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限定

僕は以前から「限定」の言葉に全く興味がない。むしろどちらかというとネガティブな印象を持っている。「限定」という言葉が使われた時、すでに次に出てくるであろう「限定」の含みを感じてしまうからだ。そして「限定」を手に入れたとしても、それを大切にして取っておくという文化が僕にはない。たぶん僕は一生コレクターになれない性格だな。

ちょっと違うけど、先日限定何個かなんかで「エコバッグ」が販売され、商品を求める人が長蛇の列を成したというニュースがあった。そしてこの人たちは頭がおかしいんじゃないかと本気で思ってしまった。後日談で新聞に載ってたのが「もったいなくて使えない」とか「思ったよりダサくて使えない」とか。こういうコメントを残した人は、さらに頭がおかしいんじゃないかと心配に思ってしまった。あなたは何のためにバッグを買ったの?環境に気を配るという本質が影を潜め、結局ブランドの宣伝に利用された哀れな人たちですね。

僕が思うに、そもそも物やサービスは使うため、楽しむために存在する。それをそのまま保持するということは、つまりそれが世に存在する理由を根底から否定しているんじゃないか。これを人に例えると、生きたまま殺すのと同じだ。もちろん「エルメス2007年秋モデルキティーちゃん(限定)」などを目を細めて鑑賞し、ほくそ笑むのが趣味の人もいるに違いない。でもそれら本物のコレクターは別として、一般大衆が「限定品」を持ち、大切にとっておく意味なんてさらさらない。こういうのは得てしてブランド品に多いけど、そもそもブランドが名声を勝ち得たのは、その高い品質と重ねられた歴史のおかげ。まさに使ってこそ、そしてできれば長く使ってこそ、ブランドを所有する意味があるんじゃないか。

ところで新宿の高島屋に行くといつも目に付いてしょうがないのが、あの「Krespy Kreme」の列である。あれって並んで買う価値が本当にあるんだろうか。わざわざ新幹線に乗って買いに来るツワモノもいるという(何かの記事で読んだ)。ドーナッツが1ダースくらい入った箱を手にするため、みんな2時間くらい待たなきゃならない。でもここまでならまだ僕にもわかる。買ったその場で食べたらそりゃ美味しいんだろうからね。でも問題はここからだ。苦労して手に入れたドーナッツを、また更に時間かけて恐らく自宅まで運ぶ人が多い。そしてようやく口に入れる。そうです、小学生にでもわかることだけど、どう考えても作りたてより不味くなってるはずなのだ。揚げたてだからこそ「クリスピー」なんだろうしね。でも本人にとってみたら、苦労して入手したものは「ウマいはず」。「これはウマイ」のではなく、「ウマイのはこれ」と、自己防衛的に本末転倒になっちゃう気がするんだがどうだろう。

(多分どこかに続く)

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