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経堂のラーメン屋

あらかじめ外で食事して帰ろうと思っていた僕はこの日、20時過ぎにオフィスを出た訳である。何人かに「食事でも」と声をかけるも丁重に断られてしまった。しょうがないので石コロでも蹴りながら帰ろうかと、地下鉄の駅に足を運んだのだった。

通常、僕は「溜池山王」と直結している「国会議事堂前」で千代田線に乗り、「代々木上原」で小田急線に乗り換える。そして大抵の場合は最近乗れるようになった急行に乗る。この場合の停車駅は、「下北沢」、そして次が自宅最寄である「成城学園前」なのだ。この日、国会議事堂前のホームに滑り込んできたのは小田急線への直通電車であった。乗り換えないで帰れるから少しだけ幸福な気持ちだ。この直通に乗り込んだ場合、小田急に入ってから普段は止まらない「経堂」で停車する。外で食事して帰ろうとしている僕。そして僕は経堂で電車を降りたことが過去に一度もない(行ったことはある)。これは何かのめぐり合わせなのだと感じ、思い立って経堂で降りてみた。

朝からの仕事で疲れ、ヒゲが伸びてきたサラリーマンが、そのオモイノタケをかみ締めながら入るのは昔からラーメン屋と相場が決まっている。そして僕はきれいなラーメン屋と汚いラーメン屋が並んでいたら、迷うことなく汚いラーメン屋に入る、極めて一般的な日本の男である。経堂を降りて南に伸びる「農大通り」というステキな名前の商店街を、蹴ることのできる石コロを探しながらずんずんと進み、ちょうど店が寂れてきたあたりにそのラーメン屋はあった。

基本的に日本人は楽観的な人種であると僕は思う。その例に漏れず、少なくとも今日の僕は楽観的であった。外から眺める店内はカウンターに客が並び、そこそこ活気があった。その店にたどり着くまでに小奇麗な店をいくつか通り過ごしてきた僕が、迷うことなく引き戸に手をかけたのも、当たり前の成り行きであったのだ。

まず気がついたのはそのニオイである。なんとも表現しがたいのであるが、つまり「ラーメン屋臭」がキツイのである。麺を茹でたムっとした匂いとでもいうのであろうか。楽観的な僕はその瞬間、もしかしたら知る人ぞ知る、もの凄い名店にたどり着いてしまったのでは、と期待に胸を膨らませてしまったの。

もちろん僕はメニューに一瞥もくれず、ビールと餃子を頼んだのだ。でも何かがかみ合ってない。日本語が不得意そうな女が僕の前に無言で出してきたのはアサヒの缶ビール。缶???僕は瓶で飲みたかったのに。しかも冷えてないときた。楽観的な僕はビールが冷えてないにも関わらず、そこそこ人を集めるこの店こそ、もしかしたら僕が求めていた店なんじゃないかと目をキラキラさせてしまった。

店は中年の女が独りで切り盛りしている。僕が腰を下ろしたときには気がつかなかったのだが、実はスツールひとつ隔ててマーボーナスを食べていたのは、その店主の娘であった。無造作にスイッチが入れられていたとんねるずの番組を眺め、不気味な笑い声を立てている。ここは母子家庭なのであろうかと思いつつ、僕は読売新聞と店主の動きを順番に眺めていた。そして気がついた事。店主は取ったオーダーに対して、パラレルに動けないという圧倒的に手際が悪い女であった。僕の直前に客が入ったらしい。店主は順番どおりに料理を出すのに集中していた。しかしどう見てもガスレンジが常に1つ空いている。にも拘らず僕が頼んだ焼き餃子を作る気配などまったくないのである。楽観的な僕は、こんなに出てくるのが遅くてもこれだけの客を集めるのだから、もしかしたらエリアのカリスマなのではないか、とぬるいビールを持つ手が震えてしまったくらいだ。

缶ビールを2本空けようとしていた頃、ようやく餃子が焼きあがってきた。やや小ぶりではあるがきれいな黄金色。勢い良く口に運んでみると、まぁそこそこの味である。しかしながらちょっと待ってくださいよ、と。この時点ですでに席についてから30分近く経過。当然僕のおなかも空いている。最初の一口がうまいのは当たり前なのだ。そして2個目に箸をつける。よく味わってみると、具がべったりとして何とも舌触りが悪い。楽天的な僕は、こんな奇妙な焼き餃子を出すにも関わらず、それを補ってやまない相当なダシなどを使ったラーメンでも出すんじゃないかと、胃袋が歓喜のキューっとなってしまったくらいだ。

餃子をビールで流し込むように半分食べた僕は、ついに「野菜ラーメン」を注文。僕の横では相変わらず小学生の娘が店内のテレビを眺めながら「ヒハヒハ」と悪魔的な笑い声を立てている。この頃からカウンターの客がぽつりぽつりと帰り始めた。店主の手が空いていたので、比較的このオーダーは早めに出来上がった。そしてそれはおもむろに僕に突き出された。僕は一瞬目を疑った。このお子様サイズのどんぶりは何なのだ。楽観的な僕はこの微妙な量にも関わらず、毎晩に煌々と明かりをともしているこの店はすごいんじゃないかと、目玉をクリクリさせてしまったくらいだ。そしてこれまでの超ネガティブな印象を一掃してくれるはずのラーメンをすすってみたのだが・・・。

マ、ンマ、・・ズ・・・・・ィ

要するにここは、僕の人生で経験した、1、2を争う不味いラーメン屋であった。何というか、全体的にバランス良くマズイのである。このある意味完成度の高い不味さに、最後は変な汗を流しながら、ものすごく楽しくておかしくなってきた。その時点ですでに1時間近く経過していたのだが、良く考えると僕を最後に客が誰も入ってきていない。いつの間にかカウンターの隅に僕が独りだけぽつっと座るはめになっていた。

外に出ると雲が出てはいたが、やや欠けたおおきな月がきれいに見えた。夜気が変な汗を拭い去ってくれる。東京には蹴って帰る石ころがなかった。しかし結局楽観的な僕は、世の中にはこういう店があるからこそ、うまい店が存在するのだと、新たな挑戦で胸を満たしたのであった。
(終わり)

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