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メガスター

先週末、全くの思いつきで近所にある「川崎市青少年科学館」に行ったのであるが、これが大正解であった。

外から見るとウス汚い建物なのだが、これが実に奥深い。多摩川周辺の局地的な自然環境の解説が、無駄なくコンパクトに纏められていて好感を持てた。そして何より併設されているプラネタリウムが非常にポイントが高い!(後で知ったのであるが)実はここには世界で4台しかないという、超高性能投影機(メガスターU)が設置されているのだ。

紛れもなく、これは僕の人生で最高のプラネタリウムであった(とは言っても今回を含めて3度しかないけどね)。入るときに双眼鏡を渡されたのが衝撃の始まり。はてな?と僕は見えない疑問符を浮かべていたのだが、上演が始まってからそのナゾが解けた。何が衝撃的だったかというと、この投影機は現在の科学で知りえる天の川を、見た目として「完全に」再現しているというのだ。天の川の全ての星が、ひとつひとつの光の点として、天幕で光り輝いていた。さらに解説のお姉さんに従って双眼鏡をのぞくと、ちーさな「何とか星雲」とかが、ちゃんとした光の粒の集まりおよびモヤモヤっとした星雲として描れているではないか。これは絶対に肉眼では見えない。

実はこのプラネタリムには、本来の投影機がもうひとつ別に設置されていて(大きな機関銃みたいなヤツ)、まずはそっちの機械で映写がスタート。これだって日常とかけ離れた天幕世界を再現してくれて、十分過ぎるほど感動的なのだ。しかし、メガスターに切り替わってからは、それまでが何だったのかと思わせるほど、圧倒的な星空が広がるのである。むしろ明るいくらいの星空が迫ってくる別世界。何だか僕は涙さえ出そうになった。そういわれてみると、このメガスターを作った人ってネスカフェのCMにも出てたな。さらに驚きが続くのは、この人って全くの個人として、このメガスターを作っているんだって。何でもこの人が最初に体験したプラネタリムが、まさにこの青少年科学館のプラネタリムらしい。故にここは彼の活動の原点と呼べる場所。今でも近くに住んでるらしい。

このウスラ汚い建物と超高性能投影機、さらにプラネタリウムと双眼鏡、という2重のミスマッチが、とても良かった。間違いなくお勧めです。

one and only

僕が学生をしていたころに、ひょんなことがきっかけで知り合った人たちと、久しぶりに会う機会があった。その昔に参加した、総理府が主催する交流プログラムだった。現在は海外赴任中なのだが、そこで一緒だったSさんという人がいる。先日はその彼が日本に一時帰国していた。

もともと警察官である彼は、現在外務省に出向中。中東と南の島で2年づつ、領事館の勤務にあたっている。今は3年目で、ハワイの総領事で働いているとのこと。オフィスから車で15分ほどでビーチ。「17時に仕事が終わってから毎日サーフィンだよ」、と彼。どこまで本当なのかわからないけど、ちょっとうらやましい。来年の4月までハワイにいて、その後は日本に戻り、本来所属している千葉県警に戻る予定とのこと。そしたら警視に昇格なんだって。「踊る大走査線」の室井の階級は最初は確か警視だったな。

Sさんは昔から面白い人である。少なくとも僕の周囲にはいない不思議なタイプだ。基本的にはものすごい勉強家なのだが、実際に何を考えているかが非常にわかりにくい。警官というお堅い職業であるが、プライベートの彼と接すると、そのギリギリのバランス感覚が、一歩間違えるとちょっと怖かったりもする。ただし一緒にお酒を飲むのにはとても楽しい人なのだ。話は飛躍するかもしれないが、そのSさんを含めて、ここで通常集まる皆さんは全員僕より年上である。10年以上前からの知り合いであるが、彼らの中では僕は常に最年少で、それが何だかとても変な感じでもある。

これまでそんな彼らがとても大人に見えていた。見た感じも話の内容もね。しかしこの日はどうであろう。彼らに年上感を全く抱かなかった。これまでは明らかに世代が違う、と思っていたのに、いつの間にか同世代に吸収された感覚。僕の精神構造が彼らのもつそれに追いついたんだと思う。別の言い方をすると、僕がふけたのだ。いつの間にか目線が同じになってる・・・。さらっと流されがちであるが、これはとても衝撃的な事実であった。誰でも(特に若いころは)自分は特別な存在でありたいと思っている部分があると思うのだが、それが気づくとone of themになっているという恐怖。この日僕が感じたのは、実は深く考察するに足ることなんじゃないか。

初めての点滴

マラソンの翌日はさすがに足が痛かった。膝と足首、それから筋肉痛である。火曜になって間接の痛みは解消。水曜になったら筋肉痛も消えた。で、元通りだと思っていたら、予想だにしないところで大変なことになった。

木曜の夜に自宅に戻るとコロッケがあったので、寝る前だったにも関わらずに5個も食べてしまった。その翌朝、何だか胃が重たい。まぁあれだけ油っぽいものを食べて寝たから、胃もたれして当たり前である。それほど気にしないで朝食をとって出社。経験的にはなんとなく昼食をこなして時間が経てば自然に胃の不調から開放される、はずであった。しかしこの日は一向にこの胃もたれが治らない。むしろ悪くなってくる。というか食欲が全くわかずに水分を取るだけ。そのうちに体がさわさわしてきた。ものすごい違和感。これは何かが決定的に違っている。これは自分の感覚を信じ、無理をしないで帰って休もう・・・。ということで自宅に戻る。ものすごく時間をかけて帰った自宅で熱を測ると、やっぱり出ていた。完全に微熱を超えてるし。胃から下腹がますます変な感じで、食べ物を受け付ける気配がない。その後は極力体力をセーブしてすごす。

翌朝。目を覚まして熱を測るも下がっていない。お腹の不快感も相変わらず。これはもう病院にいくしかないのだ、ということで会社に連絡した上で病院へ。そして下された診断結果は・・・「胃腸炎」。よく聞く感じの病症であるが、僕にとっては初めてなったこの胃腸炎。エコーでお腹をぐりぐりしたら、小腸に張りらしきもの。それで消化器官の機能が低下し、お腹の働きが悪くなった。結果的に悪い細菌が増殖し、それを退治しようと、僕の体は発熱してがんばっていたのだった。血液検査によると、どこかで炎症がおこってる場合にでる物質の数値が異様に高かったそうで、ホントかどうかわからないけど「もう少しひどかったら入院」と言われてしまった。「食事ができないのです」ということで90分間の点滴をすることに。人生で初の点滴だったかもしれない。その時点で痛いピークは脱しているはず、との診断であった。抗生物質と整腸薬を処方された。

そして金曜の夜、土曜。熱も下がってようやくお腹も復調。食欲も出てきた。土曜の夜の段階では7割ぐらいの治り具合であろうか。やっぱりなんだかんだで疲れていたのだろうけど、あー、全体的に抵抗力が落ちてる。

栄光のゴールシーン

なんと僕のゴールシーンが動画で見られるではないか!(見つけられるかな?) http://www.ntv.co.jp/tokyomarathon/goalmovie/ ゼッケンナンバー:27625 (右側のゴールゲートを通過する勇姿)

東京マラソンの結果

2月17日(日)に出場した「東京マラソン2008」。以下個人的なレポートです。

★スタートまで★
当日の流れはこんな感じだった。
 07:15 自宅出発
 08:00 新宿到着
 08:30 荷物チェックイン
 08:45 オープニングイベント
 09:10 スタート

新宿駅西口地下は明らかにマラソン出場という人たちでごった返していた。駅構内のお手洗いも大混雑である。僕は多分平気だろうと思いつつも、小田急線の改札内で念のため済ませた。フルマラソンに出るのは今回が初めてである。最後まで着るものが良くわからなかったのだが、結局は下がロンOタイツ、上はコンプレッション系の長袖シャツの上に東京マラソンTシャツを重ねた。要らないかと思ったが(病み上がりだし)念のため、その上にウィンドブレーカを羽織る。荷物のチェックインはスムーズだ。ゼッケン別に割り振られたトラックが、主催者側から配布された袋で埋まってく。スタッフの指示通りに進み、スタート地点に立つ。空を見上げると快晴、微風。走る側にしてみたら、この上ない天候なんじゃないか。3万人の熱気で空気が揺らめいている。

★スタート〜中盤★
予定通りの時刻に号砲。この人数であるから、直後に走り出せる訳がない。しばらくは立ち呆けたが、数分後にはごにょごにょと前進。スタートのピストルを撃った石原都知事を左に見ながらスタートラインを超えた。しかしながらこの大集団である。自分のペースで走ることは難しい。沿道も大混雑で思い思いに応援の掛け声がかかる。応援してくれる彼らは楽しそうに笑顔で溢れていた(きっと走っている僕らも)。

僕は気が向いたときに都内をジョギングする。そういう時、勝手ながら一番困るのは赤信号で足止めされることである。僕みたいな人にとって、歩みを止めずに都内を走り回れるのはこの上ない幸せなのだ。皇居のお堀に辿りつくころ、ようやく人がばらけるが、集団の中にいることに変わりはない。ランナーたちの波は途切れることなく幹線道路を埋め尽くしている。コースは南下し、日比谷公園を越えたあたりで、品川から折り返してきたトップ集団が反対車線を駆け抜けた。飛んでるみたいに軽やかだ。東京タワーを右手に通り越して品川駅前で折り返し、今度は浅草まで一気に北上。僕は20キロ手前でお手洗いへ。この日のために設けられた仮設トイレではなく、普通にあった公衆トイレで。列に並ぶことがなかったのでこれは何気に正解だった。

★中盤〜ゴール★
銀座から浅草往復は、コース上で一番人出が多いエリアで、コースを幾重にも人が囲んでいた。大会本部が運営するエイドでは人形焼も配られていた。昨年はこの給水、給食スポットでサポートが全てのランナーへ届かずに問題になっていた。でも今回走った限りでは全く問題なし。水、スポーツドリンク、20キロ過ぎからのバナナやパンなど、昨年生じたトラブルが見事に解消されていた(ように思う)。沿道で応援してくれる人も、飴とかチョコとかを配ってくれる。暖かい声援もそうだが、こういう気持ちは本当にうれしくなる。

再び銀座に戻って35キロくらいを経過。ここからゴールまでの距離が一番キツかった。しっかりと水分、食事も補給してたのでエネルギー不足を感じることはなかった。しかしレース前に走った最長距離は約22キロで、未知の領域に入ってから足が急激に重たくなる。ダラダラと続く上りが、乳酸の溜まった両足に堪える。ちょっとした下り道も、それまで使っていなかった体の部位に最後の疲労を染み込ませていく。残り2キロ地点で「あと6分あるぞー!4時間切れるぞー!」という声援が飛ぶ。実はこの4時間というのは少し意識していたタイム。時速10キロで長く、ゆっくり走るのが常の僕にとっては丁度良い目標であった。最後の最後、足を投げ出すように運ぶ。

そしてやってきました東京ビッグサイトでようやくゴール!タイムは4時間1分40秒。スタート地点で足が動き出した時から計測している手元の時計では4時間丁度。タッチの差で目標タイムには届かなかった。でも無事ゴールできただけでヨシとせねば。

★ゴール後★
ゴールラインを割ってからも流れはスムーズであった。ヒートジャケットを被らせてもらい、ドリンクとフードを提供される。続いて右足に付いた計測チップと完走メダルを交換。一方通行に沿って歩いているとそのまま荷物の受け取りスポットへ。東京ビックサイトの広大な展示スペースに並べられたランナーの荷物。待たされることなく、スタッフから直ぐに僕の手元に届けられた。直後に着替えスポット。僕は利用しなかったけど「足湯」も用意されていた。実はマッサージもあったらしい。僕はトイレで顔だけ洗ってさっぱり。

応援に来てくれた家族と合流し、IDC大塚家具のあるビルで食事。お疲れ様ビールがうまかった!本当は「大江戸温泉」に行こうと思ってたんが、ビールを飲んだらどうでも良くなってそのまま帰宅。とりあえず初マラソンと無事ゴールお疲れ様でした。来年もできれば出たいな。

★★★感想★★★
初めてのフルマラソンということで、レース前は感じがつかめずに戸惑った。この時期の気温と服装、レース中の食事など、イメージが全然わかなかったのだが、それでも実際に走ってみたら何とかなった。ランナーは老若男女で溢れかえり、一人で考えるより、みんなと一緒に流れに乗って走れば良いのだ。沿道の沢山の人たちからの声援が力強い後押しとなった。それからボランティアスタッフも。給水やスタート、ゴール時のケアなど本当にありがたいと感じた。

完走できて良かった。もともとタイムにこだわりはないけど、4時間を切れなかったのはちょっと残念である。オーバーウェイト、練習不足、直前に風邪でダウンというマイナス要因が無ければ、4時間というのは大きな壁ではないはずだ。次回へつながるモチベーションになるか。というか、実は来月にもレース出場を予定している。予定が立っているところまではひとまずがんばろうと思う。

残念だったのは一部にマナーが悪いランナーがいたこと。仮設でトイレが設置されているというのにもかかわらず、目の届きにくい場所で男性ランナーが立ち○ンをしていた。これは非常に恥ずかしい。確かにタイムロスに繋がるし、足を止めることで体が冷えてしまう。でもこれはいかにも原始的でかっこ悪い。猛省を期待する。

しかしながら天候にも恵まれ、総じてすばらしいレースであった。大会運営もスムーズで、管理側もほっと胸をなでおろしたに違いない。走る立場としては、普段と違った視点で東京を眺めることができてうれしかった。大規模な交通規制などで大変なんだろうけど、一年で一度くらい、人が道の主役になれる日があっても良いと思う。「他人と適度な距離感を維持できるランニング」というのが、今回のランニングブームの背景だそうだ。でもそんな理屈っぽいことはどうでも良い。本大会に関しては僕らランナーを含め、沿道の応援、そしてボランティアスタッフがみな幸せそうに見えたことが、何より大成功の証拠である。このイベントを一過性のブームで終わらせることなく、2009、2010とつなげていってほしい。来年もできたら参加します。みなさんどうもありがとう!

★詳細記録★
20080217_t_marathon_result.JPG

5キロごとのスプリットタイムを見て、さほど走りにブレがないのには良い意味でびっくりした。最初の5キロに32分。一般的にスタート直後は知らず知らずにペースが上がってしまう。しかも今回のコースは最初が下りである。これらのことを考慮しても、スタートの合図が鳴ってからの大混雑を抜けるのに、相当の時間がかかった証拠だ。その流れを10キロ地点まで引っ張ってしまったのもタイムから読み取れる。15〜20キロが28分台であるが、実はここで僕はお手洗いに入っている。30キロを過ぎてからは少しペースが落ちているが、これくらいの遅れは素人ランナーにとっては上出来であろう。

足の回転速度を上げるのは難しい気がするので、一歩一歩のストライドを少しだけ伸ばし続ければ、まだまだタイムも伸びるはずである。うーん、こうやって数字で結果が出ると何だかはげみになりますね。

ランナーズアップデート

僕をライブで応援したいというあなた!なんと東京マラソン公式ウェブサイトでは、僕の5キロごとのスプリットを生で更新してくれるというサービスが存在するのだ。大会は日本テレビ系で生中継されるアルから、番組見ながら「あー、そういえば今頃ナベショウ選手も・・・」と遊んでみてはいかがでしょうか。

【僕の番号】27625
【PC用】http://tokyo42195.org/
【携帯用】http://r.tokyo42195.org/

ところで僕は金曜に受付会場である東京ビックサイトでゼッケンや計測用チップなどを取得。左は協賛している読売新聞のブースで配っていた「記念号外」なのだが、記事によるとナベショウさんは「エリートランナーから『約5倍もの難関を突破した強運の持ち主だけに、油断はできない』と早くも警戒されている」とのことである・・・。

受付自体はすぐに終わったのであるが、いろんな会社が趣向を凝らしたブースを出していて、結構賑やかで面白かった。トークショーなども行われていて、僕はこの日、増田明美さんと為末大 選手を壇上で目にした。それからこないだの女子マラソンで最後にフラフラになった人が普通にいた。僕も寒さ対策と栄養補給はちゃんとしなきゃな。直前になってひいてしまった風邪だが、何とかギリギリで治った感じである。100%ではないけど、無理しなければ大丈夫だと思うな。

というわけでひとまず完走目指してがんばりまーす。

○○メソード

思いがけずに風邪でダウンしてしまった。火曜は会社に行ったのであるが、水曜の朝に熱が振り返し、出社できずその代わりに病院へ。薬を飲んで落ち着かせるが、木曜もいまいち回復せず自宅で待機。そして金曜(今日)、喉が痛いとは言え熱は下がり出社し、こうやってエントリを書いています。「渡辺茂メソード」と呼ばれる服薬方法を試したのであるが、それがソコソコ効いたのか。東京マラソンがある日曜までに完璧に治るかな。

渡辺茂というのは要するに僕の父親なのであるが、彼が実践する方法がこれ。寝る前に栄養ドリンクを用いて薬を体に流し込み暖かくして寝る。栄養ドリンクの力で体力を回復させた上で、薬の効力を最大化し、睡眠という万能薬とコラボレートするという方法論である。父親はこの方法論を信じてやまないのだ。

でも僕はカフェインに敏感なようで、寝付きが悪くて睡眠時間は少なかったな。今日は首にねぎでも巻いて寝るか。

あああ

最近絶対に体が弱くなってる!また風邪をひいてしまったようだ。土曜に雪が舞う中外をうろうろしたらその晩に早速発熱。一晩寝たら一応熱は下がったが、日曜は喉が痛かったので一日じっとして過ごす。月曜はもう大丈夫だろう、とジムに行ったのだが、3連休明けの火曜はやっぱり喉が痛くてついでになんだか熱っぽい。次の日曜は東京マラソン当日なのに、こりゃ少しまずいな・・・。

ところで先日ジムの会員になったのだが、やっぱり体がなまってるみたいだ。たいした筋トレとかじゃ全然なくて、前にやってたのの半分くらいの負荷なのに。でも動いた翌日は必ず筋肉痛。特に体の裏側がものすごく痛いぞ。せいぜい1週間に1度しか行けない。この頻度はトレーニングとしてあまり効果は期待できないのであるが、まぁ何もしないよりは良いし、何となく意識が変わるだけで、何かの形に出るんじゃないかと期待している。

今はとにかく風邪を治そう。

東京マラソン試走

フルマラソンに備えなきゃならん、という訳で、先週末から実際のコースを走ってみようと試みた。正直、年末年始から運動不足なのです。準備の意味で、直近に出来、かつ効果があるのはそのコースを体感することである!と勝手に思った。特に土地勘がない場合、その場の空気と距離感とかがとても大事な気がする。

3回に分けて試走してみた。
1.スタートの新宿から皇居、品川まで下ってから東京駅
2.皇居から銀座を経由して浅草
3.銀座からゴールの東京ビックサイト

「スタートから皇居」と「銀座からゴール」は、微妙なアップダウンを除いて問題はない。日比谷公園〜品川〜浅草〜日比谷公園の南北往復がポイントな気がした。走った日がかなり寒かったというのもあるが、この寒さ対策が大事だと実感。暫く走ると汗が出る。温まるが外は寒い。しかし風に当たって体が冷える。寒さで体が回らない。運動量が減って体温が上がらない。ますます冷える。これが負のスパイラルなのだ。

それから当たり前なのだが十分なエネルギー補給は大切。(僕の場合)2時間を過ぎると急激にエネルギー不足を感じてくる。空腹感が増すに連れ、体の重たさがヒシヒシと足の裏、膝にダメージを与える。スタート前からの十分な炭水化物の蓄積と、中盤での補充がポイントだ。

ひとまずコースを実感したのは良いが、「通し」の感覚がないのが不安である。うーん、レース前にもう一回くらい、ある程度の距離をコース上で体験したほうがよさそうだ。

入会

変な団体とかに入ったのではないです。本当はもう少し早くなろうと思っていたのだが、先週末に近所のフィットネスクラブに入会。以前にも体験で利用したことがあった、自宅から自転車で10分しないくらいのTipnessである。施設もきれいだったし、プールもちゃんとしてたし、それに結局のところ、一番近いというのは便利なのだ。何種類かある会員区分のうち、僕は月に4回利用できるプランを選択(月に4回行かなかったら最大10回分まで繰り越し可というやつ)。

入るときに丁寧な説明を受け、しっかりしたクラブである印象を受けてしまった。以前セントラル系のメンバーであったのだが、もしかしたらあれが酷かったのであろうか。ものすごい汚い格好で髪もボサボサ、無精ヒゲもそのままで行ったのが今思うと残念。会員証を作るのに写真を取らねばならなかったからだ・・・。でもまぁ良いや。いつまで会員でいるかわからないし。

フィットネスクラブというのは、運動のアクセントを提供してくれる場所だ。僕は比較的走るのが好きだけど、普通に外を走ってるだけじゃ体が硬くなっちゃう気がして。クラブであれこれしてると体のいろんな間接がコキコキほぐれるのだ。久しぶりにスタジオなどに出たのだが、設置されているプログラムの中でもかなり難しいのに出てしまったようで、もうあたふたしてニガ笑ってしまった。まぁ最初だったからな。ああいうのはインストラクタの癖とかあるし、何回か行ってると自然に体が動くものなのです。やっぱり普段動かさない箇所を動かしてるようで、終わった後には左肩に痛みが。でもこれは単純な筋肉痛とかじゃなくて、何かをぴきっとひねったような痛さだ。この日は東京に珍しく雪が積もった日で、気温もかなり低めだった。ちゃんとストレッチをしないとダメですね。筋肉痛にももちろんなってます。特に体の裏側が全体他的に痛い・・・。

そうです。いまさらながら準備なんだけど、今月は「東京マラソン2008」に出ちゃうのだ。という訳で、鈍りきった体を刺激するのに活用しよう。そして体を引き締めよう。完走目指してがんばろう。

ハンドボールの思い出(その3)

【ハンドボール用語】松脂
選手はしっかりとボールをグリップするため、粘着性のある松脂を指先につけてプレーする。でも爪の中の松脂がクリーナー使っても取れないんだな。

そろそろ飽きてきたので話を強引に戻すと、僕と別の部員の計二人は「体育教官室」というヤクザのような人達が集まる特別な部屋で、部の顧問の先生と対峙したのだった。もちろん1度ですんなり辞めさせてくれる訳などない。面談は何度か行われた。しかし僕の決心は固く、いくら先生が引き止めようと絶対に気持ちを曲げず、結局最初の思惑通りに僕は退部。幸いにも僕が辞めた後、新しく部員が入り、人数不足でチームが組めないという最悪の事態は避けられた。

ちなみに僕と一緒に退部を直訴したもう一人は気持ちを翻し、そのまま部活動に留まる事になった。彼は中心選手に成長し(というか部員がほとんどいなかったのだが)、最後はキャプテンにもなって活躍してくれた。僕はひょんなことから高校の公式な応援担当者になり、(応援部ではなく「応援委員会」)、なぜか複数いるリーダー担当(前に出て腕を振ったりする役ね)になり、僕が辞めたハンド部の応援にも行ったりしたな。応援委員会については多分滅多に人に話さない、恥ずかしくて微笑ましい思い出だったりするが、これまた別の話。

で、話の発端となったハンドボール日本代表だが、残念ながら韓国との試合には負けてしまった。今の段階ではオリンピックに出られないが、まだチャンスは残っているようだ。がんばってほしい。オリンピックが全てじゃないし、他の大きな大会とかもあるんだろうし。それにしても今回の騒動で、これだけ競技の認知度が上がっただけでもう万々歳だろうな。良くも悪くも。実際に見てみると結構スピード感に溢れてて、また接触プレーもあるから何気に荒っぽい部分もある。ぜひやってみたい!と思った少年少女たちも少なくないんじゃないか。そんな君達が日本のハンドボールを背負っていくのだよ。もっとも熱しやすくさめやすい日本人である。最初で最後の盛り上がりに便乗して一気にメジャースポーツの仲間入り、とは行かないだろう。強引に話をまとめると、ハンドボール協会もこれからが大事ですね。
(終わり)

ハンドボールの思い出(その2)

【ハンドボール用語】:スカイプレー
ゴールまでの7メートルラインをまたぐようにジャンプし、空中でシュートなどすること(華やかな一面である)

とにかく顧問の先生が恐ろしかった。本当かどうか知らないけど、元○○代表という肩書きを持つ190センチの大男。その長身と日本人離れした彫りの深さは女生徒に人気であったが、部活の顧問としての彼は、(あの当時でも珍しいほど)よく殴る恐怖の鉄拳サウスポーに他ならないのだ。冗談ではなく、彼のおかげで平手での殴られ方というのを習得できたように思う。先生どうもありがとうございました。妙に力んで緊張させてはダメで、何も考えず体の力を抜くのが殴られ方の基本である。釘が少し飛び出た棒で尻を叩かれたり、練習試合のハーフタイムに、校庭の向こうの壁までダッシュで往復させられたこともあった。

それから言葉にするまでもなく、地方の公立高校におけるこのマイナースポーツの扱いなど、超がつくほど取るに足りないものであった。一般的にハンドボールというのは屋内でする。しかし限られた体育館のスペースが与えられるはずなどない。そこは校舎から一番対角線で離れた校庭の端っこであった。されによくよく思い出すと、僕らにはちゃんとした部室が与えられていなかった。それは「部室」ではなく、ただの「小屋」であった。一般的な部室が並ぶ棟みたいなのから、ぴょこっと離れたそれ。捨てて良いのかわからない体育用具が並ぶ物置を改造したものだ。それがれっきとした部室であると勘違いしていた当時の僕はまだまだ純朴で、世間の冷たさを冷たさと理解するまで、季節が回るのをいくつか待たねばならなかった。
(続く)

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