたファーストはそこそこ良かった。しかしセカンド以降、また「X-JAPAN」と改名後はもう聞く気になれなかった(僕が他の優れたバンドたちに出会ったというのもある)。商業主義に走ってバラードばかりを歌い、おかしなファン達に教祖のごとく祭り上げられ、訳のわからないXのフォロワーが出現し、もう興ざめするばかりだ。X以降出現したビジュアル系の皆さんと、そのファン各位には心から疑問符がつくのであるが、これはまた別の話だ(ちなみに「ビジュアル系」の語源は、Xのキャッチコピー"PSYCHEDELIC VIOLENCE CRIME OF VISUAL SHOCK"ね)。そういった意味で、変に産業に乗ってしまった彼らはちょっとかわいそうだが、紆余曲折があって解散。2000年の再結成を約束していたらしいが結局復活しなかったね。メンバーの一人が亡くなったという不幸もあったし。それだけに神格化されたと言うことか。

で、色々調べてたらなんと今また再結成の話が浮上してるんだってね。「過去の名前で出ています」感が否めないけど、こういうこと書いたら心酔してるファンに刺されそう。

さよなら中央沿線

来週の日曜(3/4)に引越し決行します。今現在の最寄り駅は高円寺。中央沿線である。このJRの駅を使うようになって3年が経過、その前の1年は中野だったから、少なくともここ4年は中央沿線に住んでた事になる。学生時代も中野に住んでた。前から書いてるけど、僕は中央沿線を愛して止まないのです。

改装中の高円寺駅、ここ2年近く続いている作業である。その間、南口が清潔になり、似つかわしくない小奇麗なカフェなどがオープンした。そして僕が去った二日後に、駅直結のホテルとショップが完成しようとしている。

街が変遷していく。僕の生活も変遷していく。

なみの湯(高円寺)

週末に突然思い立って、銭湯に行ってみた。ここ「なみの湯」は自宅から歩いて10分の距離にある、昔からの銭湯だ。

実際に古くから経営してるようで、見た目はまさに由緒正しき銭湯であった。高い煙突におばちゃんが座る番台、コーヒー牛乳の入ったクーラー、マッサージチェアなど。浴槽の壁には巨大な富士山の絵とかね。でも今の主人が好きなんだろうねー、ちゃんとウェブサイトを持ってて、その中には「銭湯ブログ」なども。その表現が適切なのかわからないが、ロビーにはインターネットが使えるマシンも用意されていた。各種イベントも企画してるみたいだ。毎週○曜日は「健康体操の日」とか「朝一」とか。地元の年配がいかにも喜びそうな内容である。湯船は熱め。これも良いね。近所のオヤジが「ゆでダコ」みたいになって入ってる図が用意に想像される。入浴後に例にならってコーヒー牛乳を飲む。もちろん腰に手をあててね。

それでも喉の渇きが収まらない僕。そして最近飲み屋以外で飲むのが好きな僕。何と自宅近くにある牛丼の「すき家」で飲んでしまった!牛丼など目もくれず、冷奴とオクラ、それから冷えた瓶ビールを注文。これはいかにもチープだ・・・。見ようによっては何とも哀愁漂う姿だけど、これはこれで経験だ。

でも冷静に考えるとやっぱり哀れだ。

人類と想像力について

▼2003年 2月19日 (Wed) -- No.[467]

ヒトが地球上に生息する他の生殖物と一線を画すように圧倒的な発展を遂げたのは、他には決して見出せない類まれな想像力のおかげだと思う。想像の創造。

相対的に見て、ヒトほど体力面で劣っている動物はいない。自身と同じ重さを持ち上げたり、跳躍したりするヒトは少ないし、短い距離を早く走る瞬発力、長い距離を走り遂げる持久力も、他の動物と比べて格段に見劣りする。しかし人類はそれを補って余る程の思考能力、僕がここで書く想像力を備えていた。今現在僕らが享受している文明の恩恵は、この想像力の賜物に違いないのだ。

「移動する手段」を例にとる。古代人類は草原を走る馬を見て、同じように大地をすばやく闊歩したいと羨望の眼差しを送っただろう。もしも同じ力を得られたらと夢見、それが可能となった自分の姿を想像しただろう。馬と同様の存在的な体力はなかったが、しかし、その古代からの夢を実現させるため、人類は長い年月をかけて努力することが出来た。そして現代人は足りない走力を補うため、天然資源を加工したエネルギーを動力に変える手法を発明。結果的に自動車を開発するに至る。長い時間はかかったが、ついに大きく、すばやい足を手に入れたのだ。同様に僕らの先人たちは大空を優雅に舞う鳥たちを見て、彼らと同じように羽を使い空を飛び回りたいと想像しただろう。大きな夢と期待を込めて。しかし生まれ持った肉体に翼がないのは明らか、残念ながら空を飛ぶ能力は無かった。しかし現代人は飛行機を開発。改良が進み、今では鳥が飛べない宇宙へまで飛び出していった。ようやく形を変えて大きな翼を手にしたのだ。上記に準じ、古代人は海中に生息する魚介類を眺め、自らが水中で生活出来ない事を痛感しただろう。海中を自由に動き回れたら・・・。そして僕らは気体酸素の呪縛から逃れようと潜水艦を開発。アクアラングも発明し、単体での潜水も可能となった。このように陸、空、海で必要な技術を、試行錯誤を繰り返しながら僕らは確実に入手してきた訳だ。

全ての事象に関し、人類が想像できる事は必ず実現する、と僕は強く信じている。最初に思い描いた手法からは離れるかもしれないが、いつかはその本質的な目的を達成できる。人類が何らかの関わりを持つ事ができ、その繋がりをイメージさえできれば、この世界を作りあげた僕らの技術は必ずそれを可能にしようと試みるはず。反面、決して創り出せない物があるとしたら、それは想像力の範疇を超えてしまったものだ。1次元、2次元、3次元の世界なら、存在する(できる)であろう何かを頭の中に思い描く事が可能である。しかし4次元、5次元、6次元の世界はどうだろう、そこでのモノの在り様を考え付く人は、それまでに比べて限りなく少なくなる。ではそれよりさらに複雑な世界が存在するとしたら、一体何を尺度とすればモノを表現できるのか?今のところ、僕の想像力では補えない。

未来はどうなるのか?答えは既に出ているんだ。それは個人の脳内に存在している何か。誰かと共有できる夢、他人が理解可能な表現に変わるのを待っている何か。そんな夢を誰でも必ず持っている。僕の中にもある。人類が夢を持てなくなったら、それは発展を諦めた証拠。大人になっても夢を持つのは、決して悪いことじゃないと僕は思う。

「東京マラソン2007」に関する個人的見解

僕は走ってないし、勝手な飛び入りもしてないです。

公私混同してんじゃない?ってのも最近多いけど、石原都知事は「お台場にカジノを」とか、「東京でオリンピックを」とか、「フィルムコミッションの充実→銀座でカーチェイスを」とか、庶民が分かりやすいのが良いね。

18日に開催された「東京マラソン2007」、各種メディアで大々的に報じられ、「その舞台裏」などニュース番組でもかなりの露出だ。普段だったらフルに相当する距離など絶対に走らない寒さ。純粋な市民ランナーにとっては最悪の環境だったけど、これだけ世間にアピールできただけで大成功なんじゃないでしょうか。

僕は今たまたま東京に住んでて、コースに含まれてる新宿とか、浅草とか、銀座とか、東京タワーとかにたまたまアクセスしやすい状況にいる(たまたま東京にいるからこうやって話題にするけど、他に住んでたら全然気にしないんだろうな)。で、実際に時々都内を走ったりしてる。走ってて個人的に強く思うのは、東京が実はかなり狭いこと。ちょろっと走れば実は色んな場所に行けちゃうのです。一般的に、普段は電車とかに乗って行き来してる訳でしょ。結果、場所をスポット的に知ってても、その地理的な存在とか、エリアの広さや、その距離感って全く把握する事が出来ないんだよね。でも実際にこの足で走ってみると、「あーこの道を行くとここにつながってるのか」とか「こことここってこんなに近いのか」とか「上野には日本伝書鳩協会があるのか」とか、意外な発見があって楽しいわけです。

大規模な交通規制がネタになることが多かったね。よくよく考えると、確かにこれってスゴイことなんだんろうな。救急車とかってどうするんだろうか。これで救える命をなくしたらそれこそ大変だ。テロとかってのも心配されるんだろうか。もっともプロ野球の試合とかも同じような人数の観客が一同に会すんだろうが。

勝手に希望を出すと、もう少し素人が走りやすい暖かい時期に開催できないものか。「体育の日」とかどうだろうか。それだとまだちょっと暑いって場合は、11月中旬〜下旬くらいかな。葉っぱが色つくその季節は空が高く、空気が澄んでて、個人的に一番好きだ。それから出来れば「折り返し」がないコース設定が良いな。ぐるっと東京都内の観光スポットを巡れるってのが理想。体調管理に走るのはとても良い事。こういうので人々の運動(健康)に対する意識があがるのも良い事だ。

僕はテレビで観てた。月並みなんだろうけど、僕がとてもうらやましいと思ったのは、普段完全に車で埋め尽くされている東京の車道を、この日ばかりは堂々とこの足で踏めることだ。新宿のスタート地点から、歌舞伎町を横目に靖国通りを駆け抜ける。それだけで気分爽快なんじゃないか。来年は僕も応募してみよう。抽選に外れたらゼッケンなしでも飛び入りしちゃおう。交通規制を利用して、東京の街を足の裏で感じてみよう。

この試みはぜひ恒例化してほしい。道は人が通るもの。1年で1日くらい、僕らが大手を振って道を埋め尽くす日があってもいいんじゃないか。

mixiに関する個人的見解

mixiのアカウント持ってるんだけど、僕はいまだに恥ずかしくて使えない(K君紹介ありがとうね)。でもこんなウェブページがあって何を今更そう思わなきゃいけないんだとも思う。ここでは実名とか写真とかメールアドレスとか、いわゆる個人情報を気にせず世界中に公表してるからねー。

そもそも気にするポイントではないのかもしれないけど、mixiがクローズなのか(紹介制)、オープンなのか(インターネット)、僕にはそれが判断できないのだ。インターネットの暗い部分である匿名性がある程度排除されてるため、その意味では健全だと僕も思う。でもおかげでオーナーとビジターがそこそこ特定できてしまう。結果として全体的に人の目を気にしたコンテンツに成り下がってしまうんじゃないか。僕はそれが怖くてたまらないのである。

もちろん友人達に僕の近況を伝えるという役目もあるが、僕はここの内容を全世界の不特定多数に向けて発信している。スタンスはウェブサイトを立ち上げた当初から変わっていない。何度書いたかわからないのだが、このウェブサイトは僕の自己満足でしかありえない。誰が読んでも構わない。誰にどう思われようと気にしない。アクセス解析など気にしない。去るものは追わない。来るものは拒まない。ビジターに迎合するつもりなど毛頭ない。人の目を気にしてたら、自分の残したい事など決して残せない。

どちらかを特別視するのではないが、そもそもmixiユーザーと僕とでは求めているのが違うのである。積極的にmixiを使いたい場合、SNSとして本来もつ機能を楽しむ人が多いはず。一般的なブログ機能を媒体として、人の輪を広げていく。それは素晴らしいことだ。そこに楽しさを感じるのは理解できるが、僕はそういうのを欲してないってだけ。僕はウェブを媒介として人の輪を広げたいと積極的には思わない(僕がスポーツジムでヒトコトも発しないのと同じ)。人と人って面と向かってなんぼだと強く思ってるから。

と、気張ってみたのであるが、恥ずかしいのを我慢してしばらく使い続ければ、その楽しさがわかるんだろうか。でも今日久しぶりにmixiを使ってみたのであるが、やっぱり恥ずかしい・・・。あの「足あと」ってどうにかならないのかな。「足あと」を残すのも、残されるのも恥ずかしくてしょうがないのです。

ところで計算すると日本人の1/18人はmixiのアカウントを保持しているらしい。全ユーザーの70%は採集ログインが3日以内だとも言う(ってことは僕は30%!ワオ―!)。使う世代は比較的若い世代に限られてくる。事実として僕の周囲にもかなりアカウントホルダーは多い。会社でいうと1/2人は持ってるんじゃないかな。それを考えるだけで、意味もなく恥ずかしい・・・。mixiっていまだβ版という扱いなんだね。

ぼうびろく?びぼうろく?

カレーは飲み物

「カレーは飲み物」。これはあの「ウガンダ」(現ウガンダ・トラ)の名言であったのか!

さっきテレビを見てたら、デブタレントから「兄貴」と慕われ、圧倒的な支持を得ているウガンダ・トラが、実際にカレーを飲んでいた。凄いねこれ、少しはもぐもぐするんだけど、ホント飲んでた!スプーンからそのまま喉に流し込んでた!彼曰く、「ライスは喉越しのためのアクセント」。これも名言に違いない。僕も今度挑戦してみよっ。

どうみてもウガンダは南方系のルックスであるが、正真正銘の日本人(本名:佐藤信一郎)であると初めて知った。ついでにモノマネで有名な「ビジーフォー」のオリジナルメンバーだったのか。

ウガンダ・トラ(Wikipediaより)

前から書いてるがWikipediaって確かに便利だけど、どこまで信じてよいのかわからん。

それから「デブ」というのは普通にテレビとかでも発言されてるけど、これって差別用語として扱われる日も近いんだろうか。「ハゲ」とかもそのうち使えなくなるんだろうか。「ブス」というのは大丈夫なんだろうか。そもそも何をもって「差別用語」と分類されるかという定義があるんだろうか。自分が言われた場合に気を害す言葉を「差別用語」と捉えるのは間違ってるんだろうか。でも結局言葉の言い換えだけに終るんだろうけど。だとしたら言い換えた言葉がまたすぐに差別用語として定義されてしまうんじゃないか。そしてまた言葉の言い換えになってしまって、結局言葉が上向きのらせん状にループしてるだけなんじゃないか(時代が繰り返すように)。そう考えたら終わりなんてない。

珍来(荻窪)

最近立て続けに同じようなエントリを書いて、自身で「はた」と気が付いてしまった。僕は基本的に、ラーメンを食べにラーメン屋に行ってる訳ではないのだ。

俺が求めているのは、くたくたの暖簾、ガラスの引き戸、場末のうら寂しさをかもし出す店内の雰囲気、カウンターのみの店構え、ホッチキスのとまったスポーツ新聞、冷えた瓶ビール、カリっとした餃子、アルミの灰皿、無口な店主、夏だったらプロ野球、冬なら歌謡曲の流れるラジオ。この昭和を感じるノスタルジだ。赤いヴィニールで覆われたスツールを3つ隔てて、俺の他に客がもう一人。作業着でメガネに脂が浮いた男は、表紙の破れた「鉄拳チンミ」を貪るように読んでいる。俺は決してメニューなど見ない。その代わりにどこか遠くを見詰めながら、「ビィール・・」とひと言つぶやくのだ。「生」と「瓶」、両方あるにも関わらず、カウンター越しに無言で置かれた瓶ビール。付け出しに「メンマ」が無造作にやってきた。手酌で使い古されたグラスを黄金水で満たす俺。泡は出さない。そして俺は眩しそうな目をしながら、そのグラスに口をすぼめる。カウンターの中では店主であるオヤジが、ため息ともつかない紫煙を、深く深く吐き出した。オヤジのシャツは洗濯を繰り返し、良い色に馴染んでいる(白い色にも関わらず)。そして店内にいる3人は無言で言葉を交わす(「今日もウダルような暑さだったな」)・・・。

何時の間にか「俺」となっていたのであるが、話を強引に戻すと、つまりここでラーメンは絶対的に主役に成りえないのです。日本語が怪しい店員ってのもアリだね。

ところで中央沿線でラーメンの街と言えば、それは昔から荻窪である。最近は某有名店のおかげで、中野で熾烈な競争が勃発しているが、伝統的に言うとやっぱり荻窪だ。「小汚いラーメン屋で飲みたい」と友人を誘った僕は、北口ロータリー近くの「珍来」へ。結論を先に書くと、これは良い店だった。瓶ビール(付け出しはザーサイ)、焼き餃子、メンマを注文して飲む。最後の〆で味噌ラーメン。

伝統的なコの字型のカウンターをした店内、中央の調理場には初老のオヤジが3人いる。彼らはそれぞれ役目がはっきりしていて、阿吽のリズムで品が出来上がっていく。客が注文を発する。オヤジ@が復唱する。その瞬間から、一気に事が流れていく。この職人技を観察するのがとても有意義であった。

これこそプロの仕事である。男前のオヤジ@は最前線での炒め物担。火力の強い中華鍋でささっと野菜をいため、ぱらぱらのチャーハンを作っていく。派手な動きを伴なう一流のエンターテイメントだ。僕から見て手前のオヤジAは餃子と庶務担当。洗い物をしながら無駄のないリズムとタイミングで餃子を焼いていく。雑務を一気に引き受けるテキパキとした動きが小気味よい。とぼけた顔でウダツの上がらなそうな奥のオヤジBであるが、彼こそこの店の最重要人物。ラーメンの命である麺とスープを、一人で(一人だけで)扱っていた。慣れた手つきで麺を解す。絶妙のタイミングで茹で上げ、スープをずん胴からすくってどんぶりに注ぐのだ。そして最後の見所は、オヤジ@〜B、総がかりでのラーメントッピング。これはホント瞬時に行われるので、最初はそれが作業だと気が付かないほどだった。ぼけっとしていると完全に見逃してしまう物凄い光景。

いっときオヤジ@が電話で何やら話してる時があった。その時に入ってきた客が「炒飯」を注文。そうなのだ!!炒飯はオヤジ@担当なのだ!しかし電話は長引いている様子・・・。残されたオヤジA、Bはどうするのかと、僕は意味もなくハラハラ・・・。でも「炒飯ちょっと待ってね」とあっさりと言い放ち、彼らは決して中華鍋を手に取ろうとしない。僕はこのプロの姿勢に涙さえ浮かべそうになった。

ロケーションの良さも手伝ってか、ひっきりなしに客が出入りする店であった。出されたメニューはいずれも美味しく、この夜は少し風が冷たかったせいか、そのラーメンの熱さが身に染みてよかった。

総評:3.5(5点満点)
人を連れていける店だ。

中華料理 東海楼(阿佐ヶ谷)

「中華料理 東海楼」は阿佐ヶ谷北口にあるローカル中華料理店。ラーメン、餃子、瓶ビール、を注文する。明るい夫婦で経営してる店で、すぐにおかみがビールと枝豆を出してきた。古ぼけた店構えだが行き届いた掃除。良いスタートである。

しかし!何とビールが凍ってた。こんなキンキンに冷えたビールを出されたのは生まれて初めてだ。飲めないほど凍ってた訳ではなく、氷の粒っぽいのがグラスに浮く程度である。むしろ暑い中だったら少しくらい歓迎するかもしれない。しかしこの季節、これはあまりに冷たすぎた。

醤油味のラーメンと餃子の味は、どちらもいたって普通である。あっさりした醤油味のラーメンは、量も多すぎずに丁度良い。僕はそんなにラーメンを食べるわけでもないし、味覚に自信がないのでグルメ評はできない。ここで気になったのは、トッピングのゆで卵が崩れていたことと、ラーメンの温度。ラーメンがぬるい。

全体的に「温度」の感覚が個性的な店だ。
総評2.0(5点満点)

11時出社についての感想

先月までは7:00〜16:00というシフトで働いていたのだが、今月は11:00〜20:00という遅番に変更。予想してたけど、これはやっぱり嫌なのだ。

前にも書いたけど、僕は早起きするのにあまり抵抗はない。むしろ早く仕事を終えて早く帰って色々出来た方がとっても嬉しいのである。早番とは4時間の差がある11:00の出社は、確かに朝はゆっくりできる。でも本当にゆっくりするだけなので、結局時間を浪費してしまうのね。

充実というのは仕事もプライベートもという意味。仕事にだけ限って言うと、遅番の方がやってる量は多いんじゃないか。7:00〜9:00の間にオフィスにいる人は僅かだが、18:00〜20:00の間には多くの人がオフィスに残ってる。それだけ仕事がしやすいってことね。でも仕事を終えて自宅に戻るのは結局22時くらいになってしまう。それからは風呂に入って本を読んで寝るくらいなので、結局自由な時間が持てない。もっとも朝の時間帯に自由な時間があるから、そこでアレコレすりゃいいんだけど。

ところで早番、遅番に関わらず、土曜と祝日が休めなくなったおかげで(もちろん交代で)、翌週の平日は自動的にお休みになる。今週末、本来は3連休である。しかし土曜と月曜に仕事が入ったため、僕は火曜と水曜がお休みって具合だ。これはこれで嬉しい。人が仕事をしてる平日に、街に出る時ほどワクワクすることなどないのだ。

人に与えられた時間は24時間。早番でも遅番でも、働いてる時間の合計は同じ。結局拘束されてない時間の使い方で、生活のメリハリが出てくるのだ。

タンタン(高円寺)

しばらく更新してなかったけど、社会復帰したことだしそろそろこっちも。

僕は昔から小汚い店が大好きである。一見みすぼらしいく、古くから経営している風の店。これはその見た目に関わらず、支持する人が多いことの裏づけ。総合的に考えて、良い店である可能性が高いのだ。もちろん味が第1のファクター。つまり美味い店である。

ここ「タンタン」は高円寺にある、まさに冒頭の表現がぴったりなラーメン屋。この圧倒的な汚さと狭さ、まっ黄色のセンスない外観を、僕は前々から気にしていたのだ。今日初めて店内へ。カウンター10席しかなく、腹の出た人なら通路さえ通れないような店である。これは期待できるぞ。最初に目に入った「ラーメン餃子」、それから瓶がなかったので「生ビール」を注文。

※以下個人的見解
しかし僕の予想を覆すほどの不味さであった。風邪気味で味覚が不調であることを差し引いても不味い。味噌味のラーメンはしょっぱいだけで、スープのダシが微塵も感じられない。餃子は水気が多くてべちゃべちゃ。カリっとした歯ざわりなど全く望めない。具も意味のわからない味つけである。そしていくらなんでもビールぐらいは、と考えていた僕はまだ子供だった。グラスが汚れているため、きめ細かな泡が立たない。もともとビールの泡が嫌いな僕にとって、これは本当にいただけない。しかもなぜか焼酎の味がする。本気でホッピーかと疑ってしまった。

以前も書いたかもしれないが、僕が持つレストランの評価基準は「人を連れて行けるか」である。その基準に照らし合わせてみても、ここ「タンタン」は一人でも、二度と行こうと思えない店。不味いもの食いたさでも連れて行けない。そもそも「タンタン」なのに「タンタン麺」がないのは何故なんだ!

しかしこの夜の客は僕だけではなかった。僕と同年代の男が(しかもちゃんとした風の男)、「今日は休みなの?」などと、いかにも常連風に店のオヤジと喋っているではないか!しかも彼は「ラーメン大盛り」と、「餃子二人前」を注文し、更にそれこそ「この世の春」とでも言うべき表情を満面にたたえ、美味そうに食ってるではないか!これはここを酷評せざるを得ない僕にとって、信じられないスペクタクルであった。彼のような客の存在が、この店を存続させているのだ。人によってその好みもそれぞれ。

総評:1.5(5点満点)
好きな人にはたまらないんだろうが、僕には合わなかった

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