人類と想像力について
▼2003年 2月19日 (Wed) -- No.[467]
ヒトが地球上に生息する他の生殖物と一線を画すように圧倒的な発展を遂げたのは、他には決して見出せない類まれな想像力のおかげだと思う。想像の創造。
相対的に見て、ヒトほど体力面で劣っている動物はいない。自身と同じ重さを持ち上げたり、跳躍したりするヒトは少ないし、短い距離を早く走る瞬発力、長い距離を走り遂げる持久力も、他の動物と比べて格段に見劣りする。しかし人類はそれを補って余る程の思考能力、僕がここで書く想像力を備えていた。今現在僕らが享受している文明の恩恵は、この想像力の賜物に違いないのだ。
「移動する手段」を例にとる。古代人類は草原を走る馬を見て、同じように大地をすばやく闊歩したいと羨望の眼差しを送っただろう。もしも同じ力を得られたらと夢見、それが可能となった自分の姿を想像しただろう。馬と同様の存在的な体力はなかったが、しかし、その古代からの夢を実現させるため、人類は長い年月をかけて努力することが出来た。そして現代人は足りない走力を補うため、天然資源を加工したエネルギーを動力に変える手法を発明。結果的に自動車を開発するに至る。長い時間はかかったが、ついに大きく、すばやい足を手に入れたのだ。同様に僕らの先人たちは大空を優雅に舞う鳥たちを見て、彼らと同じように羽を使い空を飛び回りたいと想像しただろう。大きな夢と期待を込めて。しかし生まれ持った肉体に翼がないのは明らか、残念ながら空を飛ぶ能力は無かった。しかし現代人は飛行機を開発。改良が進み、今では鳥が飛べない宇宙へまで飛び出していった。ようやく形を変えて大きな翼を手にしたのだ。上記に準じ、古代人は海中に生息する魚介類を眺め、自らが水中で生活出来ない事を痛感しただろう。海中を自由に動き回れたら・・・。そして僕らは気体酸素の呪縛から逃れようと潜水艦を開発。アクアラングも発明し、単体での潜水も可能となった。このように陸、空、海で必要な技術を、試行錯誤を繰り返しながら僕らは確実に入手してきた訳だ。
全ての事象に関し、人類が想像できる事は必ず実現する、と僕は強く信じている。最初に思い描いた手法からは離れるかもしれないが、いつかはその本質的な目的を達成できる。人類が何らかの関わりを持つ事ができ、その繋がりをイメージさえできれば、この世界を作りあげた僕らの技術は必ずそれを可能にしようと試みるはず。反面、決して創り出せない物があるとしたら、それは想像力の範疇を超えてしまったものだ。1次元、2次元、3次元の世界なら、存在する(できる)であろう何かを頭の中に思い描く事が可能である。しかし4次元、5次元、6次元の世界はどうだろう、そこでのモノの在り様を考え付く人は、それまでに比べて限りなく少なくなる。ではそれよりさらに複雑な世界が存在するとしたら、一体何を尺度とすればモノを表現できるのか?今のところ、僕の想像力では補えない。
未来はどうなるのか?答えは既に出ているんだ。それは個人の脳内に存在している何か。誰かと共有できる夢、他人が理解可能な表現に変わるのを待っている何か。そんな夢を誰でも必ず持っている。僕の中にもある。人類が夢を持てなくなったら、それは発展を諦めた証拠。大人になっても夢を持つのは、決して悪いことじゃないと僕は思う。